伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第42回】五條 美佳園先生(第11回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第11回~胡蝶と盲腸~」

歌舞伎や日本舞踊の舞台で、長唄「鏡獅子」をご覧になったことはありますか?舞台のクライマックスで獅子の精となり、床までつく長い毛の被り物をして、ぶるんぶるんと「毛振り」をします。前半は娘姿でおひきずりを着ているため、着替えに少々時間がかかります。その間に舞台を華やかに賑わせてくれるのが「胡蝶」という役です。繋ぎの務めもありますが、その可愛らしく健気な舞を楽しみにしているお客様も少なくありません。
17年前の中日劇場珠園会でこの演目が上演され、当時小学3年生の女の子二人が大役を任されました。振りが細かくてなかなか覚えられない上に、二人で息を合わせ、腰の落とし方や首の角度に至るまで揃えて踊ることを要求されます。難しいのと眠たいのとで泣いてしまうこともありましたが、諦めずに何度もお稽古しました。
舞台当日の1週間前、胡蝶を踊る女の子のママから電話がありました。「急性虫垂炎」にかかってしまい、これから緊急手術だというのです。可哀想にどれだけ我慢したのでしょう、さぞ痛かったことでしょう。でも彼女は手術後も病室で寝たまま毎日胡蝶のお稽古をしていたそうです。
誰もが出演は無理と最悪の事態を想像していたところ、舞台前日に「一時退院する」との電話がありました。泣きながらお稽古して頑張ったこの舞台、絶対に出たいという本人と、絶対に出してやりたいという親御さんの気持ちがお医者さまに通じて「日本舞踊ならチントンシャンと静かに踊るだろうから」と許可が頂けたのでした。
でも実は胡蝶のお役は軽やかに跳んだりはねたりするんです……それを知ったら間違いなくドクターストップだった思いますが、親子の気持ちの強さに舞台の神様も味方して下さいました。
幕が下りて「間違えないで踊れたよ!!」と8歳の胡蝶は満面に笑みを浮かべて病院へ飛んで帰っていきました。
お稽古でも一度もなかった“ノーミス”をやってのけ、その後も体に異常がなかったことが何より幸いでしたことを最後に記しておきます。

  • 胡蝶を踊る様子

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2019.10.24

【第41回】柴垣 治樹先生(第11回)
舞楽の曲目解説 第11回 「右舞 納曽利(なそり)」

右方二人舞で、現代に伝わる高麗楽曲の中で最も有名かつ最高傑作とされる舞曲です。番舞は、こちらも有名な左方の代表的一人舞「陵王」になります。作曲、作舞、由来は不明ですが、雌雄の竜が楽しそうに遊ぶ姿を舞にしたものと言われます。平安時代では、主に相撲、競馬、賭弓の節会で右方の勝者を祝って奏しました。別名「落蹲(らくそん)」とも言い、一般には一人舞を落蹲、二人舞を納曽利と呼びます。
「納曽利」の装束は紺・緑系です。毛べりの裲襠(りょうとう)をつけ、裲襠には鳥が描かれています。緑青色の面には銀色の目、上下二対の牙、金色の髪、髭は逆立ててあり、吊りあごになっています。この面を装着して、銀色の桴を右手にもって舞います。

私は右舞を専門にしている者として魅力で難しいと思う所は、走舞ながら二人舞で、しかも面を着けた2人が呼吸をあわせてまったく同じように、あるいは対照的に巧みに舞うさまが特徴的で、見どころとなっています。足の動き、速さ、角度などが互いに揃ったときの美しさは見ごたえがあり、向かい合う姿、背中合わせで舞う姿が対称となる形も独特です。納曽利しか感じられない空気感、緊張感などがあります。是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。
[右舞は高麗楽で演奏される]
○高麗楽で使われる楽器
管楽器・・・篳篥・高麗笛
打楽器・・・三ノ鼓・楽太鼓・鉦鼓
にも「陵王が舞われた」という文章がよく出てきます。
昔も現代も雅楽奏者に愛された舞楽だったと思います。

  • 舞楽「納曽利」

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2019.10.01

【第40回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第10回「段物(だんもの)」

お箏を1年でも習った事のある方なら流派など関係なく必ず学ぶ[六段の調(ろくだんのしらべ)]は、近世箏曲の祖である八橋検校により作曲されました(諸説あり)。調弦は、八橋検校が考案した平調子で、各段は52拍子(104拍・初段のみ54拍子)で6つの段の構成となっています。
千鳥の曲と並び江戸時代の古典箏曲を代表する曲の一つで、学校教育における観賞用教材としても採用されています。
本来は箏の独奏曲として作られましたが、後に合奏用にいくつもの箏の替手(合奏できる別パート)が作られました。また三絃(三味線)にも移され、さらにその替手が作られ、胡弓や尺八なども手付け(作譜)され、いろいろな合奏編成で演奏されることが多い曲です。
この六段の調は、箏曲の世界では、段物(または調べ物)と呼ばれ、そのなかの代表曲です。

今回のテーマ~段物~とは、段構成のある楽曲の分類名称です。箏曲の世界では、原則としていくつかの段から構成される器楽曲のことをそう呼んでいます。
段物に属する曲の各段は、52拍子(104拍)であることがまず原則で、各曲ともその初段には導入的部分があり、2拍子あるいは3拍子多くなっています。また、[みだれ]または[乱輪舌(みだれりんぜつ)]という曲は、例外的に各段の拍数も不定で、段の区切り方や段数も流派によって一定しない曲もありますが、こちらも段物の代表曲のひとつです。
他には、[五段の調]北島検校別、[七段の調]作曲者不詳、[八段の調]八橋検校作曲、[九段の調]作曲者不詳など(作曲は諸説あります)があり、それぞれに替手や三絃の旋律も作曲され合奏されています。
段物は、大多数の地歌曲や箏組歌と異なり、歌を伴わない純器楽曲であることが最大の特徴です。

  • 箏曲演奏の様子

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2019.08.28

【第38回】五條 美佳園先生(第10回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第10回~祝!大学合格!~」

長い間日本舞踊に携わっていると、大勢の子どもたちの成長を見届けることができます。この連載エッセイのおかげでますますそれを実感しています。
中でも中学、高校、大学受験は、自分のことのように緊張し結果を待つときの落ち着かない感覚を何度経験したかしれません。
第10回目となるこの度のエッセイは“少し大きいちびっこ”が主人公です。彼女は友だちの紹介で6年ほど前から日本舞踊を習い始めました。当時から笑顔が可愛らしい、とても素直な女の子でしたが、どこか自信なさげで、なかなか振りが覚えられないこともありました。できない所はできるようになるまで繰り返し繰り返し練習しました。そして私も彼女を誉めて励まし続けてきました。
年々難しい曲を稽古するようになったある日、前回スムーズに踊れなかったところを再度稽古し、自分では手応えを感じていざ通してみると……残念なことに同じところでまた間違えてしまいました。
「クーーッ!」
彼女は何とも言葉にならない声で本気で悔しがり、そしてやらされるではなく何度も何度も自ら繰り返して練習したのです。そして覚えて踊りこなせた時の嬉しそうな表情!そんな姿に感激し、とても誇らしい気持ちになりました。

改めて彼女に、日本舞踊を始めて良かったことは?と尋ねると、

  • 話を集中して聞けるようになった。
  • 今までは(どうせやってもできない…)と思っていたが、「がんばる」ということを真に理解し体現できるようになった。
  • 繰り返しの練習が自信になり、学習面にも生かされた。
  • 老人施設に慰問に行く機会があるおかげで、異年齢の仲間たちと共に力を合わせて踊りを披露することや、世代の違う方々との関わり方を学ぶことができた。

…と答えてくれました。
そしてこの春、無事に希望の大学に合格でき、晴れて女子大生となり張り切って学生生活を送っています。日本舞踊を含めて日本の伝統芸能に触れることで、経験し成長できる部分が沢山あることを彼女が改めて教えてくれました。それは私にとっても指導者として喜びであり励みにもなり、自分自身も子どもたちと共に成長し続けたいと思います。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2019.08.07

【第39回】杵屋 六春先生(第10回)
長唄名曲紹介~Vol.10 助六の意外な成り立ち

今回は歌舞伎十八番の一つでも有名な「助六」についてのお話です。
もともと助六は、延宝・宝永年間頃、大坂千日寺でおこった町人萬屋助六と島原の遊女揚巻の心中事件を、事実に沿った情話として脚色された浄瑠璃として上演されておりました。それが江戸ではこれから脱化して「侠客物」となり、成田屋・市川團十郎丈が演出を洗練し、『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』として今日に伝っております。花川戸助六(はなかわどすけろく)、実は曽我五郎(そがのごろう)は、宝刀、友切丸詮議(ともきりまるせんぎ)のため吉原へ入り込み、愛人の三浦屋揚巻に横恋慕する金持ちの武士髭の意休がもつ刀こそ友切丸と知り、意休を討って刀を取り返すお話。ほかにおもな登場人物は、助六の兄、白酒売の新兵衛、実は曽我十郎、母、満江、揚巻の妹分の傾城白玉、意休の子分のかんぺら門兵衛、朝顔仙平など。物語は単純だが、絢爛たる吉原仲の町を背景に、揚巻・白玉ら傾城の豪華な道中、揚巻の意休への悪態、助六が河東節(注1)を地に花道で美しい振りを見せる「出端(では)」、意休一味との啖呵と悪態のやりとり、遊客に喧嘩を売って股をくぐらせる滑稽味、助六を意見する母の情愛、また省略されることも多いが、意休を斬った助六が天水桶の本水に隠れる「水入り」のスリルなど、見どころの多い物語となっております。来年5月襲名が決まった市川海老蔵丈が團十郎襲名時の助六は「河東節」で登場します。それ以外の歌舞伎役者が助六を演ずるときには、長唄や他の浄瑠璃での助六となりますが、長唄の作曲をしたのは古曲の再現が得意であった10世杵屋六左衛門。天保10年(1839年)に作られたこの曲は河東節「助六由縁江戸桜」をそっくり写したような仕上がりになり、皆をうならせたと言われております。今の時代では盗作として騒がれたりなんてことになっていたかもしれませんね…
また助六を演ずるときは出演者によって演題が異なるのも大変面白く、長唄で演奏する「助六曲輪江戸櫻(すけろくくるわのえどさくら)」高麗屋・松本幸四郎丈、「助六曲輪初花櫻(すけろくくるわのはつざくら)」松嶋屋・片岡仁左衛門丈、「助六曲輪澤瀉櫻(すけろくくるわのいえざくら)」澤瀉屋・市川猿之助丈、また清元(注2)で演奏する「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」音羽屋・尾上菊五郎丈、常磐津(注3)で演奏する「助六櫻二重帯(すけろくさくらのふたえおび)」大和屋・坂東三津五郎丈など助六だけでこんなにたくさんの演題がございます。江戸きってのイケメン伊達男・花川戸助六、皆さんはどの役者さんで観たいですか?

【注1 河東節とは】
浄瑠璃の一種。また古曲の一つ。重要無形文化財(1993年4月15日指定)。江戸半太夫(半太夫節の創始者)の門下である江戸太夫河東が、享保二年(1717年)に十寸見河東(ますみかとう)を名乗って創始した。代表的な江戸浄瑠璃のひとつである。三味線は細棹を用い、語り口は豪気でさっぱりしていて「いなせ」である。後に山田流箏曲に影響を与えた。

【注2 清元節とは】
豊後節系浄瑠璃として、また浄瑠璃一般としてもっとも遅く成立した流派で、初代清元延寿太夫が1814年(文化11年)に創始したものである。音楽的な特徴としては、豊後節系統の叙情的で艶っぽい風情を濃厚なものとし、これに長唄の影響を受けて歌うような声ののびやかさや節回しの面白さを加味したものであり、語りものの豪壮さはいささか影が薄い。その代わり、瀟洒かつ粋で軽妙な音楽であり、特にその高音を多用する語りは江戸浄瑠璃の精髄を示すものとして広く愛された。

【注3 常磐津節とは】
初代常磐津文字太夫が、延享4年(1747年)に、師匠であり養父の宮古路豊後掾と共に語った豊後節より創設した語り物の浄瑠璃の一つで、全盛期を迎えていた江戸歌舞伎とともに発展した。語りと歌との均衡が取れ、整然とまとめられた「オトシ」と呼ばれる独自の旋律技法を持ち、この特徴から常磐津節は劇付随音楽として歌舞伎など舞踊劇になくてはならない音曲といわれている。また、その劇性の高さから江戸時代の歌舞伎芝居では、一番目狂言(時代物)のクライマックスである大詰め(忍夜恋曲者・将門)、二番目狂言(世話物)のクライマックスである大切り(積恋雪関扉・関の扉)の所作浄瑠璃(切狂言・切浄瑠璃)を演奏することが多かった。

~こぼれ話 助六寿司~
いなりずしと巻きずしを組み合わせたもので、歌舞伎十八番の一つ「助六」にちなんで作られました。主人公の恋人が花魁(おいらん)の揚巻なので、「揚」に対応するいなりと、「巻」に対応する海苔巻きの組み合わせをこう呼びます。

  • 花川戸助六

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2019.07.30

【第37回】柴垣 治樹先生(第10回)
舞楽の曲目解説 第10回 「左舞 陵王」

雅楽の楽器説明は一通りしましたので、今回からは[舞楽]の曲目解説をさせていただきます。
是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

[左舞 陵王]
一番有名な舞楽で一番演奏されている「陵王」。別名蘭陵王入陣曲、短縮して陵王と呼ばれています。管絃演奏時には蘭陵王、舞楽演奏時には陵王と表します。
左方(唐楽)に属する壱越調(いちこつちょう)の一人舞で、華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走舞です。番舞は納曽利(なそり)。林邑の僧である仏哲が日本にもたらしたものと言われ、元は沙陀調(さだちょう)であったが日本で壱越調に転調した。中国風の感じが残ると言われる美しい曲です。
北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇姿を歌に歌ったのが曲の由来とされています。
武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持っています。
私は右舞を専門としていて舞う事は無いですが、左舞で憧れる舞の一つです。昔の書物にも「陵王が舞われた」という文章がよく出てきます。昔も現代も雅楽奏者に愛された舞楽だったと思います。

  • 舞楽右方抜頭(舞人:柴垣 治樹)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2019.06.03

【第36回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第9回「さくら」

季節は過ぎましたが、皆様は平成最後のお花見はいかがでしたでしょうか。
長い冬を耐え、ようやく迎える命芽吹く春の季節に、一斉に咲き誇り一斉に散っていく桜。
満開の艶やかな眺めと、散り際の潔くもはかない美しさは、ただの表面的な美ではなく、凛とした芯の通った内面からにじみ出る美を感じさせ、桜には「精神の美」という花言葉がつけられているそうです。
桜の歌曲と言えば、皆様ご存知「さくらさくら」、日本古謡と呼ばれる事が多いですが、実際は幕末の江戸で子供用の箏の手ほどきの曲として作られました。
優美なメロディから、明治以降は歌として一般に広まり、現在では日本の歌の代表として、国際的な場面でも様々な編曲がされ使われています。
どの時代にも愛されてきた桜は、地唄箏曲に名曲が数々あります。「桜尽し」佐山検校作曲(桜の品種名を多数詠み込んだ地唄)、「西行桜」菊崎検校作曲(能「西行桜」を典拠とした曲。各地の桜の名所をつづったもの)、「桜川」光崎検校作曲(桜の花びらが川面に浮かぶ美しい光景をあらわした曲)など、ぜひ春に演奏したい名曲です。
さて、幕末、江戸で箏の手ほどきに使用されていた「さくらさくら」は、現在も入門者の手ほどきに、さらには、小学校・中学校の邦楽器の体験授業に取り入れられています。

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2019.04.25

【第35回】杵屋 六春先生(第9回)
長唄名曲紹介~Vol.9 番外編

今回は番外編と題し、1月に北文化小劇場にて開催した公演「狂う~SCANDAL」の裏側をご紹介致します。
北文化小劇場には、まず花道のついたホールと楽屋が二つ、練習室がございます。
楽屋はもちろんのこと、練習室もホールに繋がっているため楽屋としての使用も可能です。今回は出演者が多数でしたので、こんな楽屋割、練習室は雅楽ご出演の皆様、楽屋1は箏曲ご出演の皆様、楽屋2を日本舞踊出演者の皆様と長唄出演者で使用いたしました。今回、4ジャンルの先生方とご一緒した「黒髪」。この曲解説は11月号にて記載したため、簡単にご紹介。伊東祐親の娘辰姫は、源頼朝への恋を北条政子に譲り、2人を2階へあげるが、髪をすいているうちに嫉妬に駆られて狂おしくなるという場面で、歌詞の内容はひとり寝で寂しく夜を明かす女心のやるせなさを詠んだものです。この曲を演奏するにあたり、曲は地唄を採用し、岡崎先生が唄う部分は地唄そのまま、六春が唄う部分は長唄の節にして演奏いたしました。セットがないため屏風を黒、毛氈を紺、照明をピンク、衣裳は地方(じかた・日本舞踊の伴奏者のこと)を白、立方(たちかた・日本舞踊の出演者)は黒、と舞台上の視覚にもこだわりました。
最大のカギは雅楽の柴垣先生の加入方法でした。曲中は調弦などの諸事情で参加が出来ないため試行錯誤し、考えたのが曲が始まる前に北文化小劇場の最大の特徴でもある花道から、笙を演奏しながらご登場いただく演出でした。これで4人の競演が実現し、しっとりとした妖艶な黒髪の完成となりました。カーテンコールには雅楽の演奏に合わせて、まさに演舞を終えた柴垣先生はじめ出演者が花道から登場し、ご来場の皆様に御礼が出来ました。コーディネーター4人を始め、北文化小劇場はこれからも劇場の特性を生かした公演企画をしていきたいと思っております。どうか、皆様ぜひ、北文化小劇場へ!

  • 「黒髪」公演風景

  • 花道控え(鳥屋口)で
    スタンバイする出演者

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2019.04.01

【第34回】五條 美佳園先生(第9回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第9回~お夏狂乱~」

芸どころ名古屋公演「狂う~SCANDAL~」に足をお運び下さった皆様、ありがとうございました。また、残念ながらご覧いただけなかった方々には、このエピソードを読んでお稽古の様子をお楽しみいただけましたら幸いです。
この公演で私は常磐津「お夏狂乱」を踊らせていただき、一緒に小学生4人が「里の子」として出演してくれました。最愛の清十郎が処刑されたことを知り、狂ってしまったお夏をからかったり悪戯する役どころです。
4人にとって、集合してからお稽古が始まるまでの時間、、、たぶんこの時間が一番楽しかったのではないでしょうか、、、お夏さんを縛って、引っ張ったり転ばせたりする小道具の「縄」で、「なわとび」が始まります。♪ゆうびんやさんゆうびんやさん……♪と元気に歌って笑って、それはそれは楽しそう。広いお稽古場を使う時には「だるまさんがころんだ」も。冬なのに汗びっしょりになって裸足で走り回る姿は正に「里の子」でした。
そんな4人には実は名前が付いていました。ある日、「お夏さんには名前があるのに自分たちには名前がない!名前を付けよう!」と、各々が自身の名前を考えました。年長順に「まめすけ」「しんべえ」「さんのすけ」紅一点は「おかり」です。
4人でお夏さんをどのように困らせるか相談したりひそひそ話をする場面で、初めのうちは「今日のご飯何がいい?」「今日のおやつ何にする?」と全く関係ない相談をしていた子どもたちも、本番が近づいてくると「ねぇねぇ、お夏さんをいじめようか」「そうしよう!そうしよう!」と役になりきった会話をしていたことを後から聞いて感心しました。また、初めて通し稽古をした時のこと、里の子の出番が終わり、お夏が一人狂い踊るところをじーっと見ていた4人。お稽古が終わって私のところに来るなり「どうしてあそこで泣いたの?」「お夏さんも死んじゃうの?」と真剣な表情で聞いたり、役柄とはいえ先生である私をいじめなければならないことに葛藤する子もいました。一人一人が役に向き合って演じてくれたことにただただ感謝です。
そしてこのような素敵な機会を与えて下さり、サポートして下さった全ての皆様、本当にありがとうございました。

  • 楽屋での一コマ

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2019.02.27

【第32回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第8回「地唄舞」

前月号の、このリレーコラムでは、長唄の杵屋六春先生が、1月19日北文化小劇場で開催の芸どころ名古屋公演「狂う~SCANDAL~」の演目、地唄舞「黒髪」について紹介されました。
コラボレーションの演目ということで、舞を五篠美佳園先生、三味線と唄を杵屋六春先生、お箏を私が演奏いたします。
地唄舞とは上方舞(かみがたまい)ともいい、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊のひとつです。
歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きでもあり、伴奏に地唄が用いられることから、地唄舞と呼ばれました。
地唄舞の作品には、能楽から借用した、格調が高く重厚味のある作品の「本行物(ほんぎょうもの)」、女舞の色っぽい情緒のある作品の「艶物(つやもの)」、歌舞伎舞踊を上方舞に取り入れた「芝居物」もの、そして、軽妙でしゃれた味のおどけ物の「作物(さくもの)」があります。
黒髪は艶物の代表演目です。

<歌詞>
黒髪の結ばれたる 思ひをば
とけて寝た夜の 枕こそ
ひとり寝る夜の 仇枕(あだまくら)
袖は片敷く(かたしく) 妻じゃといふて
愚痴な女子の 心と知らず
しんと更けたる 鐘の声
昨夜(ゆうべ)の夢の 今朝覚めて
ゆかし懐かし やるせなや
積もると知らで 積もる白雪

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2018.12.25

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