伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第八十二回】五條美佳園 先生(第21回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第21回〜大好きなご住職〜」

 北名古屋市にあるお寺でお稽古をさせて頂くようになって約10年。仏様に見守られながら、大勢の子どもたちが日本舞踊と出会い、楽しく稽古に励んできました。今回ご紹介しますのは、まだお母さんのお腹の中にいる頃から姉のお稽古のため、このお寺に通っていた女の子です。

 生まれる前から誰よりも日舞の曲に親しんできたおかげで、2~3歳の頃には色々な童謡を当たり前のように踊っていました。そして当時は、好きな踊りを好きな順番に『1曲1回ずつメドレーで』踊るのが、彼女のお決まりのお稽古スタイルでした。

 そんな彼女には「苦手なもの」がありました。お稽古中、お寺の廊下をご住職が通ると、なぜか急に泣き出し、ママのところに隠れてしまうのです。足音で分かるのでしょう、誰よりも早くご住職の気配を感じては、ハタと踊りをやめて泣き出すのです。親御さんに理由を聞いてみると、ご住職に「髪の毛がない」ことが子ども心に怖かったのだそうです。そうと知ったご住職は心を傷めつつも、彼女を泣かすのは可哀相と、お稽古の部屋の前を、猛スピードで通過したり、気配を消しつつ荷物で頭や顔を隠しながら、そうっと歩いたりと日々作戦を考えてくださいました。あの頃のご住職の温かいご配慮には本当に感謝しています。

 おかげ様でそんな彼女ももうすぐ小学4年生になります。『1曲1回ずつメドレーで』というお稽古スタイルも、今では何度も繰り返して納得いくまでお稽古をするようになりました。そして優しいご住職のことも大好きです!

 何より、彼女がいつも笑顔で楽しく踊るようになったことは、私にとって大変嬉しいことです。これも、ご住職や親御さんを始め、周りのみなさまの温かさのおかげと実感し、感謝しています。

  • 2歳の頃。童謡をお稽古しています

  • 童謡 花かげを一人で踊ります

  • 発表会で藤娘を踊る様子

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2023.03.11

【第八十一回】柴垣治樹 先生(第21回)
舞楽の曲目解説 第21回 「陪臚(ばいろ)」

 陪臚は四人の舞人が楯と鉾を持って舞台に登り、太刀を抜いて舞う大変勇ましい舞です。

 唐楽で笙も入っての演奏となりますが、右方の舞となっています。

 天平八(七三六)年に婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)と南ベトナムの僧、仏哲(ぶってつ)が伝えた「林邑八楽(りんゆうはちがく)」の一つです。聖徳太子が出陣の際に演奏されたという言い伝えがあります。

 平調調子で舞人が登台し、向かい合わせになり楯と鉾を置いた後、破(平調の陪臚の曲)が奏されます。この曲の途中から太刀を抜いて舞います。破が終わると楯を置き太刀を納め、沙陀調音取(さだちょうねとり)の短い曲が奏されます。その後、急(新羅陵王急)が始まり、その曲の途中で鉾と楯を持って舞います。最後は入綾(いりあや)で舞台を下ります。

 装束は、裲襠装束(りょうとうしょうぞく)です。裲襠とは、一枚の布の中央に頭の入る穴をあけ、着るとこの布が胸と背中の両方に当(當)たるので、この字にそれぞれ衣へんをつけて裲襠と名付けられたそうです。袍(ほう)の上にこの裲襠を着るところから、裲襠装束と呼ばれています。

 頭には冠の額の部分を赤く塗った巻向(まっこう)冠を被り緌(おいかけ)を付けます。袍は蛮絵装束のものとは異なり、袖が小さく手首のところで結ぶようになっています。その上に金襴べりの裲襠を着け、帯で結びます。袴も指貫という、袴の裾を足首で結ぶものを用います。

[陪臚しかない舞の難しさと辛さ]

 陪臚は太刀、鉾、盾を持って舞い、とても舞台上が映える舞になりますが舞人は4人合わせる難しさと痛感します。手元が数センチ狂うと鉾先や太刀先は大分変わってきます。陪臚はとても繊細に気を遣って舞わないといけない舞になります。

 陪臚を舞ったことがある人と話をする時に必ず出てくるのが、左腕がきつい話です。

 左腕は重たい盾を持ちます。脇を開いた状態で盾を持ち続けるのが大変です。

 私が陪臚の舞人オファーが来た時は自然と左腕で物を持つ様になります。

 

 是非、エッセイを読み、YouTube等で動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 陪臚(ばいろ)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2023.01.29

【第八十回】岡崎美奈江 先生(第20回)
箏曲って? 第20回「箏曲 今・昔」

 今回は、2月26日(日)に開催いたします、北文化小劇場施設事業「芸どころ名古屋公演」につきましての演目や聴きどころなどをお話しさせていただきます。

 「箏曲 今・昔」をテーマに、私の主宰いたします『箏曲 美卯の会』会員と助演には尺八の先生方をお迎えし、お箏の古典的な曲から現代の魅力的な曲までをお聴きいただける公演です。

 日本の伝統楽器 【箏】。一般には【琴】の字が使われていますが、なぜ?

 昔はどんな人が演奏していたのでしょう?やっぱりお着物?

 どんな曲があるのでしょう?え、ポップスもお箏で弾けるのかな?

 箏は三絃(三味線)と合奏するのはどうして?など。

 演奏の合間には、初めて箏・三味線・尺八をお聴きいただく方にもわかりやすい解説を入れて開催いたします。

 プログラムの1曲目は「六段の調」です。お箏を数年でもやったことのある方はどなたも弾いたことのある曲で、お箏は知らないという方でも、和食店やお蕎麦屋さんなどで、おそらく耳にしたことがあるかと思います。この曲は、近世箏曲の祖(箏曲は箏の音楽のことです)といわれる八橋検校(1614〜1685)によって作られた箏曲の代表曲です。箏の世界では、「六段に始まり、六段に終わる」といわれ、初心者から上級者まで演奏する代表的な曲です。

 約400年前に作られた「六段の調」のほか、現代まで大切に引き継がれている古典的な曲も尺八との演奏で。そして、お箏といえば、今やお正月のあの名曲、、、(実はお正月のテーマ曲ではありませんが)。その解説も混じえてお聴きいただきます。

 他にも、華やかな「さくらさくら」をテーマにしたお箏の三重奏曲や、可愛いお子様たちによる童曲の演奏、テレビから流れてくるポップスは幅広い年代の方がご存じの曲を、楽しく聴いていただけるようにプログラムいたしました。

 日本の伝統楽器、日本の伝統音楽の魅力をぜひ会場でお聴きください。演奏者一同心よりお待ちしております。

  • 【箏】演奏の様子

  • 演奏者

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2022.12.20

【第七十九回】杵屋六春 先生(第20回)
長唄名曲紹介~Vol.20 「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)

 明治26年(1893年)3月、東京歌舞伎座初演。作詞・福地桜痴、作曲・三代目杵屋正次郎。

 通称「鏡獅子」。新歌舞伎十八番のひとつで日本舞踊の演目としても舞踊家憧れの人気曲のひとつである。振付・二代目藤間勘右衛門と九代目市川團十郎。この曲が出来たいきさつは、歌舞伎舞踊を格調高いものにすることを目指していた團十郎が「枕獅子」という長唄の所作事を自分の娘たちが稽古する姿を見て、廓や傾城といった情事を連想させる設定を嫌った。「枕獅子」の歌詞をほぼそのまま使いながらも設定を廓から江戸城大奥に変え、主人公も傾城を大奥の女小姓に変更するように福地桜痴に頼み、少し改めたものとして生まれたといわれている。

 内容は大奥の正月七日の「御鏡餅曳き」の日、そこへ奥女中たちが小姓の弥生を引っ張り出し、弥生に踊るよう勧める。最初は拒む弥生であったが、致し方なく、踊り始める。踊りながら、その場にあった獅子頭を手にすると獅子頭に魂が宿っていて、弥生の体を無理やり引きずりながらどこかへ引っ込んでしまう。獅子の魂が宿った弥生はやがて獅子の精になり、胡蝶とともに牡丹の花に戯れ遊び、白く長い毛を振って舞う物語。獅子の姿は能の「石橋」に倣った衣裳となっている。

 歌舞伎舞踊の「石橋」として有名な「連獅子」が連れ舞に対し、「鏡獅子」は前半にひとりで舞う小姓姿、後半は胡蝶と絡みながら毛振りをひとりでする獅子の精姿で優雅さと華やかさを兼ね備えている。六代目の尾上菊五郎丈が演じたことで人気に拍車がかかり、現在でも人気演目となっている。長唄の曲としては大変珍しく上下2冊の譜本(長唄では譜面を譜本と明記する)で、演奏時間も大変長い。長唄の演奏会では上「小姓の巻」、下「胡蝶の巻」と別々に演奏されることが多く、素演奏ではどちらかというと下巻の方が華やかで人気の曲といえる。

 さてその「鏡獅子」の下巻「胡蝶の巻」が12月17日14時より、名古屋音楽大学邦楽定期演奏会にて演奏されます。毎年邦楽コースではテーマを決めて演目を選定しますが、今年のテーマは「夢」。長唄の他に、箏曲、尺八の演奏もございます。同じく伝統芸能共育コーディネーターの岡崎美奈江先生もご出演です。皆様のご来場お待ちしております。

  • 六代目 尾上菊五郎

  • 鏡獅子

  • 第20回名古屋音楽大学
    定期演奏会(12/17)

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2022.11.29

【第七十八回】五條美佳園先生(第20回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第20回〜舞台に出る前に・・・〜」

 このエッセイを書かせて頂いて6年が経ちまして、今回が20回目になることに驚くと共に、子どもたちのエピソードをこんなに沢山お伝え続けられましたことに改めて感激しております。

 今回は、この春小学校3年生で準名取になった女の子の保育園時代からのエピソードをお話ししたいと思います。

 彼女との出会いは今から6年程前、まだ3歳でした。お友達に誘われて、集団でのお稽古でしたので、初めての日舞、初めての先生(私のことです)、そして大勢のお姉さんたち(殆どが小学生)に囲まれて、不安だったのでしょう。涙が溢れてもう踊れないかと思うくらいでした。でも曲が流れると、どこか笑顔をチラつかせながら一緒に踊るのです。回を重ねるごとに涙が少なくなり、最後には笑顔で発表会にも出ることができました。本人の日舞を楽しく思う気持ちはもちろん、親御さんの「きっとこの子は日舞が好きなはず」と、諦めずに励まし続け、連れて来てくれたおかげでもあります。

 その頃はまだコロナ禍前、月に一度ずつ介護施設に慰問に行っていました。皆、慰問が大好きで、彼女も積極的に参加して、入居者の皆様にとても喜んで頂いたことを思い出します。子ども4~5人と私を含む大人2人位で訪問、順に踊るのですが、彼女は自分の出番前になると必ず足をがに股にしてぐっと腰を落とす変わったポーズをするのです。何をしているのかしらと聞いてみると、いわゆる「股割り」で、私たちが男役の踊りを踊るとき、着物の裾がスムーズに開くように、一度裾をさばくために、がに股になる姿をいつも見ていたようで、自分も出番前には必ず股割りをしてから出なければと子ども心に思ったようです。

 そして今では、年に2回ずつ行われるおさらい会で、出番の前には、袖や楽屋で真剣に何度も振りをおさらいしたり、男役の時には、もちろん「股割り」をしてから舞台に立っています。

 『大人(師匠)を見て育つ』伝統芸能の真の姿です。大人のちょっとしたしぐさ、言動までも、上手に真似をして表現する子どもたちにドキッとさせられつつも、日本舞踊のおもしろさを伝え続けていけたらと思っています。

  • お稽古の様子

  • 男踊り「股割り」をしていざ本番へ

  • いざ本番

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2022.10.25

【七十七回】柴垣治樹 先生(第20回)
雅楽の曲目解説 第20回「太平楽(たいへいらく)」

 太平楽は武具を用いて勇壮に舞う左方の武舞(ぶのまい)のなかでも代表的な演目です。

 文徳天皇(もんとくてんのう:在位850~858年)がそれまでの住居から内裏(だいり:天皇の住居となる御殿)に移るのに合わせ、武官の府の1つである左近衛府(さこんえふ)が作ったものです。舞を作ったのは近衛府(このえふ)の常陸澄継と伝えられていますが、中国の王朝・秦(しん:紀元前778~紀元前206年)末の武将、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)が会見した鴻門の会(こうもんのかい)で舞われた剣舞(つるぎのまい)が元であるとの伝えが広がっています。

 近年では、武舞の代表として「萬歳楽(まんざいらく)」とあわせて天皇の即位の礼では必ず舞われています。

 太平楽の曲と舞の流れは(1)「太食調調子(たいしきちょうのちょうし)」、(2)「道行(みちゆき)」、(3)「破」、(4)「急」、(5)「重吹(しげぶき)」からなります。全て演奏すると40分くらいの演奏時間になります。

 装束は赤系統で、この演目固有の装束である別装束を用います。舞人は、現在演奏される舞楽装束の中でも最も豪華絢爛で複雑な甲冑装束(かっちゅうしょうぞく)を身につけます。着装するものの点数は多く、すべてを合わせると15キロにも達します。それらを着けて約40分間舞うため、舞人にとっては大変な体力を要する演目といえるでしょう。

 両肩につける木製の肩喰(かたくい)は龍頭(りゅうとう)とも獅子頭(ししとう)ともいい、緻密な彫刻、彩色が施されています。

 

[太平楽に対する憧れと魅力]

 太平楽に憧れる理由の一つに装束があります。豪華な装束になり雅楽の装束で一番高価になります。他の伝統芸能はあまり詳しくないですが多分一番高価だと思います。太平楽装束を持っている団体も少なく私も一度しか本番を経験した事が無い曲になります。

 太平楽の魅力は急の舞が太刀を抜き舞人四人が舞う所です。雅楽を知らない方でも鑑賞したら感動し圧倒されると思います。

 太平楽は左舞になるので右舞の私が舞う事は無いですが左舞を一つ舞って良いなら太平楽を選びますね。

 

 是非、エッセイを読み、YouTube等で動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 太平楽

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2022.09.18

【第七十六回】岡崎美奈江 先生(第19回)
箏曲って? 第19回「光崎検校と五段砧」

 今回は、箏曲「五段砧」(ごだんぎぬた)と作曲者の光崎検校(みつざきけんぎょう)についてのお話です。

 光崎検校(生年不詳-1853年頃)は、19世紀前半に京都で活躍した地歌三味線・箏演奏家であり作曲家です。

  地歌三味線を一山検校(いちざんけんぎょう)に、箏曲を八重崎検校に師事。すでに当時、先の音楽家たちにより地歌三味線音楽の作曲や演奏技巧の開発が頂点に達していた中において、新たな方向を様々に模索した光崎検校は、そのひとつとして、江戸時代初期の音楽である三味線組歌や箏組歌、段物をよく研究し、自らの曲にも取り入れ作曲しました。

 また、三味線はもちろん、箏の名手、八重崎検校の弟子ということもあり、箏にも非常に堪能で、自作曲のうちいくつかは、自ら箏の手を付けており、一つの曲で三味線、箏の両パートを作ったのは光崎検校が最初と言われています。当時、箏が江戸中期以来、三味線の後続として発展して来つつ、いまだ開拓の余地があることに注目し、箏のみの音楽を再び作り出したことは特に重要な功績で、後の邦楽の新たな方向付けとなりました。

 作風は精緻で端正かつ理知的、気品と風格があり、高度な技術が要求される曲を多く作曲、作品の一つ「五段砧」はきわめて複雑精緻に作られた箏の高低二重奏曲です。

 「段」とは<短い楽章>のことで、「五段砧」は曲名の通り、5つの段(短い楽章)が連なった曲です。

 「砧(きぬた)」とは、昔各家庭で夜に行われていた、布を叩いて、シワを伸ばしながらツヤを出す、その道具や作業のことを指します。

 その音は、秋の夜に遠くまで響き、いかにも秋らしい趣を表すものとして、様々に音楽化されています。「五段砧」は、砧の音楽的リズムを基本に、様々な手法や旋律で編曲されている曲です。

 

<歌詞>

花は吉野よ

紅葉は高雄、松は唐崎、霞は外山

いつも常盤の振りは、

さんざ、しらおしや  

とにかく想はるる

  • 二重奏の様子

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2022.08.21

【第七十五回】杵屋六春 先生(第19回)
長唄名曲紹介~Vol.19 いつか晴らさん父の仇「五郎時致(ごろうときむね)」

 曲の題名は「曽我兄弟の仇討ち」の主人公のひとり、弟の曽我五郎時致の名前。

 曽我兄弟の仇討ちは、建久4年(1193)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ日本三大仇討ちの一つに数えられる。父の仇討ちと伝えられているこの話、実は頼朝を討つのが目的であったとも言われている。

 曽我兄弟の仇討ちは「曽我物語」の流布とともに全国に伝えられ、謡曲・浄瑠璃や歌舞伎などにも広く取りあげられ、この曲も大変人気があり、現在も数多くの演奏会で演奏されている。

 曽我兄弟の兄・十郎には「虎御前」、弟・五郎には「化粧坂の少将」という情を交わした女性があった。仇討ちの成功に加えて、兄弟それぞれの悲恋の物語があったことも、曽我兄弟が江戸時代を通じて人気があった理由だったとも言われている。この「五郎時致」でも、五郎の仇討ちに向けた勇ましい心と、化粧坂の少将の恋に浮かれる様とが交互に唄われていて、勇ましさと華やかさの両方を兼ね備えた長唄屈指の名曲の一つである。

  成り立ちは、天保12年(1841)年7月、江戸中村座初演。大坂下りの二世尾上多見蔵の九変化所作事「八重九重花姿絵(やえここのえはなのすがたえ)」のうちの一つとして作られた。 

 数多い曽我物・五郎物と区別して、別称「雨の五郎」と言われている。

 作詞は一般に中村座の狂言作者である三升屋二三治(みますやにそうじ)とされている。作曲は十代目杵屋六左衛門(きねやろくざえもん)。

  • 曽我兄弟十番切図

  • 曽我兄弟の仇討ち

  • 曽我五郎時致

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2022.07.18

【第七十四回】五條美佳園 先生(第19回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第19回〜いつだって発表会〜」

 北名古屋市にある平田寺にて、毎年春に行われる子どもたちの日本舞踊教室&発表会。私の師匠・五條園美先生から指導役を引き継ぎ、今年無事に第14回目の発表会を開催致しました。3歳〜大学生までの子どもたちが日本舞踊を通して和の文化に親しみ、親御さん方にもその素晴らしさに気づいて頂ける素敵な機会です。

 毎年参加してくれる子どもたちに加え、今年は初参加の子どもたちも大勢で、とても賑やかなお稽古になりました。その中で、まだ幼稚園生の可愛い女の子が、ちょっぴりはにかみながらも楽しく熱心にお稽古していました。しかし、ある日を境にママの傍から離れず、皆と踊らなくなってしまったのです。傘や扇子の小道具で誘ったり、彼女の好きな柄の浴衣に着替えさせてみたり…。それでもお稽古の輪の中に入ろうとはしません。ただ実は、皆が退室した後に私が誘いかけると、彼女は必ず1~2回一人でお稽古をしていました。皆が踊る様子を1時間ずっと真剣に見ていたからでしょう、振りも完璧に覚えています。

 そして発表会当日を迎え、本番の着物を身にまとい、お化粧もして準備万端。いよいよ彼女の出番になりました。でも残念ながらお客様の前には出ないまま発表会は終了、会場は撤収が始まりました。(もしかしたら今日も…)そう思って傘と扇子を渡すといつもの笑顔がこぼれました。彼女の発表会の始まりです。洋服に着替えた子どもたちが音を聞きつけて「私もやりたい!」と集まってきました。その踊っているときの皆の幸せそうな笑顔が今でも目に焼き付いています。

 『いつだって発表会』~その子一人ひとりの『今この時』に合った発表の仕方~があっても良いのではないかと思います。お稽古や発表会などの様々な経験が一人ひとりの自信に繋がり、着実に成長していくのです。そして私にとっても、日本舞踊を通して子どもたちの成長にささやかながら寄り添わせて頂けることはとても幸せなことだと感謝しています。

  • 幼稚園生の稽古風景(3~6歳)

  • 幼稚園生の稽古風景(3~6歳)

  • 先生のお話をよーく聞いています

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2022.06.10

【第七十三回】柴垣治樹 先生(第19回)
舞楽の曲目解説 第19回 「胡蝶(こちょう)」

 胡蝶は、子どもによる舞が特徴の右方の童舞(わらわまい)です。

 延喜6(906)年、宇多法皇(うだほうおう)が子供の相撲を観覧する時に、藤原忠房(ふじわらのただふさ)が曲を、式部卿敦実親王(しきぶきょうあつざねしんのう)が舞を作ったといわれています。

 『迦陵頻(かりょうびん)』の答舞(とうぶ:先に演じる左舞の対となる右舞)として、昔から寺院の法要などでよく奏される子どもが舞う童舞(わらわまい)の1つです。女性の大人が舞うことはありますが、大人の男性が舞うことは無い曲です。

 舞楽胡蝶の次第は、(1)「高麗小乱声(こまこらんじょう)」、(2)「高麗乱声」、(3)「小音取(こねとり)」、(4)「当曲」からなります。

 まず、高麗笛(こまぶえ)の独奏と太鼓、鉦鼓(しょうこ)による「高麗小乱声」が前奏曲として奏され、舞人(まいにん)の登場曲である高麗笛の「退吹(おめりぶき)」、太鼓、鉦鼓による「高麗乱声」と続きます。この間に登台した舞人は舞台に登るときの所作「出手(ずるて)」を舞います。高麗笛と篳篥(ひちりき)の主奏者と三ノ鼓(さんのつづみ)による「小音取」、演目の中心となる「当曲」と続き、最後に舞人は輪を作って4人目の舞人・四臈(よんろう)から順に退出していきます。

 舞人はこの演目固有の子供用に小ぶりに仕立てられた別装束を身につけて舞います。

 緑色系の袍には胡蝶(こちょう)の紋様が刺繍され、背には羽根をつけます。頭には山吹の花を挿した天冠をかぶり、右手に山吹を持って舞います。また、原則的には白塗りの厚化粧をします。

 子どもによる舞のため、舞姿や装束は子どもの愛らしさを強調したもので、舞人の動きにあわせて背中の羽がヒラヒラと可愛らしく揺れます。飛び跳ねながら回って大輪をつくる舞が特徴的です。

[子供の舞なのに難しい舞]

 私は15歳から舞稽古を始めましたので胡蝶舞人の経験は無いです。胡蝶は子供の舞だから簡単かと思う方もいるとは思いますが実は結構難しい舞です。

 胡蝶の舞を一生懸命覚えて舞う子供の姿に勝てる舞は無いと思います。

私も息子が胡蝶を舞った後に走舞(一人で舞う舞)を舞った時に胡蝶の余韻が残っていて何とも言えない雰囲気の中で舞った経験があります。息子が舞ってくれた喜び、私の舞をお客様が見て下さってるけど、心ここにあらず。

 とても思い出に残っている演奏会でした。

 是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 胡蝶

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2022.05.19

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