伝統文化アドバイザー 連載エッセイ

【第14回】華房 小真先生
端唄って何?其の三

今回は歌舞伎の挿入歌としての有名な端唄小唄を取り上げてみます。以前にも書きましたが、端唄小唄は江戸時代の流行歌ですので、歌舞伎やその他の芝居の中でも使われています。すでに流行している歌を挿入しているものもありますし、その芝居の為に作詞作曲されたものもあります。
 5月ですので、夏芝居皐月興行の中から取り上げてみたいと思います。夏の有名な歌舞伎ですと髪結新三、桂川、夏祭、累など沢山ありますが、その中で芝居を離れてひとり歩きしている有名な曲があります。
 桂川の「お伊勢参り」、累の「からかさ」、この二曲は、30秒くらいの曲ですが、端唄小唄の代表格、ポピュラー的存在の曲です。お稽古を初めた方が必ず最初に習うといっても過言ではありませんし、お稽古されていなくてもご存じの方も多い曲かと思います。
 ご紹介する「お伊勢参り」の曲の元となったのは、「桂川連理柵」(桂川)という物語です。諸説ありますが、実際あった上方のお半長右衛門事件を元に心中事件として戯曲化、人形芝居や歌舞伎となり、「お伊勢参り」という端唄小唄にもなりました。長右衛門45歳、お半14歳。
 仮に現代としてもとてもスキャンダラスな内容ですが、哀しく道ならぬ恋、数奇な人間模様、心中までのただならぬ展開が江戸時代の人々の心をとらえて離さない物語となり、芝居や端唄小唄として歌われ後世に伝わりました。
 「お伊勢参り」というこの曲は、現在ではその物語背景よりも楽曲のテンポの良さにより、初心の三味線音楽を親しむ曲のひとつとなっています。
 このように芝居と端唄小唄の関係性は深く、歌舞伎や芝居を更に身近に、また、より楽しむことのできる邦楽です。
 〽
 お伊勢参りに石部の茶屋であったとさ
 可愛い長右衛門さんの岩田帯締めたとさ
 えっささの えっささの えっささのさ

写真:華房 小真先生

端唄 華房流 華の会
二代目家元

華房 小真先生

更新日:2024.04.12

【第13回】加藤 条山先生
間(ま)の文化

 尺八という楽器は、昨今様々なジャンルで使用されますが、明治以降、主に三曲界という世界で演奏する事が多いです。
 三曲合奏と言うのは箏、三絃、尺八で合奏する事をいいます。基本は各一名ずつで演奏するのですが、勿論各パートが多くなり多人数で演奏される事もあります。現在の演奏会等では大勢で演奏することの方が多いようです。

 さて、三曲合奏ですが、三人が殆ど横一線に並んで演奏するので、これが大変!
地歌と言われる江戸時代から脈々と受け継がれている曲の前唄になりますと一拍一拍の長さが微妙に違い、それをピタリピタリと息を合わせてゆくのです。海外の方が聴かれた時に指揮者もいないのに何故あんな風に合うのか?と不思議に思われるようです。
 演奏する私たちも緊張感を持ち、神経を研ぎ澄まして演奏するのですが、それがピッタリと合った時には本当に心地がいいのです。ところがその感覚というのはかなりの経験が必要で、均一なリズムの曲に慣れ、何でもデジタル化した時代にはマッチしないのかもしれません。
 日本の芸の「間(ま)」とか「呼吸」という、ある種曖昧ではっきりしない部分は、数値で表す事は出来ないと思います。ですが、奏者同士が気持ちを一つにしたり、他者を思いやる意思がある演奏、というのが心地よさに変わるのかな、とも思います。これは実際のコミニュケーションとも変わりませんね。
 
私も、邦楽器に携わる人間として、間や呼吸の文化を大切にしてゆきたいと思います。

  • 「加藤条山リサイタルⅣ」より

写真:加藤 条山先生

都山流尺八竹琳軒
大師範

加藤 条山先生

更新日:2024.04.12

【第12回】石田 巳賀先生
「花に恋して~弥生」

穏やかな日ざしに、いつしか春の訪れを感じるこの頃。色とりどりの春の花が咲き始めました。桜の開花の知らせも、もうすぐです。今回は、桜の話をします。
「桜前線」という言葉がありますね。天気予報で発表される桜の開花情報は、世界でも珍しいことだそうです。それだけ日本人は、「花」といえば桜を指すくらい愛してきました。「桜」という言葉の語源は、『古事記』や『日本書紀』に登場する春の豊穣の女神様「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」からきています。神木とし、昔の人々はその満開の花の下に集いて神と歌い踊り楽しむ「神楽(かぐら)」を行ってきました。今では、広くお花見として楽しまれていますね。
その花言葉は「佳人(優れた美人)」や「高潔」。ですが、「木花開耶姫命」が短命であったため、「美人薄命」という言葉も生まれてきました。
写真の作品は、八事にある「興正寺」で撮影した作品です。花材は、白い花の大島桜・ピンク色の河津桜・椿。春の訪れと一斉に命が咲く喜びを表現し生けました。桜の花びらの色は種類によって少しずつ違い、微妙な色が本当に美しいです。
最後に、松尾芭蕉の句を一句。
「さまざまの事おもひ出す桜かな」(笈の小文)
今年の思い出づくりに、まだ出会っていない桜を探しに行きたいと思っています。
【花いけワンポイント】桜など木に花が咲く枝物は、水につかる部分の木の皮を削ると水がよく上がり長持ちします。

写真:石田 巳賀先生

華道石田流
四代家元、華道家

石田 巳賀先生

更新日:2024.02.12

【第11回】華房 小真先生
端唄って何?其の二

本回の2月号執筆中、元旦より能登半島を震源とする大地震が起き、甚大な被害が広がり1週間以上経った今も尚復旧は困難を極めています。被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
斯様な事態に私自身は無力感に苛まれますが、この連載記事を通して令和6年元旦からの現状を記しておかなければと思い至り、誌面をおかりいたしました。
 端唄は、江戸時代の詠み人知らずの流行歌であり三味線小歌曲ですが、これが流行する中、江戸時代末期に端唄を母体として小唄・歌沢の姉妹が誕生。今回は、小唄が生まれた背景と時代を簡単にご紹介します。
 小唄第一号の曲「散るは浮き」が誕生したのは、この度の大地震のように、1855年前後に日本各地で連発した震度6強の安政大地震による混乱の真っ只中でした。各地で甚大な被害をもたらす中、この小唄を世に出した「お葉」は、当時16歳。父の清元延寿大夫を1855年11月に亡くし、先行きが見えない世の中で、一門を率いていかなければならない長女お葉の胸の内はいかばかりであったかと察して余りあります。幕末から明治へ移る激動の時代で思想や価値観が大きく変わっていった時代です。
 このような時世でありながら時代を超えて歌い継がれる「小唄」というジャンルを生み出したお葉の才能・勇気・エネルギーに敬服いたす思いです。小唄第一号「散るは浮き」は、亡父と縁の深い松江藩松平不昧公の和歌をお葉が改作し、作曲。他の三味線音楽は撥を使用して演奏する中、楽曲を早間で更に軽妙洒脱な音色にして「つめ弾き」という小唄の特徴的で画期的な奏法を取り入れました。
 小唄が誕生してから約170年。多くの時代の荒波をくぐり抜け、一つの曲が人から人へ歌われ続けてきたことを思うと、この先もまた端唄・小唄が、時代を超えて歌い継がれていく工夫をしなければと改めて感じております。

写真:華房 小真先生

端唄 華房流 華の会
二代目家元

華房 小真先生

更新日:2024.01.12

【第10回】加藤 条山先生
やっとかめ文化祭

 11月4日、名古屋市の恒例行事である「やっとかめ文化祭」に民謡、津軽三味線の方々と共に、我々尺八も参加させて頂きました。皆さん、素晴らしい熱量の演奏でした。
 まず、企画の段階で、事業団の方から「若い方達で女性も入って頂けるといいですね」とアドバイス頂き、当初は女性が集まるか不安でしたが、私を含め尺八を生業とする演奏家が4名(内女性1名)、大学生1名、大学院生1名、社会人の女性2名、女子高生1名の9名で本番を迎えることができました。若い奏者のプロアマ混合で吹くということで、老婆心もあり、上手くいくかと心配しましたが、皆さん堂々と演奏され、私の心配は杞憂となり一安心。当日、楽屋でメンバーと会話をしてみると「こういった演奏する機会はなかなかないので嬉しい、どんどん演奏したい!」と前向きな意見が出てきました。         
 本来、舞台や人前での演奏は、練習では感じられない緊張感があり、恐怖と喜びは紙一重だったりします。しかし、若いメンバーがそれを困難とも思わず前向きに楽しく、演奏に向き合ってくれるのは、私にとってもポジティブで、とても嬉しいことです。        
 尺八に限りませんが、名古屋にも、プロアマ問わず血潮たぎる若い演奏者が沢山います。私も地元名古屋の演奏家として、若いプレイヤー達を牽引できるよう、熱い気持ちで演奏する機会を作ってあげられたら嬉しいです。

  • (写真:服部義安)

写真:加藤 条山先生

都山流尺八竹琳軒
大師範

加藤 条山先生

更新日:2024.01.04

【第9回】國分 入道光雲先生
和太鼓の力~Part2~

(前回の続きとなります)

さて、飛鳥師匠の気合に押され気味の素人集団、大変なのはここからでした。
小競り合いなどは収まったものの、111人すべてがセンスがあるかと言えば、中にはぎりぎりでオーディションを合格した者も。
設楽打ち(一定のリズムで太鼓を打つ)例えば4分の4拍子で有れば一小節の中でドンドンドンドンと四回打つ、そしてこれを8小節16小節32小節と繰り返していく練習があります。普通で言うと(あくまで私の感覚なのですが)単純作業の繰り返しに感じますが、これを安定して打てない人もいる。
さらに倍の4分の8 4分の16になると手が回らなかったりリズムが安定しなかったり、本来であればこの練習をしっかりやって安定してから曲の練習に入るわけですが、111人に2か月で7分近くの曲を仕込むのですから、そんなことも言っていられない。
自分で言うのもなんですが、比較的リズム感の良い私は何の問題もありませんでしたが、当時素人の私から見てもこれは大変だぞと感じていましたし、今思うなら、飛鳥師匠よくこのハードルが高すぎる指導を受けたと、改めてそのすごさを感じています。
覚悟がなければ到底出来ることではなく、だからこそ、「スタートで行き成りつまずく暇はない」その思いがあの一言に凝縮されその責任感と、心粋に我々は心動かされたのでしょう。
しかしこの111人のメンバーの良いところは、この人に着いていこう、この人と共に結果を出そう、そう思うと一気の方向性が統一され、中途半端ではなく、とてつもない力を発揮していくのです。
某暴走族のリーダーの一言で、すべてのメンバーが一気の動き出す感じ・・・・わかりますよね。
もちろん飛鳥師匠のカリスマ性もありましたが、ともに指導に入っていた「あすか組」の現役プロメンバーの一人一人の人間性、そして、何よりも、我々が名古屋ドームで演奏するための曲のイメージをつけるために、指導者メンバー4人でしたが、この曲を演奏してくれたその姿に、一同が感動を覚え、演奏が終わったとたんに、111人からの感動の拍手と歓喜の声が湧きあがりました。
なかには涙まで流すものも。かくなる私もその一人でしたが(笑)
そして最後にはアンコールの声が上がり、そのアンコールの声に飛鳥師匠がこう答えました。
「ただで見せるのは、今回だけや、続きが見たいなら・・・〇月〇日開催のコンサートへぜひお越しください」
関西人らしい落ちのきいた一言に全員が大爆笑。
でもこの和霊の中で、自分達111人が、あの名古屋ドームで今の曲を演奏する、その時、何が起こるかを想像した時にはワクワクが止まりませんでした。
しかし、まさか自分の人生がこの時、ここまで大きく変わってしまうことを想像することはできませんでした。

写真:國分 入道光雲先生

和太鼓奏者

國分 入道光雲先生

更新日:2023.11.10

【第8回】石田 巳賀先生
花に恋して~11月

 菊花薫る季節になりました。11月は秋の花を代表する菊の花が旬を迎えます。桜と並び日本の国花で、とても馴染みのある花ですね。今回は、菊の話を少し。
 写真の作品は、G20愛知・名古屋外務大臣会合夕食会(撮影日:2019年11月22日)でいけた作品のひとつです。花材は、カガリベンギク・ウメモドキ・モミジ。花びらの先端に突起があるカガリベンギクは、愛知県と国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構との共同育成品種で、ベストフラワー(優秀賞)を受賞されています。とても可憐で、和風・洋風どちらも似合い、現在は、白・紫・黄色が開発されています。他の色も、今後期待できそうですね。
 菊の花言葉は「高貴」「高尚」「高潔」。皇室の紋章に用いられています。原産は中国。平安時代に日本に伝えられました。不老長寿の霊性があるといわれ、数多くの詩や能の演目の題材になっています。少し紹介しますと、陶淵明(とうえんめい)の漢詩に「秋菊有佳色」の一説や、能「菊慈童(枕慈童)」などがあります。紫式部は、夕刻、菊の花に綿をかぶせ(菊の着せ綿)、朝露に濡れたその綿で顔をぬぐいアンチエージングしていたとか。
 凛とした大輪の菊も美しいですが、自然に咲く小さな野菊も可愛らしいもの。菊花の香を楽しみながら、お部屋に飾ってみてください。

【花いけワンポイント】菊をいけるとき、葉の模様の美しさを生かしてみてください。

写真:石田 巳賀先生

華道石田流
四代家元、華道家

石田 巳賀先生

更新日:2023.10.18

【第7回】華房 小真先生
「端唄」って何?其の一

小唄という言葉はちらっと小耳に挟んだことはあるけれど、端唄(はうた)というジャンルは初めて聞きました。という方が案外多くいらっしゃいます。
今回は、私が専門とする邦楽の一つである「端唄」を、数回にわけてご紹介させていただきたいと思います。
端唄は、わかりやすく一言で言うと江戸時代の流行歌「はやり唄」です。上方端唄、江戸端唄があり、現在は「端唄」と称しています。
曲の長さは、約30秒から長くて4分くらいの三味線を伴奏とする室内小歌曲です。端唄の「端」とは、通り過ぎるくらい早いもの、さっーと流行したなど「粋な」とか「カッコいい」といった意味だったそうです。
端唄の短い歌詞には、風情・心情・人情がちりばめられ、和心が巧みに現されています。文学でいうとポエムや短歌・俳句などの表現に近いものがあります。
民謡・俚謡が地方文化の反映であるなら、端唄は都会的で洗練された味わいがあります。

「はうた」という文字は、すでに江戸時代1650年頃の唄本の中に見受けられますが、平和な世の中となり文化が爛熟していくと、一般庶民の生活も豊かな時間を享受する時代がやってきます。三味線音楽も身近な存在になり、たくさんの楽曲も生まれ、庶民もお武家さんも老若男女を問わず愛唱されていきました。
また、端唄は、その曲の元唄の歌詞に対して、歌詞の異なる替え歌がたくさんあるのが特徴的で、曲名は、ほとんどがその曲(元唄)の歌詞の歌い出し部分が曲名となっています。
江戸時代は、ほとんどの曲が作詞作曲者不明の「詠み人知らず」です。
明治になるとようやく作詞作曲名が記してある曲も出てきます。 
端唄は、歌舞伎、芝居音楽の挿入歌や落語の出囃子にも演奏されています。歌舞伎、芝居では
バックミュージックとして、短い楽曲の中にその場面ごとの状況描写や心情がしっかり表されているので、歌舞伎などを観劇されるときには、挿入される端唄の歌詞や三味線にも耳を傾けて頂くと、違う楽しみ方もできるかと思います。
様々な三味線音楽がある中で、端唄は邦楽の入門編にぴったりの身近な存在となる伝統音楽です。

写真:華房 小真先生

端唄 華房流 華の会
二代目家元

華房 小真先生

更新日:2023.09.09

【第6回】加藤 条山先生
「これ楽譜?」

皆さんの中には、楽器は演奏してみたいけれど、五線譜はちょっと、という方も少なくないと思います。音楽の授業で五線譜を見た事があるけど、よくわからなかった……という小さい頃の経験が苦手意識を生み出しているかもしれませんね。
さて、洋楽器はご存じの通り五線譜表記ですが、殆どの邦楽器(和楽器)には独特の楽譜があります。
それらは文化譜、と呼ばれます。ここでは尺八の楽譜を紹介させて頂きます。

写真の通り、尺八の楽譜は「ロツレチハ」という基本五つのカタカナで表記されています(流派によって異なります)。少し変わった表記ですよね。このカタカナは、それぞれが指の塞ぎ方を示しており、「ロ」が最も低く、「ハ」が最も高い音となります。
例えば「ロ」とあれば全部の穴を押さえ、「ツ」とあれば、一番下の孔のみ開けて……という具合で決して難しくはありません。
ロツレチハの五つの運指を覚えられるかな、と不安に思われるかもしれませんが、小学生の子でも数回吹けば自然と覚え、演奏していますよ。

さて、日本の音楽には、この「ロツレチハ」が多く使われています。
ピアノの音階に直せば「レファソラド」という音の並びです。
是非ご自宅等にピアノがある方、順番に音を弾いてみてください。とても日本らしい音楽が流れるはずです。
日本中の民謡はこの「ロツレチハ」で殆どが演奏できますし、最近流行った「千本桜」などもこの「ロツレチハ」の音階で描かれています。
音楽の事を知らなくても、この音階は日本風だな、と感じるのは、我々が元より日本人だから、でしょうか。

ロツレチハ、レファソラド、が琴線に触れた方は、是非和楽器でも、一度奏でてみて下さいね。

写真:加藤 条山先生

都山流尺八竹琳軒
大師範

加藤 条山先生

更新日:2023.09.01

【第5回】國分 入道光雲先生
「和太鼓の力」

太鼓の音がどこからか聞こえてくると、なぜかドキドキして、どこから聞こえてくるか気になってしまう。そんな思いをする人は少なくないと思います。
和太鼓の音には何か人を引き付け、そしてドキドキさせるそんな力があるのでは?
ではその音の響きはどのようにして生まれてくるのか、そしてどんな力があるのでしょうか?
今回は私が和太鼓を始める切っ掛けと供にその力の源に迫ってみたいと思います。
少し長くなりますので文字数の関係上、何回かに分けてまいりますが、お付き合いください。
1998年11月名古屋ドームで開催された文化イベント、世界青年平和文化祭。
私はこの文化祭のファイナルの演目「和太鼓演奏」に20代の元気のよい青年をブッキングする役目を担うことに成りました。
皆さんにとって和太鼓打ちのイメージってどんな感じでしょうか?
屈強な若者が、鉢巻きを締め、法被を着こみ褌を締め込、勇ましくも賑やかに太鼓を打つ姿が思い浮かぶのではないでしょうか。
近所の若者に声をかけるも、みんな「和太鼓?ってなにするんですか?」という感じ、
もちろん、当の私も何と無くのイメージしか無く、最初は飲みに連れて行き、口説き落としたり、当時私は32歳、男としては一番血気盛んな年代、20代など、ガキ扱いでしたから、今で言う、パワハラもどきで、強引に参加させるなどしながらも、数十人集めていく内に、何か・・・俺も太鼓やろうかな・・・
そんな気になってしまい、オーディションカードを手に入れ、年齢詐称して、彼らと供にオーディションに紛れ込みました。
結果は見事合格、私が推薦したメンバーも全員合格し、春日井軍団(地元が春日井市なので)の結成です。
今回、名古屋ドームという巨大なステージでの演奏、春日井だけでなく、愛知・岐阜・三重からも青年達が集い、なんト111名の太鼓打ち、ただし全員が素人(笑)の大集団が生まれました。
やはりご想像のとおりこの大素人集団、体つきがゴツイ奴らばかり。
いわゆるガテン系から始まり、スポーツ関係者、武道系、格闘技系そして元ヤン、体つきも服装も考え方も自己主張が強い者ばかりが見事に集まりました。
それも20代ばかり、最初の説明会から、あちら、こちらですぐに小競り合いが勃発。
運営スタッフが右往左往している中、いよいよ今回、我々に和太鼓の指導をしていただく、50代と思われる、細身で、どちらかというと小柄な、男性が、上下黒のジャージに雪駄を引きずりながら登場です。
スタッフの声に耳を貸さない連中が騒ぐ中
壇上に、凛とした気迫をまといつつも穏やかな立ち姿で登場したこの男性でしたが、マイクを持つといきなり。
「おまんらガタガタ抜かすんやったら、わしが勝負したる!この壇上に上がってこんかい!!」の一喝。
一瞬にして会場がシ~~~~ンと静まりました。
本来なら運営側に回っていたはずの私、この混乱にいらいらしており、それこそブチかまそうと思い立っていたその時のこの一喝。
「この人・・・かっこいい・・・」
そう思わせてくださったのが私を和太鼓の世界に誘ってくださった「飛鳥大五郎」という男との出会いでした。
(次回へ続く・・・)

写真:國分 入道光雲先生

和太鼓奏者

國分 入道光雲先生

更新日:2023.08.01

  1. 1
  2. 2
  3. next