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名古屋市文化振興事業団
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芸術文化に関する相談・質問窓口
●伝統芸能についての相談・質問をお寄せください。

北文化小劇場の伝統芸能共育コーディネーターが質問等にお答えします。

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お待ちしております!


●伝統芸能共育コーディネーター紹介


岡崎 美奈江先生
箏曲演奏家

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【プロフィール】
名古屋音楽大学器楽科邦楽専攻卒業、同大学院修了。NHK邦楽オーディション合格。名古屋市民芸術祭2012 特別賞受賞。これまでに、田村通子師、芦垣美穂師に師事。
現在、生田流箏曲宮城社大師範。名古屋音楽大学講師、栄 中日文化センター講師。美卯の会 主宰。

【コメント】
箏(琴)・三絃(地歌三味線)・十七絃に関するご相談、ご質問を承ります。お箏をはじめたい、演奏を披露してみたい、尺八や洋楽器と合奏してみたいなど、どうぞお気軽にお問い合わせください。

杵屋 六春先生
長唄・唄方

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【プロフィール】
1994年東京芸術大学音楽学部邦楽科長唄専攻卒業。
2度の名古屋市民芸術祭審査員特別賞受賞 長唄宗家十五世 杵屋喜三郎師(重要無形文化財・人間国宝)に師事。「名古屋まつり」「やっとかめ文化祭」など多方面の舞台やCBCラジオ・NHK FMなどに出演。名古屋音楽大学講師。

【コメント】
長唄や三味線の楽しさ、着物を着て舞台で演奏したい!というご相談など、何でもご相談くださいませ。



五條 美佳園先生
日本舞踊五條流師範

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【プロフィール】
平成26年度 名古屋市民芸術祭特別賞《奨励賞》を受賞。
幼少の頃より、五條珠園・五條園美に師事し、南山大学短期大学部にて「舞踊と文化」の講師を務める師匠・五條園美の助手として、長年に渡り指導に携わる。また、名古屋市内、北名古屋市等にて後進の指導にあたる。特に子どもたちの指導に定評がある。

【コメント】
「日本舞踊ってどんなお稽古をするのだろう?」「始めてみたいけど自分にもできるかしら?」「一度日本舞踊の舞台を観てみたいなぁ」など、興味のある方はお気軽にお尋ね下さいませ。皆様と日本舞踊の出会いのきっかけになればと思っています。

柴垣 治樹先生
雅楽演奏家、雅楽企画者
主韻会代表

最新エッセイは
こちら

【プロフィール】
幼少の頃から雅楽の音の中で育ち15歳から本格的に雅楽活動を開始する。笙、右舞、楽箏を専門とし、元宮内庁式部職楽部首席楽長、豊 英秋氏に師事。
また2010年に雅楽団体[主韻会]を作り東海地区を中心に様々な場所で演奏活動、講習会を開催し雅楽の発展に力を注ぐ。

【コメント】
雅楽は[世界最古のオーケストラ]で日本で一番歴史のある伝統芸能です。約1300年前から受け継がれている音、舞、歌を楽しんで見ませんか?!
雅楽に関する質問など気楽に問い合わせ下さい。また、演奏依頼や教えて貰える所などの問い合わせもお待ちしてます。

※個人情報の取扱い及び相談概要の公表について
ご提供いただいた個人情報は、コーディネーター及び北文化小劇場が回答するにあたって必要な範囲で使用させていただきます。





ご案内
【第29回】柴垣治樹先生(第8回)
 『楽箏(がくそう)』

雅楽で用いられる箏を楽箏といいます。雅楽では曲全体のリズムを刻む役割を果たします。
奈良時代に雅楽の楽器の1つとして中国から伝わり、主に唐楽(とうがく)の管絃(かんげん)や催馬楽(さいばら)の伴奏に用いられます。

構造は長さ180センチ、幅25センチ、高さ8センチの桐の木で作られた長方形の箱に13本の絹の絃を張り、1本ずつ柱が絃の振動を箱に伝える仕組みです。各名称は箏を龍に見立てて龍角(りゅうかく)、龍背(りゅうはい)のように呼ばれています。箏爪(ことづめ)と呼ぶ竹製の爪(竹の固い節の部分や紙や皮で作られたもの)を右手の親指、人差し指、中指の3本にはめ弾きます。

主な演奏法には、小爪(こづめ)、閑掻(しずがき)、早掻(はやがき)、連(れん)、結ぶ手などがあります。

楽箏を体験している様子




雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生
  更新日:2018/5/25
【第28回】岡崎美奈江先生
 箏曲って? 第7回 『新娘道成寺』

今回は、来年1月19日に北文化小劇場で催される、芸どころ名古屋公演の演目として予定されている、地歌「新娘道成寺」についてのお話です。


〈歌詞〉
鐘に恨みは数々ござる
初夜の鐘をつくときは 諸行無常と響くなり
後夜の鐘をつくときは 是生滅法と響くなり
尋常の響きには 生滅めついりあいは
寂滅為楽と響けども 聞いて驚く人もなし
我は後生の雲晴れて 真如の月を眺め明かさん

言わず語らず我が心 
乱れし髪の乱るるも つれなきはただ移り気な
ああどうでも男は悪性な 桜さくらと謳われて
いかに袂に分けふたつ つとめさえただうかうかと
ああどうでもおなごは悪性な 東育ちは蓮葉なものぢゃえ

恋のわけざと数え数えりゃ 武士も道具を伏し編み笠で
張りと意気地の吉原 はなの都は歌でやわらぐ
敷島原に勤めする身は 誰と伏見の墨染
煩悩菩提の鐘木町より 浪速よすじに通い来辻の
かむろ立ちからむろの早咲き それがほんに色ぢゃ
ひいふうみいよお 夜露雪の日下関路を
共にこの身を馴染み重ねて 仲は丸山ただまるかれど
思い染めたが縁ぢゃぇぇ

 安珍清姫の物語の発祥地となった道生寺は、南紀御坊の近く和歌山県日高郡日高川町鐘巻にあって、正式名称を天音山道成寺といって、説によると起源700年頃、それまでは道教のものであったと思われる施設を接収して仏教寺院となしたものとされています。その成立の経緯、「神の国」と言われる南紀の地にあり、この伝説の内容に深く関わるものと推察できます。
 その伝説の大筋は、「旅の修験者と土地の女が出会い、女が惚れて男が逃げ、川を渡れば来られまいと思ったが、女は執念のあまり蛇に変身して川を一跨ぎし、男は女人禁制の寺に転がり込んで鐘の中に匿われ、蛇と化した女がその鐘に巻き付いて男を焼き殺し、自分は川に身を投げて死ぬという」じつにおどろおどろしいお話です。
しかしこれは悲恋の物語ではなく、禊ぎや祓いの感性が、仏教説話の中に変容して取り入れられたのではないかという説があります。
つまり、蛇に変わるほどの業を秘めた女があって、これを村としてはなんとかしたかったのだが、そこに都合良く旅の僧が現れて厄介払いしてくれたということで、これは女の形をとってはいるが、何らかの災いや喜ばしくないものであった可能性があり、このことで村は清められたということです。
実は道成寺は現代私たちが、感じるほど悪い意味では使われていなかったとも思われます。安珍・清姫というキャラクターが現れるのはずっと後の事で、一千年余の永きにわたり、語り伝えられてきた伝説には、そこへ至るまでに様々に伝えられ、時の芸能に取り入れられてきました。



箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
  更新日:2018/9/11
【第27回】杵屋 六春先生(第7回)
  長唄名曲紹介 Vol.7「子ども向けの長唄」〜

 八月号の今回は、子供向けの長唄や舞踊小曲を何曲かご紹介いたします。
まず一番初めに習う曲の代表格がこの曲「お月様」。おつきさまいくつ?と子供が月に向かって話しかけている様子を表しています。三味線は少し難しい為、唄からスタートします。私の三歳の初舞台もこの曲だった記憶でございます。次の曲は日本舞踊で幼いお嬢さんが良く踊られる「藤の花」藤の花とそれに戯れ遊ぶ女の子の様子を表しています。これも女の子向け「人形」は女の子がお人形で遊ぶ様子が描かれています。「京の四季」京都の四季を唄った曲で、数々の京都の名所が詠み込まれています。
 「虫の声」や昔話「兎と亀」や、お猫がニャンと歌詞に読みこまれている「お猫道中」なんて曲もあるんですよ。小学校高学年になると、軽妙でノリの良い曲「供奴」(文政十一年(1828) 作詞・二代目瀬川如皐、作曲・十代目六左衛門)も良く唄われます。内容は郭通いの主人の供に遅れた奴が、主人を捜しながら、主人のまねをし、郭通いの丹前の振りやいろいろの所作をする。拍子本位の派手な曲で、長唄の代表曲の一つと言われています。長唄は江戸時代の風俗や遊びを唄ったものが多くあり、子供向けの曲が大変少ないのが現状です。
 そんな中、子供さん向けの譜面が、昨年末誕生致しました。長唄の名門・杵屋佐吉家のご子息・杵屋佐喜さん編著【四世杵屋佐吉作曲 三絃童謡集 三味線でうたおう!子どもと楽しむ長唄童謡〜CD2枚付き〜】です。子供さん向けの簡単で楽しい長唄童謡が満載で大変おすすめです。もちろん私も愛用中です。
 そして長唄が難しいと思っている皆様にお知らせです。ナゴヤワークショップフェスタ2018「ポッシブる!」がこの夏初めて開催されます。北文化小劇場では、8月4日(土)10:30〜12:00「うたって弾いて和の音色」と題し、子供さん向けの長唄三味線体験講座を開催します。三味線初心者の子供さんたちにも分かり易くお教えします。最後には舞台でみんなで演奏なんて企画も計画中です。夏休みの課外研究に、日本の伝統文化体験をぜひいかがでしょうか?北文化小劇場で絶賛受付中です。皆様にお目にかかれます夏休みが今からとっても楽しみです。






長唄・唄方
杵屋 六春先生
   
  更新日:2018/7/24

【第26回】五條美佳園先生(第7回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第7回〜アンテナの役割〜」

 日本舞踊のお稽古をするとき、今でも主にカセットテープを使っています。繰り返しお稽古するとき、様々な場所を頭出しするので、曲の間隔的にもカセットテープの方が使いやすく感じるからです。(もちろんCDを使用される先生も多いと思いますが…)現在の小学生の子どもたちにとってはDiscが当たり前なこともあり、逆にカセットテープは新しく感じられるかもしれません。物珍しそうに「CDじゃないの?」と聞いてきたり、巻き戻しと早送りでテープが巻き取られるのを嬉しそうに見ている子どももいました。
 今から10年以上前のこと、その日もやはり小さなカセットデッキを使い、テープでお稽古をしていました。テープは繰り返し使えば使うほど劣化するため雑音が入ったり、少し音が悪い部分がありました。当時小学1〜2年生だった彼女は、怪訝な顔をして音の出る方向を見つめていました。


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

「音の調子が悪いみたいね」と私が言うと、彼女はカセットデッキに近づいていき当然のようにアンテナを立て、一番長く伸ばしてくれたのです。
「これで大丈夫!」
 満足気な表情と共に聞こえてくる曲は、不思議なことに音が良くなったような気がするから面白い。
 あまりにも自然な彼女の行動に、その時は真実を伝えることもなく「ありがとう」とお礼を言ってアンテナを伸ばしたままお稽古を続けたことを覚えています。

 そんな彼女ももう大学生です。時々お稽古の合間に小さかった時のことを懐かしんで思い出話に花が咲きます。あの時こうだったねとその時踊っていた演目と共に思い出を共有できるのもお稽古事の良さですね。


笙(しょう) 笙(しょう) 笙(しょう)

  更新日:2018/7/2
【第25回】柴垣治樹先生(第7回)
 『雅楽の楽器紹介 第7回 楽琵琶』

日本には様々な琵琶があります。
日本の琵琶の中で最も大きいのが楽琵琶です。水平に構えて演奏します。 管弦合奏と催馬楽(さいばら)の伴奏になどで使います。
雅楽では曲の旋律を奏するのではなく、箏と同じくリズムやアクセントを刻みます。 

楽器本体の長さは一定ではありませんが、現在のものはだいたい110cmぐらいが標準です。古代には、牛車の中で演奏するための大きさの、小琵琶といわれたものもあったようです。 

琵琶の絃は四本あり、構えた状態の上の絃から一絃・二絃・・と呼びます。雅楽演奏の際は、しゃもじのような形の撥(ばち)で演奏します。 

琵琶はもともとイラン辺りで生まれました。その後シルクロードを流れて中国で発達し、そして日本へと伝わりました。シルクロードを逆にヨーロッパへ、ジプシー達が伝えたものもあり、それらが変化してマンドリンやギターになったようです。

琵琶を体験している様子




雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生
  更新日:2018/5/25
【第24回】岡崎美奈江先生
 筝曲って? 第6回 『箏の名称は?』

今回は、箏という楽器の各部名称についてです。箏の各部名称はある動物にちなんでつけられています!

それは『龍』です。

箏は奈良時代(710−740)に中国の唐から伝えられ、当時の都、京都を中心に皇帝や貴族の間で雅楽を演奏する楽器の一つとして楽しまれていました。雅楽で箏が弾かれる様子は当時の古典文学、枕草子、源氏物語、平家物語等に記述されています。
中国では、この想像上の龍を大変崇めていました。特に“龍王”・“籠宮”などと、位の高いもの、優れたものを指す時に使われていました。皇帝はその権威づけとして龍を自らの象徴としたそうです。 箏は皇帝も扱う高貴な楽器として、龍に見立てられ、その部位名がつけられていました。
箏の各部名称は、箏を大きく三つにわけると、箏を演奏する時にすわる側(写真@の左側)が竜頭(りゅうとう)。反対側を龍尾(りゅうび)。この頭と尾にはさまれている間を(龍)甲(りゅうこう)といいます。
少しわかりにくいかもしれませんが、糸がでている金色の丸型パーツ、これを龍眼(りゅうがん)。龍頭部、上部側を龍額(りゅうがく)。
そして箏を立て掛けた時一番下の部分になるところ(写真A)、奏者からみて龍頭部の一番右端側面部を龍舌(りゅうぜつ)といいます。
この龍舌部は職人の腕の見せ所でもあり、高価な楽器になりますと、象牙が用いられたり、蒔絵や螺鈿細工などの緻密な細工が施されています。また箏の名前をいれたりもしています。壊れやすいパーツでもありますので、ここを保護する意味で用いられているのが口前カバーです。見た目は和服の帯の様な布貼りのカバーとなっていますが、音の鳴りを遮りますので、本番ではこのカバーは取り外します。
そして龍角と反対側の糸を支える部分を雲角(うんかく)。箏の側面は磯、そして裏側は龍腹(りゅうふく)。

このように、それぞれが龍の体の名称にちなんおり、現在もこの名称で呼ばれています。



箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
写真@ 写真A
  更新日:2018/4/20
【第23回】杵屋 六春先生(第6回)
 長唄名曲紹介 Vol.6

 今回はタイトルに「獅子」と付く2曲をご紹介します。
 一曲目は「連獅子」。連獅子には、勝三郎連獅子と正治郎連獅子の2つがあります。前者は文久1 (1861) 年、花柳芳次郎の襲名披露の際初演されました。河竹黙阿弥作、2世杵屋勝三郎作曲、1世花柳寿輔振付です。後者は明治5 (72) 年、東京村山座で5世坂東彦三郎、6世沢村訥子により初演されました。同じく黙阿弥作で、3世杵屋正次郎作曲です。
 文殊菩薩が住むといわれる霊地清涼山。その麓の石橋に、狂言師の右近と左近が手獅子を携えて現れます。白い毛の獅子が親で、赤い毛の獅子は子の設定です。二人は石橋の謂れや、子を千尋の谷へ突き落とし、谷底より駆け上ってくる強い子だけを育てるという、獅子の子落としの模様を踊って見せます。上がって来ない仔獅子を案じる親獅子が谷底を覗き込んだところ、その姿を見つけた仔獅子は、喜び勇んで駆け上がって来るのでした。そこへ法華僧と浄土僧がやって来ますが、お互いの宗派が違うところから口論をしていると、おどろおどろしい山風が吹きます。二人が驚いて退散すると、親獅子と仔獅子の精が現れ、勇壮に毛を振り、舞い納めるのでした。能の「石橋」をもとに、前半で獅子の親子の情愛を、後半で勇猛な獅子の毛振りを見せる歌舞伎舞踊の名作です。
歌舞伎で演奏される曲は「正治郎連獅子」。「勝三郎連獅子」は現代では素演奏曲として人気です。この中の「獅子」はライオンを原型とする想像上の生き物です。勇猛正義の獣で、すべての獣がそのひと吼えにひれ伏すほどの勇猛さ、気高さ、威厳を兼ね備えた百獣の王であり、仏教の世界では普賢菩薩の乗り物でもあります。
 さて、この連獅子に対して、もう一つの「獅子」の曲は「越後獅子」。美空ひばり嬢の名曲のタイトルにもなっているこの「越後獅子」は長唄の中でも名曲とされ、今なお高い人気を誇っています。文化8(1911)年篠田金次作詞、9世杵屋六左衛門作曲。地唄を基にして作られた曲で、驚くべきことに一夜にして急きょ作られたそう。文化8年、当時江戸で大人気だった3世中村歌右衛門が、ライバルの3世坂東三津五郎の七変化の踊りに対抗するため超特急(作詞・作曲・振り付け各一日ずつ)で作られた七変化の中の一曲です。これによって、歌右衛門所属の中村座は三津五郎所属の市村座に持っていかれたお客を取り返したとも…。「七変化」とは、一人で七つの曲を踊りあげることです。「獅子」の名を冠していますが、鏡獅子や連獅子等といったいわゆる「石橋もの」ではありません。越後獅子の獅子は、(おもに子どもが)獅子頭をかぶって踊る、いうなれば獅子舞みたいなものです。この曲の別名は「角兵衛獅子」ですが、
意味するところは一緒。越後から出てきた角兵衛獅子(≒旅芸人)が、都にていろいろの芸を披露するというのが曲の大筋です。 途中、越後の国の風習が語られるところもあります。曲の終番、「サラシの合方」が3つ入っていますが、これは今でいう新体操のリボンのように棒の先に白く細長い布(サラシ)を持って舞っている場面であるため、この名前が付いています。この「越後獅子」は、かの有名なプッチーニの歌劇「蝶々夫人」において、第1幕の花嫁一行の到着を知らせる場面で、曲の一節が用いられています。オペラファンにも馴染みのある唯一の長唄と言える曲です。

西行法師
越後獅子



長唄・唄方
杵屋 六春先生

 〜歌舞伎からきた日常用語〜
歌舞伎では主に夜の場面を表す背景の幕のほか、劇中で死んだ人、不必要なものを隠す幕として使われ見えない記号として用いられています。が、一般的には表に出ず他人を操って影響力を行使する人の意味で使われています。

 
  更新日:2018/3/19

【第22回】五條美佳園先生(第6回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第6回〜6才の友情・絆・仏さま〜」

毎年3月から5月に北名古屋市の、あるお寺の本堂で開催される「春の日本舞踊教室」の講師を、ご縁に恵まれましてさせて頂いています。
一般の皆さまから募り、2才から高校生の子どもたちが、童謡から長唄まで楽しくお稽古をして、最終日には発表会で成果をご披露しています。
数年前のある日、小学校低学年のクラスでの一件です。いつもとても仲良しの姉妹が、お稽古着(浴衣)に着替える最中二人で泣いてしまったことがありました。後から聞いてみると、その日二人が同じ浴衣を着たいと言ったのがきっかけだったようです。(ありますよね、一つしかない物を欲しくなったり食べたくなったりすること)
先にお稽古を始めていた子どもたちと私は、泣いている二人のことが気になりお稽古の途中で様子を見に行きました。


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

6才女児A「がんばろ!だいじょうぶだよ。」
同B「美佳園先生とがんばるって約束したじゃない!」
同C「みんなといっしよにやろうよ」

小さいながらに、それぞれ思い思いの励ましの言葉をかけて必死になだめる子どもたち。中には声をかけずにジッとそばに寄り添ってくれていた子もいました。みんなの気持ちが通じたのか、二人は奮起して涙を拭きながらお稽古場である本堂へ。私も「だいじょうぶよ、みんな一緒だもん。それに、ここは仏様がみんなのこと見守っていてくださるからね」と言葉をかけると、

6才女児D「そうよ!他ではこうはいかないんだから!」

なんと頼もしい言葉!その言葉を聞いて泣いていた二人もニッコリ!元気にお稽古を始めることができました。
見えない力に守られることで子どもたちは勇気や自信を持つことができます。だからこそ子どもたちはその場所が大好きで頑張れるのでしょう。私も子どもたちからパワーをもらえるこの春の教室が楽しみです。
今年もその季節になりました。少しでも興味をお持ち下さる皆さま、是非春の教室を覗きにいらして下さい。子どもたちの生き生きした姿をご覧頂けると思います。
※追伸……もちろん、宗教は全く問いません。どなた様もお気軽にお越し頂けます。

笙(しょう) 笙(しょう)
笙(しょう)


  更新日:2018/3/19
【第21回】柴垣治樹先生(第6回)
 『雅楽の楽器紹介その6【楽太鼓】』

雅楽に使われる楽器の中で唯一の金属楽器。鉦鼓は三種類あります。
釣鉦鼓(つりしょうこ)、荷鉦鼓(にないしょうこ)、大鉦鼓(おおしょうこ)です。
どのような場面で使われるかを説明させて頂きます。

○釣鉦鼓
主に管絃(演奏のみで舞が無い)の時に使います。直径15cm程の、金属製の円形の皿形の内側を、二本の桴(ばち)で打つ打楽器です。

○荷鉦鼓
雅楽を演奏しながら行進する道楽に用いられます。二人のかつぎ手と演奏者の三人が連れ添って歩きます。
ちなみに、道楽は「どうらく」ではなく「みちがく」と読みます。

○大鉦鼓
雅楽の舞楽に用いる鉦鼓です。舞楽には左方、右方があるので大鉦鼓は2台使うのが理想ですが、とても高価でとても大きいので、宮内庁式部職楽部、大きな神社、大きなお寺以外ではあまり使われておらず、釣太鼓で演奏される事が多いです。




雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生
  更新日:2018/2/8
【第20回】岡崎美奈江先生
 筝曲って? 第5回『生田流と山田流』

 お箏の流派には、大きく分けて生田流と山田流の2つの流派があります。皆様もお耳にしたことがあるのではないでしょうか。ちなみに、私が所属しているのは生田流です。今回は、生田流と山田流について、お話させていただきます。

 生田流のはじまり
室町時代の末期、北九州久留米の善導寺に、賢順(けんじゅん)というお坊さんがいました。彼は寺院に伝承される雅楽や歌謡、中国の琴楽などを参考に、筑紫箏(ちくしごと)を作り出しました。 賢順には法水という名の弟子がおり、彼に師事したのが三味線や胡弓の名手であった八橋検校(やつはしけんぎょう)でした。彼は筑紫箏をもとにしつつ、より世俗的、当世風でかつ芸術性の高い組歌十三曲と段物三曲を作曲し、当時大流行しました。そして、この八橋検校の流れを汲んだ生田検校が、生田流の流祖です。
山田流のはじまり
上方で箏曲が早くから流行していたのに比べ、江戸ではまだあまり人気がなかったのか、演奏する人があまりいませんでした。そこで安村検校は、江戸への勢力拡大を図り、弟子の長谷富検校を江戸へ下らせ、生田流系箏曲を広めようとしました。その弟子山田松黒に教えを受けたのが山田検校で、彼は江戸っ子好みの浄瑠璃を取り入れた新作を作り、山田流箏曲を創始しました。

 生田流と山田流の違い
見てわかる大きな違いとしまして、まずは「爪の形」です。生田流では角爪を、山田流では丸爪を使用します。そして「構える姿勢」、生田流は爪の角を有効に使う為、箏に対して斜め45度に座り、山田流は箏に対して、正面に座ります。
箏曲の演奏会に行く機会がありましたら、お爪や構える姿勢で、生田流か山田流か、すぐに分かるかと思います。



箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
  更新日:2018/1/11
【第19回】杵屋 六春先生(第5回)
 長唄名曲紹介 Vol.5

 今回ご紹介する曲は二曲。一曲目は「二人椀久」。正式には本名題『其面影 (そのおもかげ) 二人椀久』。作詞者不詳、作曲1世錦屋金蔵。安永3 (1774) 年初演。椀久物の一つ。
 大阪の豪商であった椀屋九兵衛は、馴染みを重ねた傾城の松山太夫に入れあげすぎてしまい、 座敷牢に軟禁されたことから発狂したと言われています。狂乱した椀屋久兵衛が松山太夫との華やかかりし頃の幻影をみますが、やがてはその幻も消え、ひとり舞台上に残され、泣き倒れ伏すという物語。二人[ににん]とは、松山太夫が椀屋久兵衛の羽織を着て、[椀屋九兵衛]になって連れ舞するという意味合いを示しています。しかし、幻影である松山太夫はいつか消え去り、最後は、ひとり舞台に残された椀九は、松風の音を聞きながら、寂しく泣き伏せて幕、 となります。傾城松山恋しさに狂二上りから三下りと転調。能『井筒』のクセを取入れた唄や、後半の廓情緒を三味線と大鼓小鼓で演奏する部分 (タマ) など技巧を凝らした難曲で、踊り地に太鼓の入らないのも特徴です。
 二曲目は「時雨西行」河竹黙阿弥作詞、2世杵屋勝三郎作曲。1864年(元治1)9月初演。西行法師が江口(現在の大阪市東淀川区)の遊女と歌を詠み交わすが、遊女は普賢菩薩の化身であったという話を題材にした能『江口』の長唄化。本来は舞踊を伴わない長唄だけの曲。全体の構成は、雨に濡れた西行法師が、一人暮らす遊女に宿を借りたいと願いますが、断られてしまいます。 「俗世を捨てて出家するのは難しいだろうけど、だからって一夜の仮の宿まで惜しまなくったって……」西行が「仮の宿」という言葉に「俗世」と「一夜の宿」の二つの意味を含めた恨み言の和歌を詠むと、「あなたは俗世を捨てた人だと聞いたから、一夜の宿に執着しちゃだめよ、と思ってお断りしたんです」と、遊女は西行の言葉を即座に歌を返します。「心留むな」=執着してはならない、と遊女は語ります。人を愛することも憎むことも、執着は悲しみを生み、生きる苦しみを増やすだけ。学問を積んだわけでも、仏道の修行を重ねたわけでもない遊女ですが、訪れる人のすべて、寄せられる想いのすべてが消え去っていく日々を生きる中で、 俗世にありながらこの世の無常を肌で知ったのでしょう。自分の生業のはかなさを知りながらも、その道を受け入れて生きる遊女の姿こそが、 仏道を生きる西行には現世を生きる菩薩と写ったのです。西行の道行、遊女との出会いと西行の身の上話、遊女の身の上話、普賢菩薩の現出と4部分に分かれ、それぞれ、謡曲風で荘重な曲調、くせのないさらりと運んだ曲調、詠嘆的な華やかな二上り、大薩摩(おおざつま)とそれに続く三味線の技巧を尽くした神秘的かつ荘重な本調子と、趣(おもむき)に変化をもたせている名曲の一つ…皆様、この二曲にはある共通点があります。見つけられましたか?一つ目は江口、井筒など能からインスピレーションを受け物語やフレーズを長唄化したこと。二つ目は「遊女」に幻をみたこと。いつの世も男性は美しい女性に幻をみるものなのでしょうか…

西行法師
西行法師 



長唄・唄方
杵屋 六春先生

 〜歌舞伎からきた日常用語〜
「歌舞伎から生まれた用語」こけら落とし
 いよいよ来年の4月にご当地名古屋のシンボリック劇場が開場します。こけら落としとは一般的に新築した施設の開場式を指します。歌舞伎ではこけらは材木の削り屑のこと。江戸時代民家の屋根はほとんどがこけらで葺かれていました。新築または改築工事の終わりに屋根や足組などの削り屑のこけらを払い落とす目出度い習慣があったらしく、これに習って劇場も最後に屋根の削り屑(こけら)をおとしたことから、こけら落としと呼ばれるようになったようです。

 
  更新日:2017/12/1

【第18回】五條美佳園先生(第5回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第5回〜大変身!クネクネからキラキラへ〜」

 今回はまずこの詩からご紹介したい
と思います。

『はっぴょうかい』
ぶたいにたった 
たのしくおどった
ていねいにおどった
げんきにおどった
こんなにいっぱいのおきゃくさま
いっぱいいっぱいのおきゃくさま
わたしのおどりを見てくれる
がんばるぞ
よかったよと
いわれるようにがんばるぞ
きょくがながれる
いよいよでばん
みんなの目がわたしをむいている
おわったよ
ドキドキのぶたいがおわったよ
だんだんドキドキおさまって
さいごはさっぱりしたきもち
きょうのぶたいたのしかったな
らいしゅうのおけいこたのしみだ



日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

これは、今はもう高校生になった門下生が小学校二年生だった頃書いたものです。小さいながらもこんなに沢山の思いを胸に踊っていたのだなぁと当時感激したのを覚えています。
2才10ヶ月でお稽古を始めた彼女は、かなりの恥ずかしがり屋さんでした。初対面の方を前にするとクネクネしながらやっと聞こえるくらいの声で挨拶をしてスーッとママの後ろに隠れてしまったり、先輩方がお稽古中は着替えの部屋から絶対出てこなかったくらいです。
でも、この詩を書いた頃から踊りが生き生きし始め表情も明るくなってきたような気がします。きっと日本舞踊が彼女に勇気と自信を与えてくれ、それに包まれて温かくのびのびと成長したのでしょう。
技術を磨くのはもちろん、それだけではなく心を豊かにしながら『キラキラ』と成長していく子どもたちの姿を、眩しく、頼もしく感じながら、今後も見守っていきたいと思います。

笙(しょう) 笙(しょう) 笙(しょう) 笙(しょう)


  更新日:2017/10/31
【第17回】柴垣治樹先生(第5回)
 『雅楽の楽器紹介その5【楽太鼓】』

雅楽に使われる太鼓は三種類あります。
釣太鼓(つりだいこ)、荷太鼓(にないだいこ)、大太鼓(だだいこ)です。どのような場面で使われるかを説明させて頂きます。

○釣太鼓
主に管絃(演奏のみで舞が無い)の時に使います。鼓胴の厚さ約12センチ、鼓面の直径約60センチの扁平形で、円形の木の枠につるし、2本の桴(ばち)で打ちます。
雅楽で一番使われる太鼓です。
○荷太鼓
雅楽を演奏しながら行進する道楽に用いられます。二人のかつぎ手と演奏者の三人が連れ添って歩きます。
ちなみに、道楽は「どうらく」ではなく「みちがく」と読みます。
○大太鼓
雅楽の舞楽に用いる太鼓で、鼓面の直径は約2メートルもある大きな太鼓。周囲に火焔(かえん) の装飾があり、火焔太鼓とも呼ばれています。
舞楽には左方、右方があるので大太鼓は2台使うのが理想ですが、とても高価でとても大きいので、宮内庁式部職楽部、大きな神社、大きなお寺以外ではあまり使われておらず、釣太鼓で演奏される事が多いです。




雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生
  更新日:2017/10/3
【第16回】岡崎美奈江先生
 箏曲って? 第4回『検校』

 前回は、「箏曲作曲家・演奏家 八橋検校と京都銘菓 八ツ橋」についてお話をさせていただきました。第4回目は、「検校」について採り上げたいと思います。

 近世箏曲の創始者といわれる「八橋検校」、愛知県出身で後に京都・名古屋を中心に活躍した「吉沢検校」、普段はあまり目にしない、この「検校(けんぎょうと読みます)」にはどんな意味があるのでしょう。

 近世まで、日本には「当道職屋敷」という盲人の方の為の保護・統括組織がありました。歴史は古く、平家琵琶の専門家の組織が、室町幕府から庇護をうけるようになり、宗教組織から抜け出したのが始まりです。盲人は、ここに属することによって大きな庇護を受けることになりますが、代わりに細かな身分制度の中にはめ込まれていました。
大きくは4種(4官)で、座頭(ざとう)・勾当(こうとう)・別当(べっとう)と上がっていき、その最高位が検校でした。この4種がさらに16階級、73刻みに組み分けされていたそうです。検校へあがるのはとても大変なことだったそうですが、その権勢と経済力は大名にも匹敵したと伝えられています。
江戸時代に全盛期を迎えた組織も、明治4年に廃止となりました。

 かつては勝新太郎さん、その後ビートたけしさん、最近では中日劇場の歌舞伎で市川海老蔵さんも演じられた「座頭市」、これは「市」という名前の、「座頭」職の方を題材にしたものです。



箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
宮城道雄 
箏曲公演の様子


  更新日:2017/8/31
【第15回】杵屋 六春先生(第4回)
 長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると〜Vol.4」

今回ご紹介する曲は「綱館」、正式には「渡辺綱館(わたなべのつなやかた)之段」。
1869年(明治2)3世杵屋勘五郎作曲で、1741年(寛保1)江戸・中村座の初演以来埋もれていた『兵四阿屋造(つわものあずまやづくり)』の詞章に手を入れ、節付けをして復活させた作品です。この曲自体は演奏会用に作られた作品ではありますが、歌舞伎では「茨木」という演目で上演され、お芝居としても観ることが出来る作品でもあります。西洋音楽にたとえると、時には歌曲、時にはオペラといったところでしょうか…。
渡辺の綱は羅生門で鬼「茨木童子(いばらきどうじ)」の腕を切り落として追い払いました。しかし有名な陰陽師の安倍晴明の占いによると、相手は鬼なのでかならず仕返しに来るとのこと。7日間は屋敷にこもって誰にも会わず、物忌(ものいみ)し、腕は箱に入れて封をしておくように言われました。そして今日が7日目。何事もないといいが、と思う綱。
そうこうするうちに日も暮れてきました。そこに老婆がやってきます。老婆は綱の伯母だと名乗り、「津の国(摂津の国。今の大阪と兵庫の間)」から、甥の綱に会いに来たと言います。伯母とはただの親戚ではなく、綱の育ての親なので母親のような立場なのです。物忌の最中なので家には入れないと家来や綱が断るので、叔母はがっかりして帰って行きます。門の外でのひとりごとが聞かせどころのひとつ。
綱が幼き時より自ら育ててきたのはこの叔母の私。それなのにこの冷たい仕打ち、と悲しみます。
優しい心を持っていないのならどんなに強くても武士としては失格だと怒り、もう肉親の縁を切ると号泣する叔母。困り果てた渡辺の綱。育ての親をむげに帰すことはできない。縁切りも困る。そもそも身内なのだから大丈夫だろうと思った綱は、叔母を呼び入れます。
このへんまでは普通のやさしそうなおばさんです…さあここから徐々に鬼としての正体をあらわしていくわけです。甘い言葉で、綱が羅生門でとった鬼の腕を見せて〜とお願いします。そしてその腕をためつすがめつ眺めた叔母はあっという間に腕を取り返して帰っていったのでありました。

この曲は長唄愛好家の憧れの曲。そしてこの曲を幸せなことに名披露目の時に、ご宗家15世杵屋喜三郎師のお許しをいただき(長唄宗家・杵屋六左衛門家の許しものの一つ)唄うことが出来ました。
さて次回はどんな曲をご紹介しようかしら…まだまだ名曲は続きます。

鐘に逃げた安珍を焼き殺す清姫の図 



長唄・唄方
杵屋 六春先生

 〜歌舞伎からきた日常用語〜
「油断大敵」
これは歌舞伎から来た言葉ではございませんが、手柄をとった渡辺の綱が油断して起こったお話。
皆様もぜひお気を付け下さい!私も気を付けます。

 
  更新日:2017/7/24

【第14回】五條美佳園先生(第4回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第4回〜鑑賞!曾根崎心中〜」

 今回は記憶に新しい半年ほど前のエピソードをお届け致します。
 昨年12月、名古屋市芸術創造センターにて「椿説曾根崎心中夢幻譚」という公演に出演させて頂きました。交響楽団、箏、尺八、琵琶、三味線という和洋のコラボ演奏に、お能と日舞が立方として物語を表現致しました。私は主要キャストである天満屋の遊女お初をさせて頂きました。皆さまもご存知のように、平野屋の手代徳兵衛と心中するお話です。可愛いお弟子さんたちも大勢足を運んでくれました。
 公演1週間後のお稽古日のことです。保育園に通う4歳の女の子が「先生じょうずだったよ」と沢山誉めてくれました。(厳しい芸の道、なかなか誉められることはありませんから嬉しいものです)舞台当日、私が刀で殺められたシーンにショックを受けては可哀想と思ったママが「先生大丈夫かなぁ。」と子どもに声をかけたそうです。すると、
「違うよ、先生は死んだふりをしているだけだから大丈夫だよ。」と逆にママを諭したそうです。4歳にしてなんと冷静に舞台を観ていたことでしょう!


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

 
 今度は1年生の女の子がお稽古に来ました。伏し目がちで何だか元気のない様子。ママに尋ねると、その日の朝から「今日私はだれにお稽古してもらうの?」と何度も聞いてくるというのです。
よほど真剣に舞台を観ていたのでしょう。お初である私は死んでしまったと思い込んでいたようです。「大丈夫よ!先生はこんなに元気よ!」と抱きしめると、安心したのかやっと笑顔を返してくれ、嬉しそうにお稽古を始めたのでした。
 ただ観せられるだけでなく子どもなりに積極的に話を理解し心を動かして、まさに舞台を『鑑賞』していたのだなぁと驚かされました。このような経験が彼女たちの今後にどのように生かされるのかとても楽しみです!

笙(しょう)

笙(しょう)

笙(しょう)
  更新日:2017/7/5
【第13回】柴垣治樹先生(第4回)
 『雅楽の楽器紹介その4【鞨鼓(かっこ)】』

今回で四回目となる雅楽楽器紹介では鞨鼓(かっこ))を紹介します。

[鞨鼓]
雅楽で使われる打楽器です。奏者の正面に横向きに置き、先端を団栗状にしてある桴(ばち)を使って左右両面を打ちます。主に唐楽で使われます。オーケストラの指揮者の役目を持っており、鞨鼓の奏者が桴を手にすることが、他の奏者達に演奏開始を伝達する合図となります。
 鞨鼓は鼓胴と呼ばれる、中央が俄かに丸く膨らんだ円筒形の筒と、叩いて音を出す鼓面と呼ばれる部分から構成されています。鼓面は鉄の輪に馬の皮を貼り付けて作られ、互いの鼓面は張力を増幅させる為に「調緒」と呼ばれる革紐で締め付けられています。調緒を締めたり緩めたりすることで音程を調節します。また、鼓胴の部分は、様々な色で彩色されており、多くは花の模様で描かれています。
 演奏法は、単独で右片方の面のみを打つ「正」と、連続で打つ「来」に大別されて、さらに「来」は、左の桴のみで打つ「左片来(ひだりかたらい)」、右の桴のみで打つ「右片来(みぎかたらい)」と、両方の桴で左右の面を交互に打って行く「諸来(もろらい)」に分けられます。

演奏は難しく、長い年月を掛けて研鑚を積んだ雅楽家でも円滑に演奏することは容易ではないため、楽長もしくは雅楽団体で優れた演奏者が演奏します。

【鞨鼓から生まれた日本語】
 物事の終わりや、興行の終わりを「本日の打ち止め」等といいます。雅楽の舞楽で舞人などが退出し、曲を途中で止める時、式楽で曲の途中で演奏を止める時は鞨鼓の「正」を拍子からずらして打ち「吹き止め句(演奏を止める時のフレーズ)」吹いて演奏が終わります。ここから物事や興行を終わりにすることを「打ち止め」と言うようになりました。




雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生
  更新日:2017/6/1
【第12回】岡崎美奈江先生
 箏曲って? 第3回 『八ッ橋』

私の担当しますエッセイ「箏曲って?」では、第1回は『箏と琴』、第2回は『春の海』をテーマにお話させていただきました。第3回目となる今回は、『八ッ橋』を採り上げたいと思います。

皆さんは『八ッ橋』というと何を思い浮かべますでしょうか。そう、やはり京都土産の定番「生八ッ橋」でしょうか!? 定番の品はもちろん、チョコ、抹茶、苺に桜など、様々な商品が販売されていています。 私も大好きな銘菓ですが、箏曲にたずさわる者は同時に、箏曲の祖と言われる『八橋検校』を思い浮かべます。

八橋検校は1614年生まれ、江戸時代前期に活躍した作曲家・演奏家です。その斬新な感性、改革への行動力は、八橋が現れなければ、日本の箏曲は全く違ったかたちになっていたはずと言われるほどです。ちなみに八橋検校の没年1685年には、西洋音楽の父と言われるバッハとヘンデルが誕生しています。

そんな八橋検校は、京都 洛東・黒谷の金戒光明寺に眠っています。重要文化財に指定されている文殊塔の裏には墓所があり、塔頭のひとつ常光院の前には、「八はしでら」という琴柱をデザインした碑もあります。

銘菓「八ッ橋」は、八橋検校を慕ってお参りにくる人たちのお土産品として作られたお菓子なのです。ただ、それは現在主流になっている「生八ッ橋」ではなく、板状の湾曲した焼菓子の方です。これは琴をイメージした形になっています。「生八ッ橋」派の皆様も、次の機会にはぜひこちらもご賞味ください。



箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
宮城道雄 
八橋検校


  更新日:2017/4/30
【第11回】杵屋 六春先生(第3回)
 長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると〜Vol.3」

第一回はお芝居と曲が絡む「勧進帳」=「オペラ」。
第二回は舞踊と演奏が絡む「京鹿の子娘道成寺」=「バレエ」。
第三回目の今回は「吾妻八景」のお話。文政十二年(1829)に、四代目杵屋六三郎師によって作曲されました。

曲中の三つの長い合方(三味線のみの演奏部分)は単なるメロディではなく、佃、砧、楽と歌詞に沿った表現をしています。本調子を春、二上がりを夏、三下がりを秋と冬で構成され、四季物の多くに共通する旋律と言えましょう。上品な心地よい歌詞とメロディは今日まで愛される大きな要素となっています。
この曲を西洋音楽に例えるならば、ずばり「歌曲」。
そう、主役は演奏者。長唄の演奏スタイルは金屏風の前に緋毛氈を敷いた山台と呼ばれる舞台に正座をして演奏を致します。

今回は写真を自身の舞台写真にしてみました。
主役は私、なのですから。

鐘に逃げた安珍を焼き殺す清姫の図 



長唄・唄方
杵屋 六春先生

 〜歌舞伎からきた日常用語〜
「板につく」
一般には物腰などがその職業や立場に良く合ってくることを言いますが、歌舞伎では役者の芸が(演技)が舞台で調和していることを差します。早く言われるようになりたいな…板についてきたねと。精進致します。

 
  更新日:2017/3/21

【第10回】五條美佳園先生(第3回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第3回〜マシュマロの君〜」

毎回苦しくも(?)楽しく書かせて頂いております私のエッセイも3回目となりましたが、皆さまには少しでも日本舞踊に親しみをお持ち頂いてますでしょうか。

今回は2才の男の子の初舞台エピソードをお楽しみ頂きたいと思います。
ある夏のおどり発表会当日、日舞の先輩でもある3つ上の兄と共に楽屋入りをし、簡単にお化粧もしてもらっていざ舞台袖へ。
まずはお兄ちゃんの勇姿を袖から観察です。格好良いお兄ちゃんの姿を近くで見たかったのか、徐々に身を乗り出して危うく舞台上に出てしまいそうになりました。

大先生に叱られて大泣きした彼は一旦楽屋に戻り気持ちを落ち着けます。暫くして本人の出番が近づいて来た頃、またもや大きな泣き声が…。
待ちくたびれたのかお腹がすいたらしいのです。「踊ってから食べようね」と諭すお母様。
更に泣いて訴える彼。

何とか無事に初舞台を迎えて欲しい私は「何か食べるものはないですか?」
母「マシュマロならあります!」
私「食べさせて下さい!」


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生


一か八かの咄嗟の判断でマシュマロを彼の口に。
そしてそのまま舞台上へ。さっきまで泣いていたことが嘘のように童謡『花かげ』を踊り始めました。傘と扇子を使って最後のキメのポーズをしたその瞬間にお口を少しだけモグモグしてひそかにゴクン!(子ども心に大っぴらに食べてはいけないと思っていたのでしょう。)そして大きな拍手を頂いて笑顔で引き上げてきました。

舞台上で物を食べるなんて言語道断と舞台の神様からお叱りを受けそうなエピソードですが、そんな彼も現在は小学4年生になりました。今もなお日本舞踊を続けている彼にとっては、舞台に穴を空けず最後まで踊りきったことがとても自信になっていることと思います。(もちろん本人の記憶はありませんけど…)

時々親御さんと共にこのマシュマロの話を思い出しては初心に返り、お稽古に励んでおります。そして舞台の神様…本当にごめんなさい
これからもどうぞ見守っていて下さい



笙(しょう)

笙(しょう)
  更新日:2017/2/22
【第9回】柴垣治樹先生(第3回)
 『雅楽の楽器紹介その3【龍笛(りゅうてき) 高麗笛(こまぶえ) 神楽笛(かぐらぶえ)】』

今回で三回目となる雅楽楽器紹介では龍笛(りゅうてき)、高麗笛(こまぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)の3種の横笛を紹介します。雅楽の奏者は三種類の横笛を吹き分けなくてはなりません。

[龍笛]
龍笛は竹製で表側に「歌口(うたぐち)」と7つの「指孔(ゆびあな)」が開いた40センチほどの横笛です。龍笛の歴史は古く中国大陸から伝来し、能管や篠笛をはじめとした和楽器の横笛全般の原型となったと考えられています。また、シルクロードを通じ西洋に伝わりフルートの原型となったともいわれています。
現在では気温の変化の影響を受けにくく、管理もしやすいプラスチック製の初心者用の竜笛もつくられるようになりました。
龍笛は雅楽の楽器としては音域が広く、2オクターブの音域(E5〜D7)を出すことができます。低音から高音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」に例えられ、それが名前の由来となっています。笙が天上の音、篳篥が地上の人の音を表すのに対し、龍笛は天と地を自由に行きかう龍の鳴き声を表現しているのです。
また、合奏の際は篳篥が主旋律を担当し、龍笛はその音域の広さを活かして主旋律に絡み合うように演奏されます。 雅楽の楽曲は通常龍笛のソロ演奏からはじまり、その楽曲の龍笛パートのリーダー(音頭(おんどう)、または主管とも呼ばれます)がソロ演奏を担当します。


雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生

[高麗笛]
高麗笛は、龍笛と同じく雅楽で用いられる竹製の横笛です。朝鮮半島から伝わった雅楽の高麗楽(こまがく)と、平安時代に完成した日本固有の国風歌舞(くにぶりのうたまい)のひとつ東遊(あずまあそび)で使用されます。
高麗笛は表側に6つの孔があり、西洋楽器のピッコロに似ています。音の高さは龍笛より一音高く、F#5〜E7の音域となります。

[神楽笛]
神楽笛は雅楽の御神楽や、一部の近代神楽で用いられる日本古来の横笛であり、大和笛(やまとぶえ)、太笛(ふとぶえ)とも呼ばれます。
龍笛、高麗笛同様に竹で作られており、全長は約46cmで、表側に6つの指孔があります。
音の高さは龍笛より長二度低く、音域はD5〜C7となります。

[雅楽から生まれた日本語:音頭を取る]
雅楽に使用される管楽器は複数で構成されますが、その主奏者を「音頭(おんどう)」と呼びます。
雅楽のほとんどの楽曲は笛の音頭から演奏を始めます。これが転じて『何人かで事を行おうとする時、先頭に立って導くこと』を『音頭を取る』というようになったと言われます。

笙(しょう)
上より神楽笛、龍笛、高麗笛
撮影:吉澤 忍
  更新日:2017/1/30
【第8回】岡崎美奈江先生
 箏曲って? その2  〜春の海〜

 寒さひとしお厳しい折ではございますが、皆さん穏やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 さて、私の担当するエッセイ「箏曲って?」の第1回目では、“箏”と“琴”についてお話しさせていただきました。第2回目となる今回は、箏曲 「春の海」について採り上げたいと思います。
お正月はお箏(お琴)の音色を耳にされる機会が多いのではないでしょうか。百貨店やショッピングモールにはじまり、飲食店など様々な場所でお箏のBGMが流されます。その中でも、いまやお正月のテーマソングの様になっている曲、それが宮城道雄作曲の「春の海」です。曲名はうろ覚えでも、メロディーをお聴きになれば、皆さん必ず『 あ〜!』となることと思います。

 この曲は小学校の音楽の鑑賞課題曲として教科書にも採り上げられていますので、小学生にも知られています。
この「春の海」は1929年(昭和4年)の年末に、翌年の歌会始めの勅題であった「海辺巌(かいへんのいわお)」にちなんでつくられたものです。宮城道雄が、かつて瀬戸内海を船で旅したときの印象に、波の音や鳥の声、漁師の舟唄などを素材にまとめられています。
 当初、箏と尺八の二重奏曲として作曲されましたが、1932年(昭和7年)に来日したフランスの女流バイオリン奏者ルネ・シュメーが尺八の部分をバイオリンに編曲し、作曲者である宮城道雄の箏の演奏とともにレコード化したものが、ベストセラーになったことから、以後、一躍世界的に有名になりました。

 皆さんもどこかで「春の海」をお耳にされた時には、ぜひ春の瀬戸内海をイメージして聴いてみてください。


箏曲演奏家
岡崎美奈江先生
宮城道雄 
宮城道雄
(1894〜1956)


  更新日:2016/12/26
【第7回】杵屋 六春先生(第2回)
 長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると〜Vol.2」

 第一回目では「勧進帳」=「オペラ」のお話をいたしましたが、二回目の今回は長唄の中で二番目に有名な曲「京鹿の子娘道成寺」のお話。(宝暦3年 (1753年)初代杵屋弥三郎作曲)

 桜満開の紀州(現在の和歌山県日高郡日高川町)道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。そこに、花子という美しい女がやってきた。聞けば白拍子(男装の遊女今様や朗詠を歌いながら舞う芸人のこと)だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)は白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫の化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込む。と、鐘の上に大蛇が現れるという女性の恋心が情念、怨念に変わるという物語。これは西洋音楽に例えると「バレエ」。
 バレエとは歌詞・台詞を伴わない舞台舞踊。及びその作品を構成する個々のダンス。音楽伴奏・舞台芸術を伴いダンスによって表現する舞台。この娘道成寺もセリフがなく、地方と言われる演奏者の曲に合わせて舞うため西洋音楽に例えるとバレエの要素を強くもつ演目とされております。他にも「藤娘」などお芝居ではなく演奏のみで舞う演目が長唄の中にはまだまだございます。

鐘に逃げた安珍を焼き殺す清姫の図 
鐘に逃げた安珍を焼き殺す清姫の図
(『道成寺縁起絵巻』土佐光重筆:国重要文化財)



長唄・唄方
杵屋 六春先生

 〜歌舞伎からきた日常用語〜
「三枚目」
一般には滑稽な人、道化の役割を差しますが、江戸時代、関西の劇場では看板の三枚目に道化役を書く習慣があり道化役の別称が「三枚目」となったようです。

 
  更新日:2016/11/24
【第6回】五條美佳園先生(第2回)
 日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第2回〜あこがれの舞台〜」

木々の葉っぱも色づき始め、紅葉の秋…そして芸術の秋ですね。前回のさくらんぼジャンケンに続き、今回は芸術の秋にちなんで舞台観賞をした小さな子どもたちのエピソードをお届けしたいと思います。

 私たち日本舞踊五條流珠園会は色々な舞台に立たせて頂く機会に恵まれています。その中に若手名取が中心となる「桜美の会」がございます。その第2回目の公演が6年前に開催されました。

 当時まだ5才だった小さなお弟子さん(女の子二人)はお稽古を始めて2年目、師匠である私の舞台を観るのは初めてでした。私は創作作品を発表させて頂き、クラッシック音楽と外国映画のテーマ曲を組み合わせたものを使って振付をしました。それに伴い、かつらもあまり古典的すぎないものでと、かつら屋さんとも相談して頭の上にいわゆるお団子を二つ結ったようなものにしました。


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

 踊り終えた後、二人の小さなお弟子さんは目をキラキラ輝かせながら楽屋に会いに来てくれました。
 白くお化粧した私の顔をただニコニコと見つめるだけの二人…。

  それから2ヶ月後、夏のおどり勉強会が開催され、出演する二人は楽屋入りをすると一番に走り寄ってきて言いました。
「先生と同じ髪型にしました
 なんと地毛を二つ分けにして頭の上でお団子にしてあったのです。2ヶ月前の私のかつらを可愛らしく再現していて、よく見ているなぁとただただ感心する私。二人はお母さんに「どうしても」と頼んでその髪型にしてもらい、晴れの舞台を飾りました。

 子どもは素直で純粋ゆえに大人と違った角度から舞台を楽しんでいるのでしょう。子どもなりに感動したり憧れたりすることで想像力や意欲が育っていると思います。
 ぜひ、日本の伝統芸能の舞台にも足をお運び下さい。お子様たちの意外な反応が見られるかもしれません。
私たちも皆さんに楽しんでいただける魅力的な舞台をお見せできるよう努めてまいります。



笙(しょう)

笙(しょう)
  更新日:2016/10/21
【第5回】柴垣治樹先生(第2回)
 『雅楽の楽器紹介その2 【篳篥(ひちりき)】〜大地の音色〜』

名古屋を中心に雅楽の活動をしている主韻会の柴垣治樹です。 前回のエッセイでは笙(しょう)の紹介をさせて頂きました。次に紹介させて頂きます楽器は、雅楽の管楽器の一つである篳篥(ひちりき)です。篳篥は奈良時代初期に中国(当時は唐)から伝来した縦笛の一種です。

昔は小篳篥と大篳篥がありましたが、平安時代以降大篳篥は用いられなくなり、現在雅楽で使われているのは、小篳篥です。現在のものは、長さ6寸(約18センチ)の竹管の表に7孔、裏に2孔をあけ、上端に蘆(あし)製の舌(リード)を挿入し演奏します。舌はダブルリードになっており、オーボエの構造に似ています。
一説では、篳篥の原型とされる西アジアの葦笛が西洋に伝わりオーボエが生まれ、東洋では篳篥が生まれたとも言われています。篳篥は雅楽の主旋律を受け持ちますが、音域が1オクターブくらいしかないため、装飾的な奏法が発達しています。代表的なものが塩梅と呼ばれる奏法です。篳篥は舌が大きいため、同じ指使いでも舌のくわえ方によって3律前後の幅があります。この特徴を生かしてポルタメント的に演奏する技法を「塩梅」と言います。この奏法は、指の押さえ方を変えずに、同じ孔の音でも吹き量や唇の位置を加減することで音程に幅(高低やスラー)を出すものです。また、篳篥を演奏する際は舌を湿らせて吹きやすくする目的から、温かいお茶(シブのあるもの)に浸けるのが良いとされています。なお、笙の音色が天上から差し込む光を表すとされているのに対し、篳篥の音色は地上で生活する人間の声を表していると伝えられています。



雅楽演奏家/
雅楽企画者主韻会代表
柴垣 治樹先生

「雅楽から生まれた日本語:塩梅(あんばい)」

物事の加減や具合を意味する言葉に塩梅があります。料理の味付けが上手くいったときなどに『塩梅が良い』などと言いますね。
一般的には、料理の際の塩と梅酢の加減が語源だとされていますが、じつは古来より、雅楽においても、先ほどご紹介したように、篳篥には塩梅という奏法があり、それが語源になったとも言われています。ちなみに「あんばい」ではなく「えんばい」と読みます。     
絶妙な音程を聞いて[良い塩梅だね〜]から、物事の具合や程よい加減の時に使われる言葉となり、「えんばい」から少し変化して、 「あんばい」という言葉が生まれたとのことです。



笙(しょう)
撮影:吉澤 忍
  更新日:2016/9/26
【第4回】岡崎美奈江先生
 箏曲って? その1 〜箏と琴〜

 お箏(おこと)って、「なんだか敷居が高そう」、「難しそう」、そんな印象をお持ちではありませんか?

 そこで私は、古くは奈良時代に遡る日本の伝統楽器“お箏” をもっと身近なものに感じていただけるよう、普段からよくご質問いただく事柄なども交えながら、お話させていただきたいと思います。
ところで、皆さんは、お住いや職場のお近くで【箏・三絃教室 生徒募集】【琴・三味線教室 生徒募集】といった看板をみかけたことはありませんか? 「箏」と「琴」、一般的には、どちらも(こと)と読まれます。
 ですが、正しくは「箏」は(そう)、「琴」は(きん)と読み、「お箏」と書かれた場合には(おこと)と読みます。その理由は、以前は「箏」の字が常用漢字に含まれていなかったことから、代わりに「琴」の字を当てることが多かったため、現在でも混用されるようになったものと考えられます。
 しかし、「箏」(そう)と「琴」(きん)は、本来全く別の楽器です。両者の最大の違いは、「箏」は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で絃の音程を調節するのに対し、「琴」は柱が無く、絃を押さえる指のポジションを変えることで音程を調節する楽器だということです。
なお、現在一般的に「箏」は十三本の糸を張った十三絃の箏のことを指します。

【箏に琴柱あり、琴に琴柱なし】
このように覚えていただくと分かりやすいかと思います。

 ちなみに、「琴」というのは、そもそも昔は絃楽器の総称でした。実際、平安時代に書かれた源氏物語にも「箏(ソウ)のコト」「琴(キン)のコト」「琵琶(ビワ)のコト」という記述があります。


箏曲演奏家
岡崎美奈江先生

勧進帳の一場面より 左から義経、弁慶、富樫(歌川国芳作)
江戸時代中期の源氏物語屏風絵より
左から箏をひく光源氏、琴をひく女三宮、琵琶をひく明石の君



  更新日:2016/8/18
【第3回】杵屋 六春先生
 長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると〜Vol.1」

 長唄ってなんだか難しそう。歌詞も解りにくいし意味不明だわと思っていませんか?

 日本の音を代表する三味線音楽の中で、最も華やかなのが長唄。長唄は江戸時代後期に歌舞伎の伴奏音楽として発展してきました。舞台の幕が上がり、正面にずらりと並んだ奏者が長唄方と説明すれば、なじみが無い方でもお分かりいただけるのではないでしょうか。

 長唄の中で最も有名な曲と言えば、
歌舞伎十八番「勧進帳」<天保11年(1840)四世杵屋六三郎作曲>。   勧進帳の一場面より 左から義経、弁慶、富樫(歌川国芳作) 


長唄・唄方
杵屋 六春先生

 源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の安宅の関(現在の石川県小松市)でのお語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。辿り着いた関所で、弁慶は焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると言う。
 しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行罷りならぬと厳命する。そして富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる。なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問いただすが、弁慶は淀みなく答える。富樫は通行を許すが、部下の一人が強力(ごうりき、義経)に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、その疑いを晴らす。
 危機を脱出した義経は弁慶の機転を褒めるが、弁慶はいかに主君の命を助けるためとは言え無礼を働いたことを涙ながらに詫びる。義経は優しく弁慶の手を取り、共に平家を追った
戦の物語に思いを馳せる。 
 そこへ富樫が現れ、先の非礼を詫びて酒を勧める。それに応じて、弁慶は酒を飲み、舞を披露する。舞いながら義経らを逃がした弁慶は、笈を背負って富樫に目礼。
 主君の後を急ぎ追いかける。弁慶の義経に対する忠義心に感銘を受けた富樫。三者が織りなす「智・仁・勇」の感動の物語として名高い演目でありますが、これは西洋音楽に例えると「オペラ」。
 オペラとは演劇と音楽で構成される舞台芸術。勧進帳もお芝居と音楽の掛け合いで構成されており、西洋音楽に例えるとオペラの要素を強くもつ演目とされております。皆さん良くご存じのオペラ「蝶々夫人」には、長唄の名曲の一つ「越後獅子」の一節が使われております。こんなところでも長唄はオペラとも繋がっているんですよ。


「弁慶の泣きどころ」
「泣きどころ」は、普通は向こうずねを指す。
弁慶ほどの豪快な人でも蹴られると痛がって泣く場所の意から、転じてその人の急所のことをいう。

 
  更新日:2016/7/29
【第2回】五條美佳園先生
 『日本舞踊 ちびっこほのぼのエピソード集 第1回 〜さくらんぼジャンケン〜』

皆さまは日本舞踊をご覧になったことはございますでしょうか。

日本の伝統芸能の一つでありながら、あまり関わることのない世界と感じる方もいらっしゃるのではと思います。
未来の担い手である小さな子どもたちがふとしたきっかけで日本舞踊を始めて、日々お稽古に励んでいます。そんな子どもたちの微笑ましいエピソードをご紹介させて頂き、皆さまに日本舞踊により親しみをもって頂けたらと思っています。どうぞお気楽にお付き合いくださいませ。

私たち日本舞踊五條流珠園会は、月に1度、老人福祉施設を訪問して日本舞踊を踊らせて頂いております。特に園児や小学生の踊りは入居者の皆さまにとても喜ばれ、子どもたちにとっても貴重な体験です。


日本舞踊五條流師範
五條美佳園 先生

 ある日、小学生のお姉ちゃんのお稽古に毎週付いてきていた5才の男の子から「ぼくもおどりのおけいこやりたい!」と嬉しい告白。早速お母さんに浴衣の用意をしてもらいお稽古が始まりました。

とても集中して真剣に楽しく踊る彼に、
 私「どうして、にちぶをやりたいと思ったの?」
 子「だって“さくらんぼジャンケン”がしたかったんだもん……。」
 私「さくらんぼジャンケン??」
 子「だってさ、お姉ちゃんが“がんばって踊った子しか、
   さくらんぼジャンケンしたらいけない”って言うんだもん……。」

 実は施設訪問の後、がんばったごほうびに出演者皆で喫茶店に行き、デニッシュ生地のパンにソフトクリームとシロップをかけたお菓子(名古屋発のアノ喫茶店の名物。ご存知の方も多いかも?)を食べることが恒例となっているのです。
子ども達には大きすぎるのでみんなで分けあうのですが、付いてくるさくらんぼはたった1つ……。その1つを誰が食べるのか、子どもたちは毎回ジャンケンで決めていたのです。そのジャンケン大会に参加するため、日本舞踊のお稽古を始めることを決意した5才児…。

 可愛らしくてほほえましいきっかけではありましたが、いざ始めてみると彼はどんどん日本舞踊が好きになりました。
「着物が着たい」
「お化粧したい」
「さくらんぼが食べたい」
どのようなきっかけであれ、日本舞踊をやってみたいと思って始めてくれた子どもたち、それを暖かく送り出してくださる親御さんたちに心より感謝しています。

  更新日:2016/6/22
【第1回】柴垣治樹先生
 『雅楽の楽器紹介 その1【笙(しょう)】〜天から差し込む光を表す音色〜』

皆さん初めまして。名古屋を中心に雅楽の活動をしている主韻会の柴垣治樹です。

さて、突然ですが、皆さんは日本で一番歴史の古い伝統芸能は何かご存知ですか?
その答えは、1,500年以上の歴史を誇る“雅楽”なんです。雅楽は日本の重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産にも指定されています。
とはいえ、雅楽をよくご存知でない方も多いと思いますので、まずは雅楽で用いる楽器を紹介させて頂きたいと思います。最初にご紹介するのは笙(しょう)です。 
笙は、奈良時代に雅楽とともに大陸から伝わった楽器です。笙の形は翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられ、鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれます。

頭(かしら)と呼ばれる部分の上に17本の細い竹管を円形に配置し、竹管に空けられた指穴を押さえ、頭の横側に空けられた吹口より息を吸ったり吐いたりして、17本のうち15本の竹管の下部に付けられた金属製の簧(した:リード)を振動させて音を出します。
これは西洋のパイプオルガンのリード管と同じ原理で、一説には笙がパイプオルガンのルーツであるともいわれています。また、ハーモニカ等とは異なり、吸っても吹いても同じ音が出せるため、他の吹奏楽器のような息継ぎが不要で、同じ音を鳴らし続けることが可能
なことも大きな特徴です。
現代では雅楽に留まらず、管弦楽や室内楽の楽器や、声楽曲の伴奏楽器として用いられることもあり、様々な分野で笙の音が活躍するようになっています。

笙(しょう)
撮影:吉澤 忍
「笙から生まれた日本語」
風流を解さない、人情の機微がわからない人を野暮な人、と言いますね。この野暮、最近ではあまり耳にしなくなりましたが、実は笙が語源です。笙は17本の竹管を組み合わせた構造でなんとも雅な和音を奏でます。この17管にはそれぞれ音階が割り当てられ、1管ずつ名前がつけられています。その中で也(や)と毛(もう)という2管は長い年月の間に音的に省かれてしまったようで管として存在はしていても何と音が出ません。そう、ただそこにあるだけなんです。ここから「や・もう」は無駄なことを意味するようになり、「やもう」が「やぼ」になり、「野暮」になったと言われています。
雅楽演奏家・雅楽企画者
主韻会代表 柴垣治樹
雅楽演奏家・雅楽企画者
主韻会代表 柴垣治樹先生
  更新日:2016/6/16



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