伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第52回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第13回「さらし」

今回は地唄箏曲「さらし」について取り上げたいと思います。「さらし(晒)」とは、皆さんがご存知の、織物や糸から不純物をとりのぞき漂白する工程、また漂白された糸でできた織物のことです。現代では過酸化水素水や晒粉を用いて化学的に色素を抜く手法がとられるようですが、古くは積雪と日光を用いた「雪晒」(ゆきざらし)、天日と水を用いた「野晒」「天日晒」、川の水に浸す「布さらし」などの伝統的な手法もあり、そのままでは染色に適さない木綿や麻に対して行われました。
箏曲・地唄には、深草検校(ふかくさけんぎょう)作曲の「さらし(または古さらしともいう)」という曲があります。宇治川の水で布をさらして漂白する布ざらしの情景描写を主題とした曲です。
この曲をもとに、のちに長唄「越後獅子」や舞踊曲などに取り入れられ、歌舞伎囃子にも「さらしの合方」が考案されました。箏曲でも様々に変奏され、宮城道雄作曲「さらし風手事」、中能島欣一(なかのしまきんいち)作曲「さらし幻想曲」など大変人気のある曲です。

[歌詞]
一 槇の島には、晒す麻布(あさぬの)。賊(しず)が仕業(しわざ)は、宇治川の、
  浪か雪かと白妙に、いざ立ちいでて布晒す。
  鵲(かささぎ)の渡せる橋の霜よりも、晒せる布に白味あり候。
  のうのう山が見え候。朝日山に、霞たな引く景色は、
  たとへ駿河の富士も物かは、富士も物かは。

二 小島が崎に寄る波に、寄る波に、月の光を映さばや、
  映さばや。見わたせば、見わたせば、伏見、竹田に淀、
  鳥羽もいづれ劣らぬ名所かな。

三 立つ波は、たつ波は、瀬々(ぜぜ)の網代(あじろ)に遮(さ)へられて、
  流るる水を堰き止めよ、流るる水を堰き止めよ。
  所がらとてな、所がらとてな。
  布を手ごとに、槇の里人打ち連れて、
  戻らうやれ、賊が家へ。

  • 布ざらしの情景

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2020.08.19

【第51回】杵屋 六春先生(第13回)
長唄名曲紹介~Vol.13「あの食べ物が長唄に!?若き演奏家のチャレンジ編」

今回は江戸時代に大きく発展した長唄が大変身!?令和の御代に、みんなが大好きな「カレーライス」の唄を作曲し、YouTubeにアップしたところ大変な話題となった若き演奏家にスポットを当ててみた。
三代目・杵屋佐喜さんは、長唄の名門・七代目杵屋佐吉氏の次男として生まれ、幼少時より、そうそうたる長唄の名人達から英才教育を受けて育ってきた。玉川大学文学部芸術学科、声楽専攻を卒業し、西洋音楽の教育も受け、音楽をオールマイティに学んだ佐喜さん。
歌舞伎や日本舞踊の地方(伴奏者)として数多くの大舞台で演奏してきた彼には、ある思いがあったという。愛する長唄をもっと面白く!分かりやすく!親しみやすく!もっと一般的に認知してもらいたい。そんな思いから、2017年曽祖父・四代目杵屋佐吉氏作曲の童謡を一冊にまとめた、「三味線でうたおう!子どもと楽しむ長唄童謡~CD付~」を出版。
次に、もっと長唄を発信することは出来ないかと温めていた企画を発表した。それが「カレーライスの唄」である。
カレーが長唄になるの?そんな筆者の思いを、良い意味で裏切る、楽しさ、わかりやすさで、古典芸能特有の難しさや近寄りがたいイメージを払拭した曲調となっている。また登場する可愛い女の子と動物たちのアニメーションも必見。
外食の活性化で本格的なスパイスカレーが身近に食べられるようになった昨今。しかし日本人の心の中には、母の味として親しまれてきたカレーライスが存在する。
コロナ禍の中、自粛、休校、コンサートやイベントの中止など、経験したことのない事態になり、先の見えない不安を誰もが抱えている。そんな中、温かくどこか懐かしい「カレーライスの唄」を聴きながら、家族でカレーを作ってみてはいかがだろうか。会話が弾み、笑顔で食卓を囲むそんな当たり前の幸せの大切さを教えてくれる作品となっている。
佐喜さんは「今作は唄、三味線、囃子による長唄の魅力をぎゅっと詰め込み、思わずカレーが食べたくなるような、そんな思いを込めて作りました。舞台に立つ事ができなくなった今、何より演奏でお客さまに喜んでいただける事こそ、私たち音楽家の生きる価値です。私たちの愛する長唄をもっと面白く!分かりやすく!親しみやすく!これからも、邦楽の魅力をどんどん発信していきたいと思っておりますので、是非ご覧ください。」
様々な挑戦で、裾野を広げようとする新進気鋭の長唄演奏家が手掛けた令和の長唄。
この作品が100年後には古典として受け継がれる事を、また新たな作品をご紹介出来る日を楽しみにしている。

YouTube「杵屋佐喜チャンネル

  • 三代目 杵屋佐喜さん

  • c2020ライジングウィステリア

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2020.07.28

【第50回】五條 美佳園先生(第13回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第13回~希望の光~」

「兄弟姉妹のいる方なら、子どもの頃、お兄さん・お姉さんに憧れたり、羨ましく思ったことがあったでしょう。まだ1~2才だった彼女も例外ではありませんでした。小学生のお姉ちゃんが自宅の一室でお稽古をする様子を、毎回必ずドアの隙間からじーっと覗いているのです。ある日「一緒に踊る?」と声をかけると、はにかみながら頷いて部屋に入り、お姉ちゃんの少し後ろで、それはそれは嬉しそうに踊り始めました。飽きることなく毎週踊り続ける姿を見ていたお母さんも、そんなに踊りが好きなら…と、彼女も日本舞踊を習わせることにしたのです。小学生になると、私が到着するまでに自分でお部屋を掃除、そして一人で浴衣に着替えて帯も締めて待っていてくれました。そんな日本舞踊大好きな彼女も今では社会人。それも新型コロナウイルスとの闘いの最前線である病院で、看護師として働いています。その為に今はお稽古はお休みしていますが、彼女のような医療従事者の皆さまのおかげで、私たちはお稽古をすることができています。可能な限りマスクをして、私との接触も極力避け、10~15分おきに水分補給や換気にも気をつけるなど、感染予防をしながら楽しくお稽古をしています。看護師として頑張っている彼女とも、今までのように楽しくお稽古ができる日が待ち遠しいです。
思うように表現活動ができない今、子どもたちがそれぞれ大好きな芸術や文化に向き合い真摯に頑張っている姿は、小さくても力強い希望の光です。この光に勇気をもらい励まされながら、自分にできることは何かを考え、一歩ずつ前進できたらと思っています。

  • 幼稚園と小学生姉妹の稽古風景

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2020.06.19

【第49回】柴垣 治樹先生(第13回)
舞楽の曲目解説 第13回 「還城楽(げんじょうらく)」

中国の西域の人は好んで蛇を食べ、蛇を見つけて歓ぶありさまを舞にしたと言います。また『楽家録(がっかろく)』(江戸時代に書かれた楽書)によると、唐の明皇(めいこう)(玄宗)が兵を挙げて韋后を滅ぼして京師に還り、この曲を作り還城楽と名づけ、宗廟(そうびょう)でこれを演奏すると霊魂が蛇となって現れ喜んだという説が書かれています。さらに別の説として、大国の法に王の行幸、還御のときにこの曲を奏するとも書かれています。
この舞は蛇を見て歓び跳ねる振りがあるので、見蛇楽(けんじゃらく)という別名もあります。
この舞には左方と右方があります。
左方は、只拍子(ただびょうし)と呼ばれる、四分の二と四分の四拍子を交互に連続して奏するリズムで演奏されますが、右方では四分の二と四分の三が交互に連続して奏される夜多羅拍子(やたらびょうし)と呼ばれるリズムになります。夜多羅拍子は、これを初めて聞いた人たちが「むやみ、やたらに演奏している」ように聞こえたので、この名前がついたといわれています。
曲の順序は、笛の独奏「小乱声(こらんじょう)」にはじまり、打楽器だけが奏する「陵王乱序(りょうおうらんじょ)」で舞人が登場し、舞人に合わせて龍笛が伴奏します。舞人が舞台を一周すると蛇持(へびもち)が登場して、とぐろを巻いた蛇を舞台中央に置きます。舞人はこの蛇を見つけて、喜び飛び跳ねます。やがて、左手で蛇を取り上げ、このとき笛が吹止句(ふきどめく)を奏します。「還城楽音取(げんじょうらくねとり)」という短い曲が奏され、続いて還城楽の当曲を演奏、舞われます。当曲が終わると蛇の首を落とすような所作があり、その後、打楽器と龍笛の奏する「安摩乱声(あまらんじょう)」で舞人は退出します。
装束は、この舞専用の毛べりの裲襠装束(りょうとうしょうぞく)を着けます。裲襠とは、一枚の布の中央に頭の入る穴をあけ、ここから着てこの装束が胸と背の両方に当たるので、この字にそれぞれ衣へんをつけて名づけられたと言われています。
あごが紐で吊られ、ほおが上下に動く還城楽の面をつけ、右手に桴を持ちます。

還城楽は右方も左方も一番動きが激しい舞です。還城楽は他の演目では使わない筋肉が必要になってきますので舞人になった時は前もって準備する事を心がけています。

[還城楽でしか味わえない疲労感と達成感]

是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 還城楽

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2020.05.27

【第48回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第12回「夕顔」

今回は地唄箏曲「夕顔」について取り上げたいと思います。
ご存知、源氏物語の「夕顔の巻」をもとにした楽曲です。夕暮れに咲く美しくも可憐な女性のそこはかない命に、哀愁を誘う物語を歌詞としています。
源氏は六条御息所にお忍びで行く途中、五条辺にある大貳の乳母の病気を見舞いに立ち寄りました。
その家の傍らに粗末な家があり、垣には夕顔の花が咲いていました。簾の向うには若い女達の姿がちらちら見えます。
この家の気品よく、奥ゆかしい女主人は何者であろうかと源氏は素性のわからないこの女主人に興味を持ちます。
本妻の嫉妬を恐れて市井に紛れ、お互い素性を明かさずに光源氏の愛人となるが早世します。どこか儚げでそれでいて朗らかな性格から源氏にとっても理想の女性像の一つとして、死後もその面影を探すようになります。
地唄箏曲「夕顔」は、菊岡検校(きくおかけんぎょう)により江戸時代後期に作曲されました。歌詞は源氏物語五十四帖の巻の一つ第4帖、帚木三帖の第3帖の夕顔の巻から内容を借用しており、源氏と夕顔が交わした和歌が多く取り入れられています。箏の作曲は八重崎検校(やえざきけんぎょう)です。

[歌詞]
住むや誰
訪(と)いて見んと 黄昏(たそがれ)に
寄する車の 訪れも 
絶えてゆかしき 中垣の
隙間求めて 垣間見や
かざす扇に 焚きしめし
空薫き(そらだき)物の 仄々(ほのぼの)と
主(ぬし)は白露 光を添えて
いとど栄(は)えある 夕顔の
花に結びし 仮寝の夢の
覚えて身に沁む(しむ) 夜半(よわ)の風
手事物としては小規模な曲ではありますが、虫の音や砧を暗示する音型なども使われ、その短いながらも変化にとんだ掛け合いは、演奏会などでもよく演奏されます。夕顔の儚さが投影された、もののあわれを感じさせる趣深い曲です。

  • 夕顔の花

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2020.04.24

【第47回】杵屋 六春先生(第12回)
長唄名曲紹介~Vol.12「春の曲編」

今回は春の曲編と題し、ご紹介いたします。長唄は江戸時代後期に発展した芸能ですが、その中でも季節の情景を唄ったものが多くあります。今回はその中で春の曲にスポットを当てて、ご紹介いたします。
「元禄花見踊」
1878年(明治11年)6月初演。竹柴瓢助作詞、3代目杵屋正治郎作曲新富座新築のとき、開場式の大切(おおぎり)の余興として演奏された。長唄の中ではもっともポピュラーな作品の一つ。元禄時代(1688~1704)の上野の花見を題材に、武士、奴、若衆、遊女、町人などが、さまざまな風俗で集まり踊るという、さながら絵巻物の絢爛豪華な世界を表している。曲全体が二上りで作曲され、唄も高音域が多く、華やかさのあふれる曲になっている。「連れて来つれて」の部分のトーンチチン、イヤチャチャチャチャチャンという三味線の旋律は耳慣れたものになっている。このフレーズはその昔、年賀状印刷でお世話になった方も多いと思う懐かしの「プリントゴッコ」のCMにも使われていました。
「春の調」
1865年(元治2年)3月。作詞未詳、2代目杵屋勝三郎作曲 初春から早春にいたるまでの野山の情景と、泰平の御代や長寿を願う詞でつづられた穏やかな曲。平安時代、正月最初の子の日には、野原に出かけ小松を引き抜いて長寿を祈る「小松引き(子の日の遊び)」という行事が行われていたことに由来します。
また、歌詞の中に「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ」や、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」などの和歌が残るように、「風」は春の訪れを告げるものとされていた。
さて、本曲の成立は1865年(元治2年)3月ですが、この言い方は正確ではない。その翌月、「元治」という元号はわずか1年あまりで「慶応」に改められてしまった。前年には、禁門の変で朝敵となった長州藩を罰するために幕府が出兵。一方の長州藩は、薩摩藩との連携をもくろんで、水面下で動き始めていました。つまり、政情の不安定と社会不安を理由に元号が改められるほど、国は動乱の中にあった。本曲ののどかな雰囲気とはうらはらに、「めでたき御代」はすでに終わりを告げていたのでした。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2020.03.24

【第46回】五條美佳園先生(第12回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第12回~大好きな先生~」

「美味しいケーキがあるんだけど、食べに来ない?」
ちょっぴりお稽古おさぼり気味のとき、何度となく先生からそんなお誘いの電話がかかってきては、つい(笑)甘い誘惑に負けてケーキを食べに、いえ、お稽古をしに行ったことを思い出します。
これは私、美佳園の小さかった頃のエピソードです。
私にとって日本舞踊は、親戚や知人にもご縁がなく、未知の世界のものでしたが、運命的にも「お向かいさん」に先生(五條園美師)が住んでいらしたことが私と日本舞踊との出会いでした。私は内弁慶で恥ずかしがり屋でしたので、お稽古は好きなのですが舞台に立ってお客さまの前で踊るのは大の苦手でした。お稽古でも先生に踊ってる姿を見られることさえ恥ずかしい程でしたので「まだ振りが覚えられない」と可愛い嘘をついて、ずっと一緒に踊って頂いていました。それに先生の後ろ姿を見ながら、細かな動きまで真似をすることが好きで楽しかったのです。
おかげさまで昨年開催致しました、第6回桜美の会第1部(美佳園、園八王、園千代出演)が名古屋市民芸術祭賞を頂きました。
先生はよく「あなたがこんなに長く踊りを続けるとは…」と笑っておっしゃいますが、これまで育ててくださり感謝の気持ちでいっぱいです。
いつの時代も私のような子どもは少なくありません。だからこそ子どもたちの心に寄り添いながら、いつかどこかで自分を披露する場に立てるよう見守りたいですし、子どもたちにとって“魅力ある人”であり続けたいと改めて思いました。

  • 市民芸術祭賞受賞
    長唄「雨の四季」

  • 市民芸術祭賞受賞
    創作「蝶の道行」

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2020.03.01

【第45回】柴垣 治樹先生(第12回)
舞楽の曲目解説 第12回 「抜頭」

天平年間(729~749)に、林邑僧仏哲(りんゆうそう・ぶってつ)により、わが国に伝えられたものです。
猛獣に親を殺された胡人(こじん)の子が、山野にその猛獣を探し求め、ついに親の仇を討ち、歓喜する姿を模したものといわれています。また、一説には嫉妬に狂った唐の妃が髪をかきむしる姿を舞にしたともいわれています。
南都芝家(なんと・しばけ)の舞と言われています。この舞は、右方(うほう)と左方(さほう)の二様の舞法が伝えられています。
装束は、左方も右方も同じです。裲襠(りょうとう)の文様が、抜頭の場合は前面と背面に二個の八藤の丸紋が付いています。周りを取り囲む毛縁(けべり)は、赤系でなく、多くは緑系か茶系の色です。
その下に着る袍(ほう)は、多くの走り舞で使われるものとほとんど同じです。
袴(はかま)は、裲襠の下地の文様・紅地に唐織物です。
面は非常に誇張した顔つきをしています。目は大きく、眉(まゆ)は大きく上向きに跳ね上がり、鼻は大きな団子鼻のものや鷲鼻のものがあります。口はへの字に歯をむき出しにしています。面自体が、強くすさまじい動きを持っています。髪は、絹糸を縒(よ)り紐(ひも)にしたものや、馬の毛を植え付けたものなど、様々です。
抜頭は右方も左方も同じ動きを繰り返す舞ですので、舞の順番を覚えるのはとても簡単なので、盛んに舞われています。
[同じ動きを繰り返す舞を見せる難しさ]
ある意味一番難しい舞だと思います。
是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 舞楽右方抜頭

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2020.01.30

【第44回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第11回「千鳥の曲」

この季節、特に和楽器や箏の音を耳にする事が多いことと思います。今回は、箏曲「千鳥の曲」について、取り上げます。
「千鳥の曲」は吉沢検校(二世)(1807-1872)が作曲した、箏と胡弓による近世箏曲の代表曲です。
幕末に名古屋、京都で活躍した盲人音楽家、吉沢検校作曲の「千鳥の曲」は、八橋検校作曲の「六段の調」、宮城道雄作曲の「春の海」と並び、現代でも広く知られています。
歌詞に、古今和歌集(前歌)、金葉和歌集(後歌)、千鳥を詠んだ和歌二首を採り、器楽部である「前弾き」(前奏部)および「手事」(歌と歌に挟まれた、楽器だけの間奏部)を加えて作曲したもので、吉沢検校自身が考案した、雅楽風の箏の調弦、音階を取り入れた音階は「古今調子」と呼ばれています。
この『千鳥の曲』と、そのあとに作られた『春の曲』、『夏の曲』、『秋の曲』、『冬の曲』(いずれも古今和歌集から歌詞を採ったもの)の四曲を合わせ、「古今組」と呼ばれています。
胡弓と箏の合奏曲として作られた曲でしたが、現在では、胡弓奏者が少なく、箏の独奏や、吉沢検校が後に作った胡弓パートに似た、箏の替手による、箏の本手、替手合奏が良く演奏されています。また後に尺八パートが作られ、3パートによる演奏も行われています。
手事部は波や千鳥の飛び交う様子を表す曲調となっていますが、歌詞の部は、単に千鳥が出てくる和歌を選んだだけかもしれませんが、めでたい賀歌である前唄と、わびしい情景を読んだ後唄の対比が特徴的な曲です。

<前唄>
しほの山 さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば 
八千代とぞなく

<後唄>
淡路島 通う千鳥の鳴く声に 幾世寝ざめぬ 須磨の関守

  • 胡弓

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2019.12.23

【第43回】杵屋 六春先生(第11回)
長唄名曲紹介~Vol.11「昭和編」

お箏を1年でも習った事のある方なら流派など関係なく必ず学ぶ[六段の調(ろくだんのしらべ)]は、近世箏曲の祖である八橋検校により作曲されました(諸説あり)。調弦は、八橋検校が考案した平調子で、各段は52拍子(104拍・初段のみ54拍子)で6つの段の構成となっています。
千鳥の曲と並び江戸時代の古典箏曲を代表する曲の一つで、学校教育における観賞用教材としても採用されています。
本来は箏の独奏曲として作られましたが、後に合奏用にいくつもの箏の替手(合奏できる別パート)が作られました。また三絃(三味線)にも移され、さらにその替手が作られ、胡弓や尺八なども手付け(作譜)され、いろいろな合奏編成で演奏されることが多い曲です。
この六段の調は、箏曲の世界では、段物(または調べ物)と呼ばれ、そのなかの代表曲です。

今回のテーマ~段物~とは、段構成のある楽曲の分類名称です。箏曲の世界では、原則としていくつかの段から構成される器楽曲のことをそう呼んでいます。
段物に属する曲の各段は、52拍子(104拍)であることがまず原則で、各曲ともその初段には導入的部分があり、2拍子あるいは3拍子多くなっています。また、[みだれ]または[乱輪舌(みだれりんぜつ)]という曲は、例外的に各段の拍数も不定で、段の区切り方や段数も流派によって一定しない曲もありますが、こちらも段物の代表曲のひとつです。
他には、[五段の調]北島検校別、[七段の調]作曲者不詳、[八段の調] 八橋検校作曲、[九段の調]作曲者不詳など(作曲は諸説あります)があり、それぞれに替手や三絃の旋律も作曲され合奏されています。
段物は、大多数の地歌曲や箏組歌と異なり、歌を伴わない純器今回は昭和編と題し、長唄では比較的新しい曲目とその時代の名作曲家をご紹介いたします。長唄は江戸時代後期に発展した芸能ですが、実は昭和に作られた名曲も数多くあります。
今回は舞踊の為に作られた2曲をご紹介いたします。どちらも昭和30年代後半の作品。
「花の三番叟」香取仙之助作詞・十四世杵屋六左衛門作曲
日本舞踊の流派としては、最大の流派といわれている花柳流独自の三番叟として作られ、花柳流の益々の隆盛を願った曲。当時、花柳宗家とご縁の深かった十四世杵屋六左衛門が作曲。女性一人の三番叟として作られた珍しい曲である。
そもそも三番叟とは…翁の舞が、天下泰平を祈るのに対し、三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれ、足拍子に農事にかかわる地固めの、鈴ノ段では種まきを思わせる所作があり、豊作祈願の意図がうかがえる。式三番のうちでも、翁以上に後世の芸能に影響を与えた。歌舞伎や人形浄瑠璃などに取り入れられ、また日本各地の民俗芸能や人形芝居のなかにも様々な形態で、祝言の舞として残されている。なお、三番叟の系統を引く歌舞伎舞踊や三味線音楽を「三番叟物」と言う。
「鶴」香取仙之助作詞・十四世杵屋六左衛門作曲
丹頂鶴の気高い様を朗々と唄い、唄三味線とも大変聴きごたえのある曲として知られている。ご祝儀舞踊曲の現代版ともいうべき名曲。
作曲者である十四世杵屋六左衛門師は、旧東京音楽学校(現在の東京藝術大学邦楽科)教授などを歴任し、数多くの受賞歴もあり、日本芸術院会員、人間国宝に認定されるなど素晴らしい経歴ゆえ、長唄の神様といわれ、芸に大変厳しい師匠であったと聞いています。歌舞伎の名作「大江山酒呑童子」はじめ、四百曲あまりを作曲した近代長唄界の大作曲家十四世杵屋六左衛門師の名曲の数々を、令和の時代も演奏し続けていけたらと思っております。
ここで「長唄」のおさらい。長唄は、歌舞伎で舞踊の「地(じ)」(曲)として重要な役割を担っている三味線音楽である。歌舞伎の三味線音楽といえば、ほかにも常磐津節、清元節、義太夫節などの浄瑠璃があるが、それらはいずれも歌舞伎とはべつのところで成立したものを歌舞伎が取り入れたものであるのに対して、長唄は、歌舞伎の伴奏音楽として生まれて現代まで続く音楽である。歌舞伎そのものよりはやや短いが、約三百年の歴史を持つ。その後、自宅や料亭などに演奏家を呼び、舞踊の地としてではなく長唄のみを演奏させて鑑賞することがおこなわれるようになった。俗に「お座敷長唄」といわれるものである。それらの曲は、歌舞伎ないし舞踊の制約を受けることなく、音楽本位に作曲することができた。明治以後は、不特定多数の聴衆を想定しての演奏会用長唄もでき、歌舞伎の伴奏者としての演奏家ではなく、純音楽としての長唄を専門とする演奏家が多数生まれてきたのである。音楽の特徴としては、唄は明るく伸びやかな発声と明晰な発音でうたわれ、独唱と斉唱の対比を聞かせ、独唱についても唄う人の交替によって一人一人の声を聞かせる。三味線にも硬軟織り交ぜた撥扱いと急速な指づかいがあり、唄が唄われずに三味線だけで奏される部分がある。それがある程度以上長いと「合方」と呼ばれ、タテ三味線(三味線の首席奏者)がワキ以下と異なる旋律を弾くなどして複旋律にしたりもする。そこに囃子の効果が加わって、演奏全体として、沈静、厳粛、軽妙、華麗、豪快など、幅広い表現力を発揮する。現在各種三味線音楽のなかで愛好者が一番多いのが、この長唄である。楽曲であることが最大の特徴です。

  • 長唄の演奏風景

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2019.11.25

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