伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第11回】杵屋 六春先生(第3回)
長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると~Vol.3」

第一回はお芝居と曲が絡む「勧進帳」=「オペラ」。
第二回は舞踊と演奏が絡む「京鹿の子娘道成寺」=「バレエ」。
第三回目の今回は「吾妻八景」のお話。文政十二年(1829)に、四代目杵屋六三郎師によって作曲されました。
曲中の三つの長い合方(三味線のみの演奏部分)は単なるメロディではなく、佃、砧、楽と歌詞に沿った表現をしています。本調子を春、二上がりを夏、三下がりを秋と冬で構成され、四季物の多くに共通する旋律と言えましょう。上品な心地よい歌詞とメロディは今日まで愛される大きな要素となっています。
この曲を西洋音楽に例えるならば、ずばり「歌曲」。
そう、主役は演奏者。長唄の演奏スタイルは金屏風の前に緋毛氈を敷いた山台と呼ばれる舞台に正座をして演奏を致します。
今回は写真を自身の舞台写真にしてみました。
主役は私、なのですから。

~歌舞伎からきた日常用語~

「板につく」

一般には物腰などがその職業や立場に良く合ってくることを言いますが、歌舞伎では役者の芸が(演技)が舞台で調和していることを差します。早く言われるようになりたいな…板についてきたねと。精進致します。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2017.03.21

【第10回】五條美佳園先生(第3回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第3回~マシュマロの君~」

毎回苦しくも(?)楽しく書かせて頂いております私のエッセイも3回目となりましたが、皆さまには少しでも日本舞踊に親しみをお持ち頂いてますでしょうか。

今回は2才の男の子の初舞台エピソードをお楽しみ頂きたいと思います。
ある夏のおどり発表会当日、日舞の先輩でもある3つ上の兄と共に楽屋入りをし、簡単にお化粧もしてもらっていざ舞台袖へ。
まずはお兄ちゃんの勇姿を袖から観察です。格好良いお兄ちゃんの姿を近くで見たかったのか、徐々に身を乗り出して危うく舞台上に出てしまいそうになりました。

大先生に叱られて大泣きした彼は一旦楽屋に戻り気持ちを落ち着けます。暫くして本人の出番が近づいて来た頃、またもや大きな泣き声が…。
待ちくたびれたのかお腹がすいたらしいのです。「踊ってから食べようね」と諭すお母様。
更に泣いて訴える彼。

何とか無事に初舞台を迎えて欲しい私は「何か食べるものはないですか?」
母「マシュマロならあります!」
私「食べさせて下さい!」

一か八かの咄嗟の判断でマシュマロを彼の口に。
そしてそのまま舞台上へ。さっきまで泣いていたことが嘘のように童謡『花かげ』を踊り始めました。傘と扇子を使って最後のキメのポーズをしたその瞬間にお口を少しだけモグモグしてひそかにゴクン!(子ども心に大っぴらに食べてはいけないと思っていたのでしょう。)そして大きな拍手を頂いて笑顔で引き上げてきました。

舞台上で物を食べるなんて言語道断と舞台の神様からお叱りを受けそうなエピソードですが、そんな彼も現在は小学4年生になりました。今もなお日本舞踊を続けている彼にとっては、舞台に穴を空けず最後まで踊りきったことがとても自信になっていることと思います。(もちろん本人の記憶はありませんけど…)

時々親御さんと共にこのマシュマロの話を思い出しては初心に返り、お稽古に励んでおります。そして舞台の神様…本当にごめんなさい
これからもどうぞ見守っていて下さい

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2017.02.22

【第9回】柴垣 治樹先生(第3回)
『雅楽の楽器紹介その3【龍笛(りゅうてき) 高麗笛(こまぶえ) 神楽笛(かぐらぶえ)】』

今回で三回目となる雅楽楽器紹介では龍笛(りゅうてき)、高麗笛(こまぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)の3種の横笛を紹介します。雅楽の奏者は三種類の横笛を吹き分けなくてはなりません。

龍笛

龍笛は竹製で表側に「歌口(うたぐち)」と7つの「指孔(ゆびあな)」が開いた40センチほどの横笛です。龍笛の歴史は古く中国大陸から伝来し、能管や篠笛をはじめとした和楽器の横笛全般の原型となったと考えられています。また、シルクロードを通じ西洋に伝わりフルートの原型となったともいわれています。
現在では気温の変化の影響を受けにくく、管理もしやすいプラスチック製の初心者用の竜笛もつくられるようになりました。
龍笛は雅楽の楽器としては音域が広く、2オクターブの音域(E5~D7)を出すことができます。低音から高音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」に例えられ、それが名前の由来となっています。笙が天上の音、篳篥が地上の人の音を表すのに対し、龍笛は天と地を自由に行きかう龍の鳴き声を表現しているのです。
また、合奏の際は篳篥が主旋律を担当し、龍笛はその音域の広さを活かして主旋律に絡み合うように演奏されます。雅楽の楽曲は通常龍笛のソロ演奏からはじまり、その楽曲の龍笛パートのリーダー(音頭(おんどう)、または主管とも呼ばれます)がソロ演奏を担当します。

高麗笛

高麗笛は、龍笛と同じく雅楽で用いられる竹製の横笛です。朝鮮半島から伝わった雅楽の高麗楽(こまがく)と、平安時代に完成した日本固有の国風歌舞(くにぶりのうたまい)のひとつ東遊(あずまあそび)で使用されます。
高麗笛は表側に6つの孔があり、西洋楽器のピッコロに似ています。音の高さは龍笛より一音高く、F#5~E7の音域となります。

神楽笛

神楽笛は雅楽の御神楽や、一部の近代神楽で用いられる日本古来の横笛であり、大和笛(やまとぶえ)、太笛(ふとぶえ)とも呼ばれます。
龍笛、高麗笛同様に竹で作られており、全長は約46cmで、表側に6つの指孔があります。
音の高さは龍笛より長二度低く、音域はD5~C7となります。

雅楽から生まれた日本語:音頭を取る

雅楽に使用される管楽器は複数で構成されますが、その主奏者を「音頭(おんどう)」と呼びます。
雅楽のほとんどの楽曲は笛の音頭から演奏を始めます。これが転じて『何人かで事を行おうとする時、先頭に立って導くこと』を『音頭を取る』というようになったと言われます。

  • 上より神楽笛、龍笛、高麗笛
    撮影:吉澤 忍

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2017.01.30

【第8回】岡崎美奈江先生
箏曲って? その2  ~春の海~

寒さひとしお厳しい折ではございますが、皆さん穏やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
さて、私の担当するエッセイ「箏曲って?」の第1回目では、“箏”と“琴”についてお話しさせていただきました。第2回目となる今回は、箏曲「春の海」について採り上げたいと思います。
お正月はお箏(お琴)の音色を耳にされる機会が多いのではないでしょうか。百貨店やショッピングモールにはじまり、飲食店など様々な場所でお箏のBGMが流されます。その中でも、いまやお正月のテーマソングの様になっている曲、それが宮城道雄作曲の「春の海」です。曲名はうろ覚えでも、メロディーをお聴きになれば、皆さん必ず『あ~!』となることと思います。
この曲は小学校の音楽の鑑賞課題曲として教科書にも採り上げられていますので、小学生にも知られています。
この「春の海」は1929年(昭和4年)の年末に、翌年の歌会始めの勅題であった「海辺巌(かいへんのいわお)」にちなんでつくられたものです。宮城道雄が、かつて瀬戸内海を船で旅したときの印象に、波の音や鳥の声、漁師の舟唄などを素材にまとめられています。
当初、箏と尺八の二重奏曲として作曲されましたが、1932年(昭和7年)に来日したフランスの女流バイオリン奏者ルネ・シュメーが尺八の部分をバイオリンに編曲し、作曲者である宮城道雄の箏の演奏とともにレコード化したものが、ベストセラーになったことから、以後、一躍世界的に有名になりました。
皆さんもどこかで「春の海」をお耳にされた時には、ぜひ春の瀬戸内海をイメージして聴いてみてください。

  • 宮城 道雄
    (1894~1956)

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2016.12.26

【第7回】杵屋 六春先生(第2回)
長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると~Vol.2」

第一回目では「勧進帳」=「オペラ」のお話をいたしましたが、二回目の今回は長唄の中で二番目に有名な曲「京鹿の子娘道成寺」のお話。(宝暦3年(1753年)初代杵屋弥三郎作曲)

桜満開の紀州(現在の和歌山県日高郡日高川町)道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。そこに、花子という美しい女がやってきた。聞けば白拍子(男装の遊女今様や朗詠を歌いながら舞う芸人のこと)だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)は白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫の化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込む。と、鐘の上に大蛇が現れるという女性の恋心が情念、怨念に変わるという物語。これは西洋音楽に例えると「バレエ」。
バレエとは歌詞・台詞を伴わない舞台舞踊。及びその作品を構成する個々のダンス。音楽伴奏・舞台芸術を伴いダンスによって表現する舞台。この娘道成寺もセリフがなく、地方と言われる演奏者の曲に合わせて舞うため西洋音楽に例えるとバレエの要素を強くもつ演目とされております。他にも「藤娘」などお芝居ではなく演奏のみで舞う演目が長唄の中にはまだまだございます。

  • 鐘に逃げた安珍を焼き殺す清姫の図
    (『道成寺縁起絵巻』土佐光重筆:国重要文化財)

~歌舞伎からきた日常用語~

「三枚目」

一般には滑稽な人、道化の役割を差しますが、江戸時代、関西の劇場では看板の三枚目に道化役を書く習慣があり道化役の別称が「三枚目」となったようです。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2016.11.24

【第6回】五條美佳園先生(第2回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第2回~あこがれの舞台~」

木々の葉っぱも色づき始め、紅葉の秋…そして芸術の秋ですね。前回のさくらんぼジャンケンに続き、今回は芸術の秋にちなんで舞台観賞をした小さな子どもたちのエピソードをお届けしたいと思います。

私たち日本舞踊五條流珠園会は色々な舞台に立たせて頂く機会に恵まれています。その中に若手名取が中心となる「桜美の会」がございます。その第2回目の公演が6年前に開催されました。

当時まだ5才だった小さなお弟子さん(女の子二人)はお稽古を始めて2年目、師匠である私の舞台を観るのは初めてでした。私は創作作品を発表させて頂き、クラッシック音楽と外国映画のテーマ曲を組み合わせたものを使って振付をしました。それに伴い、かつらもあまり古典的すぎないものでと、かつら屋さんとも相談して頭の上にいわゆるお団子を二つ結ったようなものにしました。

踊り終えた後、二人の小さなお弟子さんは目をキラキラ輝かせながら楽屋に会いに来てくれました。
白くお化粧した私の顔をただニコニコと見つめるだけの二人…。

それから2ヶ月後、夏のおどり勉強会が開催され、出演する二人は楽屋入りをすると一番に走り寄ってきて言いました。
「先生と同じ髪型にしました」
なんと地毛を二つ分けにして頭の上でお団子にしてあったのです。2ヶ月前の私のかつらを可愛らしく再現していて、よく見ているなぁとただただ感心する私。二人はお母さんに「どうしても」と頼んでその髪型にしてもらい、晴れの舞台を飾りました。

子どもは素直で純粋ゆえに大人と違った角度から舞台を楽しんでいるのでしょう。子どもなりに感動したり憧れたりすることで想像力や意欲が育っていると思います。
ぜひ、日本の伝統芸能の舞台にも足をお運び下さい。お子様たちの意外な反応が見られるかもしれません。
私たちも皆さんに楽しんでいただける魅力的な舞台をお見せできるよう努めてまいります。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2016.10.21

【第5回】柴垣治樹先生(第2回)
『雅楽の楽器紹介その2 【篳篥(ひちりき)】~大地の音色~』

名古屋を中心に雅楽の活動をしている主韻会の柴垣治樹です。前回のエッセイでは笙(しょう)の紹介をさせて頂きました。次に紹介させて頂きます楽器は、雅楽の管楽器の一つである篳篥(ひちりき)です。篳篥は奈良時代初期に中国(当時は唐)から伝来した縦笛の一種です。

昔は小篳篥と大篳篥がありましたが、平安時代以降大篳篥は用いられなくなり、現在雅楽で使われているのは、小篳篥です。現在のものは、長さ6寸(約18センチ)の竹管の表に7孔、裏に2孔をあけ、上端に蘆(あし)製の舌(リード)を挿入し演奏します。舌はダブルリードになっており、オーボエの構造に似ています。
一説では、篳篥の原型とされる西アジアの葦笛が西洋に伝わりオーボエが生まれ、東洋では篳篥が生まれたとも言われています。篳篥は雅楽の主旋律を受け持ちますが、音域が1オクターブくらいしかないため、装飾的な奏法が発達しています。代表的なものが塩梅と呼ばれる奏法です。篳篥は舌が大きいため、同じ指使いでも舌のくわえ方によって3律前後の幅があります。この特徴を生かしてポルタメント的に演奏する技法を「塩梅」と言います。この奏法は、指の押さえ方を変えずに、同じ孔の音でも吹き量や唇の位置を加減することで音程に幅(高低やスラー)を出すものです。また、篳篥を演奏する際は舌を湿らせて吹きやすくする目的から、温かいお茶(シブのあるもの)に浸けるのが良いとされています。なお、笙の音色が天上から差し込む光を表すとされているのに対し、篳篥の音色は地上で生活する人間の声を表していると伝えられています。

「雅楽から生まれた日本語:塩梅(あんばい)」

物事の加減や具合を意味する言葉に塩梅があります。料理の味付けが上手くいったときなどに『塩梅が良い』などと言いますね。
一般的には、料理の際の塩と梅酢の加減が語源だとされていますが、じつは古来より、雅楽においても、先ほどご紹介したように、篳篥には塩梅という奏法があり、それが語源になったとも言われています。ちなみに「あんばい」ではなく「えんばい」と読みます。
絶妙な音程を聞いて[良い塩梅だね~]から、物事の具合や程よい加減の時に使われる言葉となり、「えんばい」から少し変化して、「あんばい」という言葉が生まれたとのことです。

  • 撮影:吉澤 忍

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2016.09.26

【第4回】岡崎美奈江先生
箏曲って? その1 ~箏と琴~

お箏(おこと)って、「なんだか敷居が高そう」、「難しそう」、そんな印象をお持ちではありませんか?
そこで私は、古くは奈良時代に遡る日本の伝統楽器“お箏”をもっと身近なものに感じていただけるよう、普段からよくご質問いただく事柄なども交えながら、お話させていただきたいと思います。
ところで、皆さんは、お住いや職場のお近くで【箏・三絃教室 生徒募集】【琴・三味線教室 生徒募集】といった看板をみかけたことはありませんか?「箏」と「琴」、一般的には、どちらも(こと)と読まれます。
ですが、正しくは「箏」は(そう)、「琴」は(きん)と読み、「お箏」と書かれた場合には(おこと)と読みます。その理由は、以前は「箏」の字が常用漢字に含まれていなかったことから、代わりに「琴」の字を当てることが多かったため、現在でも混用されるようになったものと考えられます。
しかし、「箏」(そう)と「琴」(きん)は、本来全く別の楽器です。両者の最大の違いは、「箏」は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で絃の音程を調節するのに対し、「琴」は柱が無く、絃を押さえる指のポジションを変えることで音程を調節する楽器だということです。
なお、現在一般的に「箏」は十三本の糸を張った十三絃の箏のことを指します。
【箏に琴柱あり、琴に琴柱なし】
このように覚えていただくと分かりやすいかと思います。
ちなみに、「琴」というのは、そもそも昔は絃楽器の総称でした。実際、平安時代に書かれた源氏物語にも「箏(ソウ)のコト」「琴(キン)のコト」「琵琶(ビワ)のコト」という記述があります。

  • 江戸時代中期の源氏物語屏風絵より
    左から箏をひく光源氏、琴をひく女三宮、琵琶をひく明石の君

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2016.08.18

【第3回】杵屋 六春先生
長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると~Vol.1」

長唄ってなんだか難しそう。歌詞も解りにくいし意味不明だわと思っていませんか?

日本の音を代表する三味線音楽の中で、最も華やかなのが長唄。長唄は江戸時代後期に歌舞伎の伴奏音楽として発展してきました。舞台の幕が上がり、正面にずらりと並んだ奏者が長唄方と説明すれば、なじみが無い方でもお分かりいただけるのではないでしょうか。

長唄の中で最も有名な曲と言えば、

歌舞伎十八番「勧進帳」<天保11年(1840)四世杵屋六三郎作曲>。

源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の安宅の関(現在の石川県小松市)でのお語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。辿り着いた関所で、弁慶は焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると言う。
しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行罷りならぬと厳命する。そして富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる。なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問いただすが、弁慶は淀みなく答える。富樫は通行を許すが、部下の一人が強力(ごうりき、義経)に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、その疑いを晴らす。
危機を脱出した義経は弁慶の機転を褒めるが、弁慶はいかに主君の命を助けるためとは言え無礼を働いたことを涙ながらに詫びる。義経は優しく弁慶の手を取り、共に平家を追った戦の物語に思いを馳せる。
そこへ富樫が現れ、先の非礼を詫びて酒を勧める。それに応じて、弁慶は酒を飲み、舞を披露する。舞いながら義経らを逃がした弁慶は、笈を背負って富樫に目礼。
主君の後を急ぎ追いかける。弁慶の義経に対する忠義心に感銘を受けた富樫。三者が織りなす「智・仁・勇」の感動の物語として名高い演目でありますが、これは西洋音楽に例えると「オペラ」。
オペラとは演劇と音楽で構成される舞台芸術。勧進帳もお芝居と音楽の掛け合いで構成されており、西洋音楽に例えるとオペラの要素を強くもつ演目とされております。皆さん良くご存じのオペラ「蝶々夫人」には、長唄の名曲の一つ「越後獅子」の一節が使われております。こんなところでも長唄はオペラとも繋がっているんですよ。

「弁慶の泣きどころ」

「泣きどころ」は、普通は向こうずねを指す。
弁慶ほどの豪快な人でも蹴られると痛がって泣く場所の意から、転じてその人の急所のことをいう。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2016.07.29

【第2回】五條美佳園先生
『日本舞踊 ちびっこほのぼのエピソード集 第1回 ~さくらんぼジャンケン~』

皆さまは日本舞踊をご覧になったことはございますでしょうか。

日本の伝統芸能の一つでありながら、あまり関わることのない世界と感じる方もいらっしゃるのではと思います。
未来の担い手である小さな子どもたちがふとしたきっかけで日本舞踊を始めて、日々お稽古に励んでいます。そんな子どもたちの微笑ましいエピソードをご紹介させて頂き、皆さまに日本舞踊により親しみをもって頂けたらと思っています。どうぞお気楽にお付き合いくださいませ。

私たち日本舞踊五條流珠園会は、月に1度、老人福祉施設を訪問して日本舞踊を踊らせて頂いております。特に園児や小学生の踊りは入居者の皆さまにとても喜ばれ、子どもたちにとっても貴重な体験です。

ある日、小学生のお姉ちゃんのお稽古に毎週付いてきていた5才の男の子から「ぼくもおどりのおけいこやりたい!」と嬉しい告白。早速お母さんに浴衣の用意をしてもらいお稽古が始まりました。

とても集中して真剣に楽しく踊る彼に、
私「どうして、にちぶをやりたいと思ったの?」
子「だって“さくらんぼジャンケン”がしたかったんだもん……。」
私「さくらんぼジャンケン??」
子「だってさ、お姉ちゃんが“がんばって踊った子しか、
  さくらんぼジャンケンしたらいけない”って言うんだもん……。」

実は施設訪問の後、がんばったごほうびに出演者皆で喫茶店に行き、デニッシュ生地のパンにソフトクリームとシロップをかけたお菓子(名古屋発のアノ喫茶店の名物。ご存知の方も多いかも?)を食べることが恒例となっているのです。
子ども達には大きすぎるのでみんなで分けあうのですが、付いてくるさくらんぼはたった1つ……。その1つを誰が食べるのか、子どもたちは毎回ジャンケンで決めていたのです。そのジャンケン大会に参加するため、日本舞踊のお稽古を始めることを決意した5才児…。

可愛らしくてほほえましいきっかけではありましたが、いざ始めてみると彼はどんどん日本舞踊が好きになりました。
「着物が着たい」
「お化粧したい」
「さくらんぼが食べたい」
どのようなきっかけであれ、日本舞踊をやってみたいと思って始めてくれた子どもたち、それを暖かく送り出してくださる親御さんたちに心より感謝しています。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2016.06.22

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