コトノハなごや

コトノハなごや 過去入賞作品

平日の通勤電車から見ているなごやの「モノ・コト」。休日のなごやの「人・風景」。
秘密にしておきたい通学途中のなごやの息抜きスポットなど…。
「コトノハなごや」とは、ことばと文化、メディア―互いにつながりあって「次の時代の望むことば・文字、なごや」を考えるプロジェクトです。
日常の何気ない名古屋の風景写真をもとに、これまでたくさんの皆さんが、名古屋の魅力を見つけてコトノハ作品を作ってくれました。ここに掲載するのは、過去4年間の入賞作品です。今これを読むあなたが感じている名古屋と、重ねて感じてみてください。

2021年度 入賞作品

  • 金賞

  • 金賞

未来の会話

ぱら、と息子の教科書のページをめくる。そこに懐かしい写真を見つけ、思わず隣りの友の肩を叩いた。

「見てよ、これ。『金時計』だ!」

「……ただの時計に見えますが、有名なのですか?」

僕にとっては青春の代名詞——というのは言い過ぎだが、様々な記憶が呼び起こされる、思い出の時計だ。だが残念なことに、当時を知らない彼の共感は得られなかった。

「わかってないなぁ。この時計はね、名古屋駅の定番待ち合わせスポットなの。遊びに行く人達で毎日溢れてて、すごく活気があったんだから!」

金に塗られた背の高いアナログ時計。長いエスカレーターを背景に、多くの人が行き交う。そんな色鮮やかな写真だ。当時の光景が目に浮かぶ様で、最近の教科書はすごいな、と素直に感心する。

「そこまで熱く語るなんて、何かあったのですか?」

「何かって言う程じゃないけど、色々あったよ。一番大きいのだと——」

明日の10時に金時計集合な! と友人と約束したものの、うっかり場所を間違えた、とか。

「当時名古屋に住んでいて、しかも有名な時計だったのに、間違えたのですか?」

「いやー、駅の反対側に『銀時計』があって、そっちと聞き間違えたんだよ。丁度、新幹線を使う予定だったし」

銀時計は、新幹線乗り場の目の前だ。正直、口約束だったので僕ではなく相手が間違えた可能性もあるが。

「成る程。ところで、この写真では全員がマスクを着用していますが、2020年代でしょうか?」

「あぁ、コロナの時だね。何でこれが社会の教科書に載ってるのかと思ってたけど、そういうことか」

あの時は大変だった。マスクに手指消毒、外出自粛、その他諸々。

「二度と経験したくない、と聞きます。私達も気を付けなければいけませんね。」

「そうだけど、でもさ——」

笑顔を作る友に、続きを告げるべきか迷ったが。

「次があったとしても、君は大丈夫じゃないか。ロボットなんだから」

作:霜月彩華

  • 銀賞

  • 銀賞

鶴舞公園、いいとこだよな

うん、鶴舞公園いいよね。

名古屋には230万人も人が住んでるらしいけど、公園や緑地が多くて最高だと思うね。

尾張名古屋は城でもつって言うからな。

名古屋城の金鯱が眺められる名城公園もいい。

平和公園まで行ったこともあるけど、東山公園へ続く森も俺は好き。

でもやっぱり鶴舞公園だな。

ホームタウンって言うの?

生まれ育った場所だから、小さい頃からいいとこいっぱい知ってるしね。

鶴舞公園と言えば花だな。

俺は花に詳しいよ。

まず春はサクラ。

「日本さくら名所100選」に選ばれてるらしい。

噴水塔の近くが桜林になっていて、ライトアップで夜桜見物もできる。

俺は寝るのが早いから見たことないけどな。

初夏にはバラ。

バラ園一帯いい香りで大賑わいだ。

夏が来たら胡蝶ヶ池のハス。

俺は早起きだからゆっくり花弁が開き始めるところから見てる。

秋はイチョウやモミジもきれいだけど、クヌギやアベマキのでかい木が一押しだ。

秋まつりはいい。

冬は鶴々亭横のサザンカ、ツバキ。

それからイルミネーションな。

クリスマスには人が集まる。

な、鶴舞公園っていいとこいっぱいだろ。

もっとよく知りたい?

いいよ、おまえのこと気に入ったから教えてやる。

春は花見客の残した弁当がいい。

ご飯粒が当たりだね。

腹一杯になったらデザートに桜の蜜だ。

萼筒からうまくちぎって飲むんだぞ。

バラは羽虫で大賑わい。

夏は虫が増えてごちそうだらけだ。

噴水塔もいい。

暑くなったら噴水の水を飲んで水浴びして、かゆくなったら植え替え中の柔らかい土で砂浴びだ。

秋はどんぐり、スダジイがうまい。

俺らはかわいいとこあるから、秋まつり会場でちょいと愛敬振りまけばパン屑が飛んでくる。

冬はクリスマスチキン。

なんだよ、その顔。

チキンが何でできてるとか知らねえよ。

な、鶴舞公園って最高だろ。

ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。

作:しば福

幻のアゲハ

 「由紀、まだ暑いけど空はもう秋だね。」

玄関ホールを出て、真っ青な空を仰ぎながら妻に言った。長者町から護国神社の前を通って名古屋城の東側から名城公園の中を反時計回りに1周して帰ってくる。それが私たち夫婦の朝の日課だ。

 長者町は昭和の繊維街だ。北の歴史と伝統、西の庶民的抜け目なさ、東と南の現代的息吹の狭間にあって、雑多なエネルギーをふつふつと発している。朽ちていくことを断固として拒み、新しい思考と器によって再生を繰り返す。大きな人口を抱え狭い国土しか持たない日本が続ける生存のための闘いのミニチュア版だ。

 石油ショック後、繊維から金型へと商売替えした後も、私は新旧東西が混在、共存するこの街に留まった。橦木町に建てた家に息子夫婦が移り住んだとき、長者町の生家はマンションに建て替え最上階を自宅とした。

 散歩道脇に植わっているヤブカラシでは蝶や蜂が採餌している。

「今年の夏はアオスジアゲハが多いね。自然界の青ってなんか特別な感じがする。」

青は由紀の一番好きな色だ。青いアゲハが2頭、くるくると回りながら空高く舞い上がっていく。草木や鳥たちのことを話す5キロの道程はあっという間だ。

 やっとゆっくり一緒に過ごす時間が取れるようになった。経済の荒波に揉まれる小舟の船長のわがままに本当によく付き合ってくれたと思う。還暦を迎えたとき、「ありのままの自分で残りの人生を過ごすの」

と言って白髪を染めることを止めた由紀の髪はプラチナ色だ。

 帰り道、再び護国神社の前を通ると、緋色の袴を着けた巫女さんたちが正門前を竹箒で掃いている。外堀通りを渡りマンションの前に着く。玄関ホールに入るときに由紀が段差に躓いた。私は咄嗟に支えようと手を差し伸べた。私の手はいるはずの由紀の体を突き抜けて空を切った。

 もっとここに居たいような、星になった由紀の元へ早く行きたいようなアンビバレンスに目を閉じた。

作:もりくりす

  • 佳作

  • 佳作

待ち人来たらず

 あと5分。7時10分まで待ってみよう。

 短気は損気っていうじゃないか。既に55分待ったんだ。あと5分待てなくてどうする。

 約束した時間は6時半。待ち合わせ場所に着いたのが、その20分前だった。それだけ、今夜は重要案件というわけだ。緊張のあまり、スマホは会社に忘れてきてしまった。

 ついに人混みに彼女を見つけ、安堵と共に手を振った。だけど、彼女はぼくの前を素通りして行く。人違いだった。

 ポケットの中の小箱を握りしめ、ぼくは銀の時計に背を向けて足早に歩き始めた。

 名古屋駅の待ち合わせ場所といえば、銀の時計と金の時計だ。銀の時計は中央コンコースの太閤通口側、金の時計は反対側の桜通口側にある。コンコースの端と端で向かい合う二つの時計は、まるで、ぼくと彼女のようだった。だから、今夜は銀の時計で待ち合わせて、金の時計に向かって二人で歩き、コンコースの真ん中に来たらプロポーズするつもりでいた。でも、縁がなかったんだ。幼馴染で長い付き合いだったけれど。

「もう、名古屋時間なんだから!」夕方の雑踏の中、彼女がコンコースを駆けて来る。「名駅の時計と言ったから、ずっと金時計の前で待っていたのに。もうすぐ7時15分だよ」

 彼女は金時計の方を指差し、ぼくは驚きながら答えた。「いや、銀時計だよ」

「えっ? 待ち合わせって言ったら、金時計でしょ」彼女はそう言ってから、笑い出した。「わかった、悪友たちと太閤通口の居酒屋に行く待ち合わせに使っているから、銀時計なんだ。これからは、ちゃんと金か銀か言ってよね」

「プラチナだよ」

 今度は、彼女が驚く番だった。

 今、二人がいる場所はコンコースの真ん中の券売機だ。

 ぼくは、人生のレールを走る結婚という名の列車の切符を買うために、ポケットからプラチナの指輪の入った小箱を取り出した。

作:水玉猫

金時計の怪鳥

 名古屋駅。地下鉄から在来線に向かう途中に金色のモニュメント時計がある。待ち合わせ場所に使われるためか、金時計の周囲には待ち人が集まっている。俺もその待ち人の一人だ。

 待ち時間をつぶすため、ぼんやりと周りを眺めていたがある一点を見てぎょっとした。いつのまにか金時計の上に奇妙な鳥がとまっているのである。

 鳥は茶色いフラミンゴにトサカが生えたような外見で、窓から差し込む光を浴びて黄金色に輝いて見える。こんなにも目立つ外見をしているのに、鳥に気づいている者はいない。鳥は周囲をゆっくりと見まわして、俺と目が合った。

「小僧、我の姿が見えるのか?」

 不意に俺に向けられた声。慌てて周囲を見渡すが、俺に声をかけた人物はいない。鳥に視線を動かすと、まだ俺の方を見ている。

「聞こえているのだろう、我の姿が見えるのか?」

 やはり俺に声をかけているのは鳥のようだ。鳥の表情というものは分からないが、怒らせてはマズいと思い何度か大きくうなずいた。

「ふむ、見えておるのか。小僧は運が良い。我は久方ぶりに下界にやってきた。この地は我を崇めている者が多く、我の形をした南蛮菓子があるくらいだ。小僧も知っているだろう?」

 鳥はご機嫌な様子で流暢に話し出した。一方の俺は鳥に話しかけられたという衝撃もあり、混乱気味だ。俺がそのまま何も言わずにいる様子を見て、鳥は首を傾げた。

「……もしや知らぬか。ま、まぁ人の世は流行り廃りが早いからな……。そうか、知らぬか……」

 鳥は寂しそうにつぶやくと、両翼を広げた。金時計からふわりと降り、出口に向かって飛んでいく。通り行く人の頭上をゆっくりと滑空していくが、誰も鳥に気づかない。

 やがて鳥は見えなくなったが、俺はその場から動けなかった。しばらくして、友人がケーキ箱を持ってやってきた。

「お待たせ。久しぶりにあの店行ったけど、もう売ってないんだな、しゃちぼん。」

作:さくら木洋介

2019年度 入賞作品

  • 金賞

  • 金賞

行き先は星々の世界

岐阜市に住む小学6年生の神保加奈は、密かなおしゃれをして学校に通っていた。名古屋で一人暮らしをしている8歳上の姉の美奈がピアスをしているのに憧れ、虹色に輝く星型のシールを耳たぶに貼り、髪の毛で隠して登校していたのだ。
ところが、クラスのボスである藤堂さんに見つかってしまった。藤堂さんに「それ、ピアスのつもりな感じ?」とニヤニヤされ、加奈は真っ赤になった。しどろもどろになり、震える手でシールを剥がした。それ以来、加奈は藤堂さんグループの良いオモチャとなった。
何があろうと両親の前ではいつも通りに振る舞っていた加奈だが、姉には「学校むり」と短いラインを送った。美奈は土曜日になると岐阜に戻ってきて加奈を名古屋に連れ出し、アパートに泊め、何時間でも話を聞いてやった。そして日曜日には二人でバスに乗り、どこに行こうか何食べようかと盛り上がりながら、名古屋の街のあちこちに出かけるのだった。
中でも加奈は栄が大好きだった。三越とラシックと松坂屋とパルコが立ち並ぶ大津通は、歩いているだけでわくわくする。そして何より、ここに来るとぶっ飛んだ格好の人に必ず遭遇するのがいい。全身をショッキングピンク色でコーディネートしている若いお母さん。高級ブランドのロゴをパッチワークしたTシャツを着る小学生。全ての指に金の指輪を嵌めているおじさん。正直言ってセンスがよく分からないけど、自分の「素敵」を貫こうとする揺るぎなさはガンガンに伝わってくる。強い。名古屋強い。私もこうだったらな。加奈は思う。貫いて貫いて、そしたら無残に砕かれた心のかけらだって拾い上げて、バットで宇宙にかっ飛ばし、空に輝く星にするんだ。
また平日の朝が来た。どんよりと曇る空の下、とぼとぼと通学路を歩きながら、加奈の心は家を離れ、学校を離れ、岐阜を離れ、名古屋に飛んでいた。栄へ。栄へ。バスに乗って、栄へ。世界を与えてくれる、栄へ。

作:やまとみやよい

  • 銀賞

  • 銀賞

頑張れよ

エレベーターは、展望台に向かって上昇を始めた。
私の隣には、逞しい身体をぴしりとしたダークスーツに包んだ彼。でも、彼が誰なのか、何故私とここにいるのか、どうしても思い出せない。思い出せるのは――。
「見せたいものがあるんだ」
そう言った彼の、まなざしだけ。
ちらりと横目で見上げると、彼は、彫の深い顔に真剣な表情を浮かべ、じっと外を見つめていた。私は視線を逸らし、遠ざかりゆく地上の世界を見下ろす。三か月間、毎日のように通い詰めた動物園。上司のセクハラに耐えかねて会社を辞めてからの、私の、唯一の居場所。
エレベーターが止まった。扉が開く。踏み出した途端、目に飛び込んできた景色に、私は息をのんだ。
視界の端から端まで、見渡す限り広がる世界。上半分は、擦れるような白い雲を浮かべた水色の空。下半分は、凹凸を繰り返しながら連なる街。その合間、遠くに滲む山の端。
「ちっぽけなもんだろ?」
擦れた低い声で、彼は囁く。ここから見れば、オフィスのあった栄も、名駅の高層ビル群さえも、白く霞んで淡い影のようだ。
「――本当に」
なんで、三か月もくよくよしていたんだろう。こんな広い世界の中、たまたま出会った一人の人とうまくいかなかっただけで、もう終わりだなんて思ったりして。
「ちっぽけな、ものですね」
男性の言葉を繰り返した時、私はハッとした。目だけを動かして、私は彼を見る。――間違いない。
引き締まった口元。張り出した額に、くっきりと濃い眉。優しい黒い瞳。
三か月、毎日見てきたのだ。
「シャバーニ」
呟くと彼は、こちらを見て微笑んだ。

作:きなこごはん

妖怪

「ここ、見覚えがある」
母に連れられて、観光客でにぎわう古い街並みを歩いていたら、突然周りの景色が昔の記憶と重なった。
今よりも小さな歩幅。前に伸びる小さい影の隣に大きい影。私の手をつなぐ誰かの手。両親や保育士さんとは違う、間延びしたリズムの声。言葉が文章で話せるようになったくらいの子どもの私には、何と話しかけられているのか分かるようで分からない。周りの建物も自分が住んでいるところに比べて、何か違う。黒と白の壁。木でできた格子の窓。ピカピカに光る屋根の瓦。古いような新しいような、その不思議な世界を、幼い私は怖がりもせず、むしろ見とれて歩いてた。
「そういえば、小さいころに一回来たわねぇ。ひいおばあちゃんに連れられて」
そうか、あれはひいおばあちゃんだったのか。後で、たくさん長生きすると物も動物も人も妖怪になるという絵本を読んだとき、あれは妖怪で、私は異世界に連れてかれたんだと興奮してたけど、風景は江戸時代の街並みを残す保存地区、言葉もこの地方の方言だったから分からなかったんだ。
「ほら、着いたわよ」
通りを抜けてしばらく行くと、私と母は一軒の家に入った。中には親戚と思われる人たちが集まっていた。座卓で話をしたり、隣の台所でお茶や料理を準備していたり忙しそうだ。
もう一つ奥の和室に、女性が横たわっていた。母が伯母と話をはじめたので、私は大人たちに気づかれないよう、奥の和室に忍び入り、顔を覗きこんだ。瞬間、通りでよみがえった記憶の手の先に体がつながり、顔まではっきりと現れた。
この人が、あのときの妖怪、もとい、ひいおばあちゃんだ。
私が傍らに座ると、瞼が開いた。
「百歳、おめでとう。ひいおばあちゃん」
今日は百寿のお祝いだ。でも妖怪になるには百年じゃ足りないかもしれない。だって、あの街は二百年以上経っても生き生きとしてるんだから。

作:あるのみ弥矢

  • 佳作

  • 佳作

人生大逆転ボート

あれ、綺麗になってるね。
10年ぶりに訪れたボートハウスは、リニューアルされて空調の効いた待合室までできていた。暑い中、アップダウンのある園内を歩いてきたせいか妻は首筋に汗をかいている。

「めーちゃんパンダ乗りたい」
娘は、さっき実物を見てきたコアラのボートには目もくれず、実際には飼育されていないパンダのボートにロックオンされている。

ここに来るのは、三度目だね。覚えてる?
と問いかけると、妻は少し考えるような顔をして「そうだね」と言った。

一度目のその日、家を出るとき、じいちゃんに女の子と東山でデートだと告げるとボートには乗るなよと念を押された。別れるも何もまだ付き合っておらず、園内を歩いていても、その子は笑わず全然楽しそうじゃなかった。一か八かの勝負に出るなら逆に乗ってみるかとボートに誘った。

ボートの中で、大学の合格発表の日の話をした。じいちゃんに、父さんが合格発表の日に東山のボートに乗ったせいで落ちたから乗らないように、と言われたこと。センター失敗していたこともあり、やけくそ半分で乗ったら合格していたこと。そんな話をすると、不意に彼女から笑い声が漏れた。

二度目に訪れたときは遠距離恋愛中だった。互いに仕事が忙しく、彼女から別れを切り出されるのではと感じていた頃だ。「僕たちは別れません」と書かれたピンクの手漕ぎボートに乗ろうとしたら、恥ずかしいからと同乗を拒否され、一人で池を一周した結果、あなたには呆れたと笑われた。

そして、今日。パンダのボートを漕ぎながら、妻の横顔を見ると笑顔ではあるが何だか心細そうだ。

俺だって自分がこの歳でガンになるなんて思ってもいなかったよ。

妻に声をかける。
大丈夫。東山のボートは俺の人生逆転ボートだから。
「人生逆転ボート?」娘が無邪気に聞き返す。
「そうだよ。パパの人生大逆転ボート」
妻が私に笑顔を向けた。

作:わたりゆか

大学4年生

就活も早々に諦め、時間を持て余していた大学4年生の私。学校の行き帰りに動物園に寄るのが日課になっていた。その日も駅を出て動物園に向かっていると、突然50代くらいの女性に声をかけられた。聖書を差し出しながら微笑んでいる。「お嬢さん、何かお悩みありませんか?」

こういう場合はスルーが一般的かもしれないが、私はまあまあ暇だったし、高校時代から好きだった哲学を大学でも専攻していた。要するに面倒なやつだったのだ。ちょっと試してやろうという意地悪な気持ちもあったと思う。「私にはわからないことがあります」そう言うと女性は笑顔で頷き、「神は何でも知っていますよ」と全知の神について語り始めた。初対面なのに何故かイライラした。「じゃあ教えてください」女性の言葉を遮って私は尋ねた。「私は何者なのでしょうか?」女性は笑顔のままこう言った。
「神の声をお聞きなさい」
なんだそりゃ。ここで時間を費やしたことを少し後悔し、女性の話が終わるのを待たずして動物園に向かった。門の前で振り返ると、女性は歩道の端で宙に向かって微笑んでいた。

北園の奥のベンチが私のいつもの場所だ。ここにいるといろんな声がする。動物の鳴き声や子どもたちの声。それらに混じって聞こえてくる、あの日の誰かの声。「で、このエントリーシート、結局何が言いたいの?」
「最近の子って皆そうだよね」
「哲学なんか将来何の役に立つの?」

頭の中で再生される声をため息で払いのける。「神の声をお聞きなさい」さっきの女性の言葉をふと思い出し耳を澄ましたその時、遠くでフクロテナガザルが「あー」と鳴いた。その叫び声がおっさんみたいで、思わず笑ってしまった。空が明るかった。

ある人は神が人間を作ったと言い、ある人は猿が進化して人間になったと言う。神でも猿でもない大学4年生の私は、立ち上がり、大きく伸びをする。動物園には、いろんな動物がいる。

作:カトートシ

2018年度 入賞作品

  • 金賞

  • 金賞

懺悔

あなたに謝りたいことがあります。
私は物事を先伸ばしにするのはよくないと教わりました。
他力本願はよくないと教わりました。
口先だけで行動しないのもよくないと教わりました。

私は今まで大変失礼なことをしてしまっていたと、気づきました。
この場を借りて心よりお詫び申し上げます。

手を合わせて頭を下げればよいということではないことも重々承知しています。

大須観音様

本来ならこちらがお供えをすべきところ、
いつも唐揚げや、アイスクリームや、みたらし団子や、たこ焼きを食べてからしかお参りに行っておらず、申し訳ございません。
パソコンや、携帯カバーや、服など、自分の欲望を優先し、
後回しにしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。

しかしながら、それでも、またお参りに来ますので
何卒ご利益をいただけませんでしょうか。
次からは2回に1回、上前津駅で降りるのをやめて、
大須観音駅で降りるようにし、真っ先に足を運ぶようにします。
どんなにいい匂いが漂ってこようとも、欲望に抗います。

ですので、何卒ご利益、ご縁を頂きたく存じます。
何卒何卒よろしくお願い申し上げます。

作:チョコラブ

  • 銀賞

  • 銀賞

セントラルばあちゃん

「真ん中の赤いクマのとこ見やあせ」
突然かかってきたかと思えば、訳がわからないこと一方的に言われた電話。「やっとかめ」とか「なも」なんてコアな名古屋弁を捲し立てられ、一方的に切られた電話。電話の主と同居している伯母に「翻訳」してもらって、辛うじて通じた。
「え~?なんで俺がばあちゃんのハイク見なあかんの?」
「どうせ大学生だから、ヒマでしょ」という、これまた遺伝子が見事に引き継がれた伯母の言葉。祖母の家は今でも名古屋の由緒正しい下町に住み続けているのと対照的に、彼の両親は一戸建てを買うために、泣く泣く名古屋市内から市外に”落ちのびた”。そんな辺縁に住む俺に頼むなよ。と思っていながらも、ぶつぶつ言って、カノジョとのデートにかこつけて見てやることに。カノジョはもちろん、名古屋市内。住所が○○区から始まる人だ。

「へえ、随分と流麗な字なのね」
真ん中の赤いクマ(翻訳「セントラルパークのギャラリー」)に展示していた祖母の俳画を二人で見ると、意外にもカノジョは関心を示してくれた。こっちは全く関心がない。せいぜい読めた句が〈炎天や名古屋弁なる婆三人〉という、読まなきゃよかったと思わせる句だった。
セントラルパークに、セントラルブリッジ。そのど真ん中にテレビ塔が鎮座。そういや鉄道会社の名前も日本語名は東海なのに、英語に直すとセントラルだったっけ。そう思うと、そんな”セントラル”大好きな名古屋の、そんな場所にあのばあちゃんの展示は、実にお似合いではないか。思わずプッと吹きだした彼に、彼女が言う。
「ねえ、住んでいる所って不便でしょ」
「まあね……。でもさあ、親が建ててまったし…」
「私と結婚したら、名古屋市内に戻れるよ。パパの家に一緒に住めばいいから!」
嗚呼、俺は一生、セントラルな女に振り回されるらしい。

作:水野大雅

ねがいごと

神宮前駅あたり、どうかな。

名鉄電車で花火を見に行った帰り道、3歳年下の彼がポツリと言った。二人の通勤にも便利だし、熱田さん近いからお参りもすぐ行けるよ。あ、あとEってラーメン屋が駅の近くにあってさ、超こってりなんだけど美味いんだよ。それにさ、たたんたたんって、聞こえるよ。こないだ言ってたでしょ?電車の音が聞こえる生活っていいねって。どうかな。
ポツリがきっかけになったのか、彼は捲したてるようにここまで言って、眼鏡を中指で触った。恥ずかしい時の彼の癖。些細な会話を覚えててくれたことが、嬉しかった。
秋の終わり、二人での生活が始まった。休みの合わない私たちは、二人で過ごす時間はあまりなかったけど、近くのスーパーで玉葱が1袋79円で買えたことをスタンディングオベーション並みに賞賛したり、彼が失敗した料理を笑いながら食べたりした。
初めての年越しは、熱田神宮で初詣をして、そのままEで年越しラーメンしようという話になった。人混みに酔った私はラーメンなんか食えるかと思っていたのに、いざラーメンと餃子がテーブルに並ぶと、パキリと割り箸を割っていただきますと手を合わせていた。
フーフーとラーメンを冷ましつつ、何お願いした?と聞こうと顔を上げたら、ラーメンの湯気で彼の眼鏡が真っ白になってて、思わず吹き出した。きょとんとした顔をしている彼を見て、まぁ今はいっかと餃子を一つぱくつく。Eのラーメンのこってりドロドロスープはなかなか冷めない。猫舌の私が少しずつ食べ始めた頃には、彼は既に食べ終わって眼鏡を拭いていた。鼻先が赤くなった彼は、田舎の子供みたいだった。

初詣ダイヤなのか、遠くで電車のたたんたたんという音が聞こえる。ふとさっきの質問を思い出し、ねぇ何お願いした?と改めて聞いたら、え、いや、ちょっとしたことを、と言って、さっき拭いた眼鏡をもう一度拭いていた。

作:麻原奈未

  • 佳作

  • 佳作

水槽の向こう側に彼女

「さあ、何か質問のある子はいるかな?」
水槽のアクリルの向こう側から、ダイバーの声がマイクを通して聞こえてくる。
たくさんの魚達に囲まれて泳ぐダイバーは、とても気持ち良さそうにみえた。
「ねえ、そろそろ次いこっか」
「そうだね、進もうか」
彼女とは、大学に入った頃からの付き合いだ。

勉強を頑張る君。
レポートに悲鳴をあげる君。
テストの結果に一喜一憂する君。
美味しい料理に満足気な君。
初めての彼氏が出来たと、嬉しそうに語る君。
そして、彼氏とうまくいっていないと、少し悲しげな表情を見せる君。

そんな君を元気づけようと、水族館に誘った僕。
彼女の相談に乗るなんてただの口実だ。
惹かれていく自分には、とっくに気がついている。
でも、きっとこれからもこの距離が近づくことは無いのだろう。
君が嬉しそうに彼の話をする度に、僕達の間にある透明なアクリルの壁が厚くなっていく。

卒業し水族館に就職してから、数年が経った。
心地よい水の冷たさが体を包む。
周りを泳ぐ色とりどりの魚達、マイクを通して子供達に話しかける。
「さあ、何か質問のある子はいるかな?」
水槽のアクリルの向こう側に、面影がある少女がいた。
彼女の幸せが、僕に笑いかける。

作:shutorumu

ウォーカラウンド・アンダーグラウンド

階段を駆ける葉っぱとすれ違いそよぐ空気を体で受ける
あかんって声でしゃきっと目を覚まし跳ねる足先と電車の床
何もかもから守るからあなたたちは過ぎるこのシェルターの光を
ハローいま目が合ったねと笑い合うわかっているぞそこのたい焼き
かわいい階段が後ろへ流されて行くよ次はどこへ行こうか
びしょびしょに濡れて磨かれた石の上を滑らすぼくの靴底
何事もスィンクトゥワイスないままでハウメニータイムズナナちゃん
この階段の上にできたらしい菓子屋の匂いがまず胃へ降りる
金時計の下だからねと言う声を耳に当てると確率五倍
もうきみでないみたいだと真剣に話すモーニングは華麗なり
足早に進むスーツの波を0と1に切り替える蛍光灯
フィクションの淡いやさしさ期待して担々麺大盛りでください
赤ら顔さらした帰り道にいる赤いクマやらパンダがニコリ
バーガーを押しつぶす手が語り出すB級映画のそのあとのこと
雨がきて静かにひらく神さまもう見たくないですと祈りの傘は
周囲から/斜め/横/上/切り出してみせたこれは辻占でない
二卵性双子のような顔をして母娘みたいで友達と言う
ひかひかと光る看板が指し示すまだ見たことがない軒先
誰であれ好きにならないきみという安全圏で食べたカレーだ
雨傘みたいな日傘を差す日から曇り模様の傘が飛び去る
果実をすりつぶす音に閉じ込めたブースから受け取る栄養過多
安心よだってそこらに靴屋があるしヒールでも走ればええが
水面が降り注ぐ広場にて語り合う怪獣と宇宙船たち
透明な箱に並んだ服を通り過ぎああもう海へ行きたい
八角のクリスタルに乱反射する挨拶相槌あとはどうする?
排水溝ふさぐ風船ゆうらりと揺れて脇から猫が抜ける
ちゃんと地下歩いて来てよ繋がってるってほら暑さがヤバいしさ
突き抜ける声がぐわんと置いていく法定速度のエスカレーター
全き日めぐる足たちわたしたち遠くへ来たねと笑うそれから

作:水瀬朱々

2017年度 入賞作品

  • 金賞

  • 金賞

トーストホール

幼い頃、早朝に僕と弟の二人だけでコメダ珈琲店へと行ったことがある。喫茶店で朝食なんて、カッコイイと思ったからだ。
メニューを見て、僕は早速帰りたくなった。値段が想像よりも高い。一品頼むだけで、駄菓子がたくさん買えるほどだ。
かと言って、何も頼まずに帰るのは失礼だし、なによりも生まれたてのプライドが許してくれない。僕は仕方なくミックスジュースを頼んだ。弟もミックスジュースを頼んだ。
「以上で」と言うと、店員のおばさんがモーニングサービスを勧めてくれたので、それに従った。餡子がつくやつを二人して選んだ。
支払い後のお小遣いの残りについて確認し、その少なさに落ち込んでいたところでトーストとミックスジュースが届いた。
ミックスジュースは壺のような、変わった容器に入っていて、形の物珍しさから弟と一緒に顔を近づけて容器を眺めた。
観賞魚の入った水槽を眺めるように。
五分ほど経つと弟のお腹が鳴ったので、容器の観察をやめてトーストを齧った。
この頃の僕らはパンの耳があまり好きではなかったため、真ん中から食べるのが当たり前だった。
一口齧った後、ミックスジュースを飲んでいると、弟は僕のトーストを奪って自分のと合わせた。合体したトーストは中央部分に空洞ができていた。
「なにしてんの?」
「見てる」
「なにを?」
「大人になった兄ちゃん」
「大人の俺はなにしてんの?」
「笑ってる」
「誰と?」
「わかんない。あ、今謝ってる」
おかしな会話であった。でも、この時は何故かおかしいとは思わなかった。
後日、母も連れて来店をした時も弟は空洞を覗いたが、その時は何も見えなくて、悲しい顔をしていた。
そんな弟を見て、やっとあの空洞から見えた光景が非現実的なものだと僕は気がついたが、今はそれこそが間違いだと僕は思う。
何故なら、僕は目の前でトーストの空洞を覗いている娘の姿に、たった今、笑ってしまったからだ。

作:里川 渦蓮

  • 銀賞

  • 銀賞

なかなかやるな

突然の宣告だった。嫌がる父を連れて診察を受けに行った大学病院で、病状を告げる医師の声も何処か遠くに感じた。
そのまま慌ただしく入院させた個室は、見晴らしのいい高層階だった。眼下には鶴舞公園の桜が綺麗に見えた。
「ビルばっかりで面白味のない街だと思ってたけど、綺麗な公園もあったな」窓から外を眺めて父がポツンと呟いた。
「面白味がない」、私が父によく言われた言葉だ。父と違って名古屋生まれの名古屋育ち、生粋のナゴヤっ子の私が市役所に勤めることになった時も、「面白味のないお前が面白味のないナゴヤに勤めるんか」とからかわれた。「面白味がないんじゃなくて、真面目なんだよ、俺も名古屋も…」小さい声で反論はしたものの、何となく弱腰だった。
 医師の言葉を守るかのように、父は段々衰弱していった。痛みもきつくなってきたらしく、夜も上手く眠れないようだった。家族で交代して泊まり込むことにした。ある晩、夜中に急にベッドに起き上がったので、「こんな夜中にどこ行くんだよ、親父」と思わず声を荒げてしまった。「この窓から飛び降りに行くんだよ」父の好きなブラックなジョークだ。「残念だったね。この窓は開かないよ。俺は仕事で、明日も朝早いんだから寝てくれよ」「相変わらず真面目でつまんない奴だな」父は苦笑いしてそう言った。
 暑い日が続いた。モルヒネで痛みが薄れ、父はほとんど眠った状態になった。そんな中、奇跡的に意識が戻った夜があった。ベッドの角度を少しつけると、父はうっすら目を開けて窓から外を眺めた。ちょうど、海の日だった。遠くに花火が上がってるのが良く見えた。何か言いたそうな父の傍に耳を傾けると、「ほぅ、綺麗だ。なかなかやるな、名古屋も」それが、父と交わした、会話らしい最後の言葉になった。最後に名古屋を誉めてくれたのが、何だか、私が褒められたような気になり少し嬉しく、少し泣けた。

作:エヌアール

私は知っている

もう10年も前のことだ。「せっかく名古屋に住んでいるのだからナゴヤドームに招待するよ!」と、県外に住む両親を中日・巨人戦に誘った。電話口に出た父は、喜んでくれた後なぜか冷静になって「母さんと相談してから返事をするよ」と一度受話器をおろした。その瞬間思い出した。その頃母は右腕の骨折の後遺症で腕が伸びず、人目を気にして生活していたことを。私はそのことを忘れ、観戦者で賑わうナゴヤドームに誘ったのだった。親孝行の大義名分のもと、そう自己満足のために。後悔した。自分の浅はかさに自己嫌悪に陥った。そんなところに電話が鳴り、「嬉しい、楽しみにしているよ!」と、母の弾んだ声が耳元に届いた。
当日、観戦中の両親は、とても楽しそうだった。どちらが勝ったとか、もはや関係はなかった。さあ帰ろうとドームを後にする。ナゴヤドームとナゴヤドーム前矢田駅とを直結する通路は、帰路につく人、人、人であふれ返っている。私は両親を護衛するかのように前を歩く。も、人の流れには逆らえない。はぐれてしまったやも知れず振り返ると、案の定かなり後方を歩く父と目が合った。私が不安そうな顔をしたのだろう。父は大丈夫だ、と言わんばかりに左手を振った。私はゆるやかに通路の脇に移動し両親を待つことにした。周りの歩調に合わせ、ゆっくりと近づいてくる。あと少しの距離で、人影の狭間に両親の全貌が見えた。父は、守るように左手は母の肩を抱き、右手では母の不憫になった右手をしっかり握っていたのだった。まるでダンスを楽しむ若いカップルのように見えた。私は何だか見ちゃいけないような気がして、合流せずに先へ進んだ。
7年前に父は他界した。ナゴヤドームでの野球中継を実家で観戦すると、母はきまって「帰り、すごい人だったね」と笑顔で話す。そして私は「僕は見ていたよ」と、毎回こころの中でつぶやく。そして、あらためて父の優しさと、母の父への愛の深さを噛みしめるのであった。

作:福耳劇場

  • 佳作

  • 佳作

何年経っても

桜坂の先に校門のあるS高校に通っていた。
名古屋市東部、桜が丘という所である。毎朝私が星ヶ丘の地下鉄出口を出ると、同級生のCちゃんは真ん前にある歩道橋をトコトコと徒歩通学でやってくるのだった。
私とCちゃんは、系列の大学を志望せず外部受験志望という点で、すぐに意気投合したのであった。あの頃の私は生意気にも、
「ここは田舎でもないが都会でもない。とにかくここではない何処かへいきたい」と漠然と思っていた。
そんなある日、私は彼女の進路がアメリカの大学であることを知らされた。家族で移住するという。幼い頃、向こうに住んでいたことがあるから、という事情も地元で小商いをしている両親を持つ私から見れば、憧れのシチュエーションである。はっきり言って羨ましすぎる。私も将来への曖昧な理想を何とか現実にしなければ、と慌てて進路を東京の大学に設定したのだった。
あれから三十年近い月日が経った。私は東京で大学生にはなったものの、卒業後もそのまま居座る理由を見つけられず、地元名古屋にそそくさと戻ってきてホッと息をついた。Cちゃんは現在も彼の地で、家庭も築いた。年に一度帰国するが、実家がないため長野の叔母宅に滞在する。そこに私が会いに行くという形でつき合いが続いているのだ。
今年も
「名古屋土産、何がいい?」
「つけてみそ、かけてみそ買ってきて」
他にも、納屋橋まんじゅう、千なり、えびせん、天むすなど私は当然のように持っていく。それをCちゃんは目を輝かせ、むしゃむしゃほおばる。隣にいるアメリカ育ち、中学生の娘Aちゃんはキョトンと見ているだけで、手を伸ばそうとはしない。アジア系の父親を持つ彼女はルックスこそオリエンタルだが、中身は完全にアメリカンなのだとその時思う。そしてCちゃんの中身はうれしいことに未だ完璧に「ナゴヤ人」だ。

作:たまきはる

特別な街、日常の街

社会人になって最初のGW。私は新幹線で名古屋へ向かった。
改札の外で、遠距離になった彼が待っている。卒業式ぶりに見る彼は、ちょっとだけサラリーマンの顔になっていた。
「案内するよ」
少し得意気な彼に連れられ、モーニング付きの喫茶店、お城、動物園、港。色々な所を巡り、一日の終わりに栄の変わった建物で休憩した。
名古屋は、洗練されたレストランのウェイターみたいだった。
(こちら、おススメですよ)
あれこれと珍しいもの、ここにしかないものを運んできては、私を飽きさせない。
ゆらめく水と、街の景色を見てそんなことを考えていると、彼が言った。
「もうお別れの時間だ」
「うん帰るね」
知らない街だった名古屋は、彼と会える特別な街になった。
一人で乗った帰りの新幹線から眺める名古屋は、夜景がきらめいていて、少し胸がぎゅっとした。
数年後、彼は約束通りプロポーズをしてくれて、私は名古屋の住民になった。
「あ、初めてのGWで行った喫茶店だ」
街を歩いていると、ふと、遠距離になったばかりの私たちに出会うことがある。
「本当はさみしい」
あの時は、言えば壊れそうで、押し込めていた気持ち。
変わらない名古屋の街が、それをほろほろとほぐしてくれる。そしてその代わりに、独特な文化が私にまとわりついてくる。
名古屋は、ちょっとおせっかいで濃い性格の親戚みたいだった。
(これからも二人でがんばりゃー)
気取らない、何でも包み込めそうな笑顔で、私たちの背中を強く押してくれている。

買い物帰り、オアシス21で景色を見てそんなことを考えていた私に、夫が声をかけた。
「そろそろ帰ろうか」
「うん帰ろう」
彼と会える特別な街だった名古屋は、夫と暮らしていく日常の街になった。
二人一緒に電車に乗って、同じ家に帰る。窓から眺める名古屋の街は、灯りがともってあたたかかった。

作:小賀 絢子