伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第31回】杵屋 六春先生(第8回)
長唄名曲紹介~Vol.8「地唄にも同じ曲が」~

今回、ご紹介する曲は「黒髪」。長唄にも地唄(じうた)にもある曲。歌詞は全く一緒なのですが、地唄は1801年(享和1)の文献に初出。作詞者不詳、初世湖出(こいで)市十郎作曲。長唄は初世桜田治助作詞、初世杵屋佐吉作曲のめりやすもの(注1)で、1784年(天明4)11月江戸中村座初演の歌舞伎(かぶき)狂言『大商蛭小島(おおあきないひるがこじま)』の二番目に用いたのが初め。伊東祐親(すけちか)の娘辰姫(たつひめ)は、源頼朝への恋を北条政子に譲り、2人を2階へあげるが、髪をすいているうちに嫉妬に駆られて狂おしくなるという場面である。地唄も長唄も三味線は三下りの調弦。地唄に箏が入るときは低平調子。どちらの曲も旋律的には類似している。ただ地唄には「妻じゃというて」のあとに長い合の手(注2)が入る。歌詞の内容は、ひとり寝で寂しく夜を明かす女心のやるせなさを詠んだもの。下座のめりやすには胡弓を併奏する場合が多くあります。
今回この曲をご紹介するには訳が…と申しますのは、このコーナーをリレーで担当する伝統芸能共育コーディネーターが揃って出演する公演の開催が決定。来年1月19日北文化小劇場主催公演「狂う~SCANDAL~」。刺激的なタイトルに決定までは紆余曲折があったとかないとか。「黒髪」は舞を五條美佳園先生、お箏を岡崎美奈江先生、三味線と唄を杵屋六春で演奏予定です。今後のリレーエッセイにはきっと公演の演目のご紹介もあるかと思います。どうかお楽しみに!!

(注1)めりやすとは、歌舞伎下座音楽として、物思い・愁嘆などの無言の演技のとき、叙情的効果を上げるために独吟または両吟で演奏するもの。もの静かな沈んだ曲調が多い。[補説]メリヤスのように曲が劇に合わせて伸び縮みするからとも、「滅入りやすい」調子の曲だからともいう。(注2)日本音楽の用語。「間の手」とも書き、単に「合」ともいう。歌と歌の間に奏される器楽的旋律(手)のこと。合の手を発展させたものを長唄では「合方・あいかた」、地歌・箏曲では「手事・てごと」といって音楽的に重要な構成部分となっている。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2018.11.28

【第30回】五條 美佳園先生(第8回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第8回~あたま山~」

平成30年10月13日、名古屋能楽堂にて私の師匠五條園美先生のリサイタルが開催されます。(このエッセイをお読み頂いている頃はもう終わっていますが……)その演目の中に長唄『あたま山』があります。その亭主が大変な大頭で、その頭に生えた桜の木。その木を抜いたら池ができてしまって……と有名な落語「あたま山」からの舞踊です。
20年ほど前の再演時、私も町衆として先輩方と出演させて頂きました。当時お稽古を始めてまだ2年くらいの5才の女の子が生まれて初めて日本舞踊の舞台を観に来ました。その翌週のお稽古で会うやいなや、「そのみ先生、じょうずだったねぇ!」と大興奮!
~ぼうふら 源五郎水すまし あめんぼが すいすいすいすい水の上 頭が池に夏が来る~という歌詞がありまして、園美先生が軽快にあめんぼや、水すましの振りをすいすい、ピッピと踊られたのがよほど面白かったのでしょう。
彼女はお稽古場で目をキラキラさせながら小さい体をコミカルに動かして、園美先生のあめんぼを真似して見せたのです。
ただ今、リサイタル直前でお稽古も大詰め。悩み、模索する中でふと当時の彼女の笑顔が浮かび、励まされ、私の元気の源になっています。
園美先生は今でもよく、「あの時○○ちゃんに『じょうずだねぇ』と言ってもらえたのが本当に嬉しかったわ」と思い出話をされます。
今回の『あたま山』を鑑賞する子どもたちも何を感じて何に心を動かされるのか楽しみですし、私自身も子どもたちの胸を躍らすような日本舞踊を発信していきたいと気持ちを新たにしました。

  • 五條園美先生による日本舞踊の様子

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2018.10.29

【第28回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第7回 『新娘道成寺』

今回は、来年1月19日に北文化小劇場で催される、芸どころ名古屋公演の演目として予定されている、地歌「新娘道成寺」についてのお話です。

〈歌詞〉
鐘に恨みは数々ござる
初夜の鐘をつくときは 諸行無常と響くなり
後夜の鐘をつくときは 是生滅法と響くなり
尋常の響きには 生滅めついりあいは
寂滅為楽と響けども 聞いて驚く人もなし
我は後生の雲晴れて 真如の月を眺め明かさん

言わず語らず我が心 
乱れし髪の乱るるも つれなきはただ移り気な
ああどうでも男は悪性な 桜さくらと謳われて
いかに袂に分けふたつ つとめさえただうかうかと
ああどうでもおなごは悪性な 東育ちは蓮葉なものぢゃえ

恋のわけざと数え数えりゃ 武士も道具を伏し編み笠で
張りと意気地の吉原 はなの都は歌でやわらぐ
敷島原に勤めする身は 誰と伏見の墨染
煩悩菩提の鐘木町より 浪速よすじに通い来辻の
かむろ立ちからむろの早咲き それがほんに色ぢゃ
ひいふうみいよお 夜露雪の日下関路を
共にこの身を馴染み重ねて 仲は丸山ただまるかれど
思い染めたが縁ぢゃぇぇ

安珍清姫の物語の発祥地となった道生寺は、南紀御坊の近く和歌山県日高郡日高川町鐘巻にあって、正式名称を天音山道成寺といって、説によると起源700年頃、それまでは道教のものであったと思われる施設を接収して仏教寺院となしたものとされています。その成立の経緯、「神の国」と言われる南紀の地にあり、この伝説の内容に深く関わるものと推察できます。
その伝説の大筋は、「旅の修験者と土地の女が出会い、女が惚れて男が逃げ、川を渡れば来られまいと思ったが、女は執念のあまり蛇に変身して川を一跨ぎし、男は女人禁制の寺に転がり込んで鐘の中に匿われ、蛇と化した女がその鐘に巻き付いて男を焼き殺し、自分は川に身を投げて死ぬという」じつにおどろおどろしいお話です。
しかしこれは悲恋の物語ではなく、禊ぎや祓いの感性が、仏教説話の中に変容して取り入れられたのではないかという説があります。
つまり、蛇に変わるほどの業を秘めた女があって、これを村としてはなんとかしたかったのだが、そこに都合良く旅の僧が現れて厄介払いしてくれたということで、これは女の形をとってはいるが、何らかの災いや喜ばしくないものであった可能性があり、このことで村は清められたということです。
実は道成寺は現代私たちが、感じるほど悪い意味では使われていなかったとも思われます。安珍・清姫というキャラクターが現れるのはずっと後の事で、一千年余の永きにわたり、語り伝えられてきた伝説には、そこへ至るまでに様々に伝えられ、時の芸能に取り入れられてきました。

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2018.09.11

【第27回】杵屋 六春先生(第7回)
長唄名曲紹介 Vol.7「子ども向けの長唄」~

八月号の今回は、子供向けの長唄や舞踊小曲を何曲かご紹介いたします。
まず一番初めに習う曲の代表格がこの曲「お月様」。おつきさまいくつ?と子供が月に向かって話しかけている様子を表しています。三味線は少し難しい為、唄からスタートします。私の三歳の初舞台もこの曲だった記憶でございます。次の曲は日本舞踊で幼いお嬢さんが良く踊られる「藤の花」藤の花とそれに戯れ遊ぶ女の子の様子を表しています。これも女の子向け「人形」は女の子がお人形で遊ぶ様子が描かれています。「京の四季」京都の四季を唄った曲で、数々の京都の名所が詠み込まれています。
「虫の声」や昔話「兎と亀」や、お猫がニャンと歌詞に読みこまれている「お猫道中」なんて曲もあるんですよ。小学校高学年になると、軽妙でノリの良い曲「供奴」(文政十一年(1828)作詞・二代目瀬川如皐、作曲・十代目六左衛門)も良く唄われます。内容は郭通いの主人の供に遅れた奴が、主人を捜しながら、主人のまねをし、郭通いの丹前の振りやいろいろの所作をする。拍子本位の派手な曲で、長唄の代表曲の一つと言われています。長唄は江戸時代の風俗や遊びを唄ったものが多くあり、子供向けの曲が大変少ないのが現状です。
そんな中、子供さん向けの譜面が、昨年末誕生致しました。長唄の名門・杵屋佐吉家のご子息・杵屋佐喜さん編著【四世杵屋佐吉作曲 三絃童謡集 三味線でうたおう!子どもと楽しむ長唄童謡~CD2枚付き~】です。子供さん向けの簡単で楽しい長唄童謡が満載で大変おすすめです。もちろん私も愛用中です。
そして長唄が難しいと思っている皆様にお知らせです。ナゴヤワークショップフェスタ2018「ポッシブる!」がこの夏初めて開催されます。北文化小劇場では、8月4日(土)10:30~12:00「うたって弾いて和の音色」と題し、子供さん向けの長唄三味線体験講座を開催します。三味線初心者の子供さんたちにも分かり易くお教えします。最後には舞台でみんなで演奏なんて企画も計画中です。夏休みの課外研究に、日本の伝統文化体験をぜひいかがでしょうか?北文化小劇場で絶賛受付中です。皆様にお目にかかれます夏休みが今からとっても楽しみです。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2018.07.24

【第26回】五條 美佳園先生(第7回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第7回~アンテナの役割~」

日本舞踊のお稽古をするとき、今でも主にカセットテープを使っています。繰り返しお稽古するとき、様々な場所を頭出しするので、曲の間隔的にもカセットテープの方が使いやすく感じるからです。(もちろんCDを使用される先生も多いと思いますが…)現在の小学生の子どもたちにとってはDiscが当たり前なこともあり、逆にカセットテープは新しく感じられるかもしれません。物珍しそうに「CDじゃないの?」と聞いてきたり、巻き戻しと早送りでテープが巻き取られるのを嬉しそうに見ている子どももいました。
今から10年以上前のこと、その日もやはり小さなカセットデッキを使い、テープでお稽古をしていました。テープは繰り返し使えば使うほど劣化するため雑音が入ったり、少し音が悪い部分がありました。当時小学1~2年生だった彼女は、怪訝な顔をして音の出る方向を見つめていました。

「音の調子が悪いみたいね」と私が言うと、彼女はカセットデッキに近づいていき当然のようにアンテナを立て、一番長く伸ばしてくれたのです。
「これで大丈夫!」
満足気な表情と共に聞こえてくる曲は、不思議なことに音が良くなったような気がするから面白い。
あまりにも自然な彼女の行動に、その時は真実を伝えることもなく「ありがとう」とお礼を言ってアンテナを伸ばしたままお稽古を続けたことを覚えています。

そんな彼女ももう大学生です。時々お稽古の合間に小さかった時のことを懐かしんで思い出話に花が咲きます。あの時こうだったねとその時踊っていた演目と共に思い出を共有できるのもお稽古事の良さですね。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2018.07.02

【第29回】柴垣 治樹先生(第8回)
『楽箏(がくそう)』

雅楽で用いられる箏を楽箏といいます。雅楽では曲全体のリズムを刻む役割を果たします。
奈良時代に雅楽の楽器の1つとして中国から伝わり、主に唐楽(とうがく)の管絃(かんげん)や催馬楽(さいばら)の伴奏に用いられます。
構造は長さ180センチ、幅25センチ、高さ8センチの桐の木で作られた長方形の箱に13本の絹の絃を張り、1本ずつ柱が絃の振動を箱に伝える仕組みです。各名称は箏を龍に見立てて龍角(りゅうかく)、龍背(りゅうはい)のように呼ばれています。箏爪(ことづめ)と呼ぶ竹製の爪(竹の固い節の部分や紙や皮で作られたもの)を右手の親指、人差し指、中指の3本にはめ弾きます。
主な演奏法には、小爪(こづめ)、閑掻(しずがき)、早掻(はやがき)、連(れん)、結ぶ手などがあります。

  • 楽箏を体験している様子

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2018.05.25

【第25回】柴垣 治樹先生(第7回)
『雅楽の楽器紹介 第7回 楽琵琶』

日本には様々な琵琶があります。
日本の琵琶の中で最も大きいのが楽琵琶です。水平に構えて演奏します。管弦合奏と催馬楽(さいばら)の伴奏になどで使います。
雅楽では曲の旋律を奏するのではなく、箏と同じくリズムやアクセントを刻みます。
楽器本体の長さは一定ではありませんが、現在のものはだいたい110cmぐらいが標準です。古代には、牛車の中で演奏するための大きさの、小琵琶といわれたものもあったようです。
琵琶の絃は四本あり、構えた状態の上の絃から一絃・二絃・・と呼びます。雅楽演奏の際は、しゃもじのような形の撥(ばち)で演奏します。
琵琶はもともとイラン辺りで生まれました。その後シルクロードを流れて中国で発達し、そして日本へと伝わりました。シルクロードを逆にヨーロッパへ、ジプシー達が伝えたものもあり、それらが変化してマンドリンやギターになったようです。

  • 琵琶を体験している様子

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2018.05.25

【第24回】岡崎 美奈江先生
筝曲って?第6回 『箏の名称は?』

今回は、箏という楽器の各部名称についてです。箏の各部名称はある動物にちなんでつけられています!
それは『龍』です。
箏は奈良時代(710-740)に中国の唐から伝えられ、当時の都、京都を中心に皇帝や貴族の間で雅楽を演奏する楽器の一つとして楽しまれていました。雅楽で箏が弾かれる様子は当時の古典文学、枕草子、源氏物語、平家物語等に記述されています。
中国では、この想像上の龍を大変崇めていました。特に“龍王”・“籠宮”などと、位の高いもの、優れたものを指す時に使われていました。皇帝はその権威づけとして龍を自らの象徴としたそうです。箏は皇帝も扱う高貴な楽器として、龍に見立てられ、その部位名がつけられていました。
箏の各部名称は、箏を大きく三つにわけると、箏を演奏する時にすわる側(写真①の左側)が竜頭(りゅうとう)。反対側を龍尾(りゅうび)。この頭と尾にはさまれている間を(龍)甲(りゅうこう)といいます。
少しわかりにくいかもしれませんが、糸がでている金色の丸型パーツ、これを龍眼(りゅうがん)。龍頭部、上部側を龍額(りゅうがく)。
そして箏を立て掛けた時一番下の部分になるところ(写真②)、奏者からみて龍頭部の一番右端側面部を龍舌(りゅうぜつ)といいます。
この龍舌部は職人の腕の見せ所でもあり、高価な楽器になりますと、象牙が用いられたり、蒔絵や螺鈿細工などの緻密な細工が施されています。また箏の名前をいれたりもしています。壊れやすいパーツでもありますので、ここを保護する意味で用いられているのが口前カバーです。見た目は和服の帯の様な布貼りのカバーとなっていますが、音の鳴りを遮りますので、本番ではこのカバーは取り外します。
そして龍角と反対側の糸を支える部分を雲角(うんかく)。箏の側面は磯、そして裏側は龍腹(りゅうふく)。
このように、それぞれが龍の体の名称にちなんおり、現在もこの名称で呼ばれています。

  • 写真①

  • 写真②

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2018.04.20

【第23回】杵屋 六春先生(第6回)
長唄名曲紹介 Vol.6

今回はタイトルに「獅子」と付く2曲をご紹介します。
一曲目は「連獅子」。連獅子には、勝三郎連獅子と正治郎連獅子の2つがあります。前者は文久1(1861)年、花柳芳次郎の襲名披露の際初演されました。河竹黙阿弥作、2世杵屋勝三郎作曲、1世花柳寿輔振付です。後者は明治5(72)年、東京村山座で5世坂東彦三郎、6世沢村訥子により初演されました。同じく黙阿弥作で、3世杵屋正次郎作曲です。
文殊菩薩が住むといわれる霊地清涼山。その麓の石橋に、狂言師の右近と左近が手獅子を携えて現れます。白い毛の獅子が親で、赤い毛の獅子は子の設定です。二人は石橋の謂れや、子を千尋の谷へ突き落とし、谷底より駆け上ってくる強い子だけを育てるという、獅子の子落としの模様を踊って見せます。上がって来ない仔獅子を案じる親獅子が谷底を覗き込んだところ、その姿を見つけた仔獅子は、喜び勇んで駆け上がって来るのでした。そこへ法華僧と浄土僧がやって来ますが、お互いの宗派が違うところから口論をしていると、おどろおどろしい山風が吹きます。二人が驚いて退散すると、親獅子と仔獅子の精が現れ、勇壮に毛を振り、舞い納めるのでした。能の「石橋」をもとに、前半で獅子の親子の情愛を、後半で勇猛な獅子の毛振りを見せる歌舞伎舞踊の名作です。
歌舞伎で演奏される曲は「正治郎連獅子」。「勝三郎連獅子」は現代では素演奏曲として人気です。この中の「獅子」はライオンを原型とする想像上の生き物です。勇猛正義の獣で、すべての獣がそのひと吼えにひれ伏すほどの勇猛さ、気高さ、威厳を兼ね備えた百獣の王であり、仏教の世界では普賢菩薩の乗り物でもあります。
さて、この連獅子に対して、もう一つの「獅子」の曲は「越後獅子」。美空ひばり嬢の名曲のタイトルにもなっているこの「越後獅子」は長唄の中でも名曲とされ、今なお高い人気を誇っています。文化8(1911)年篠田金次作詞、9世杵屋六左衛門作曲。地唄を基にして作られた曲で、驚くべきことに一夜にして急きょ作られたそう。文化8年、当時江戸で大人気だった3世中村歌右衛門が、ライバルの3世坂東三津五郎の七変化の踊りに対抗するため超特急(作詞・作曲・振り付け各一日ずつ)で作られた七変化の中の一曲です。これによって、歌右衛門所属の中村座は三津五郎所属の市村座に持っていかれたお客を取り返したとも…。「七変化」とは、一人で七つの曲を踊りあげることです。「獅子」の名を冠していますが、鏡獅子や連獅子等といったいわゆる「石橋もの」ではありません。越後獅子の獅子は、(おもに子どもが)獅子頭をかぶって踊る、いうなれば獅子舞みたいなものです。この曲の別名は「角兵衛獅子」ですが、意味するところは一緒。越後から出てきた角兵衛獅子(≒旅芸人)が、都にていろいろの芸を披露するというのが曲の大筋です。途中、越後の国の風習が語られるところもあります。曲の終番、「サラシの合方」が3つ入っていますが、これは今でいう新体操のリボンのように棒の先に白く細長い布(サラシ)を持って舞っている場面であるため、この名前が付いています。この「越後獅子」は、かの有名なプッチーニの歌劇「蝶々夫人」において、第1幕の花嫁一行の到着を知らせる場面で、曲の一節が用いられています。オペラファンにも馴染みのある唯一の長唄と言える曲です。

  • 越後獅子

~歌舞伎からきた日常用語~

歌舞伎では主に夜の場面を表す背景の幕のほか、劇中で死んだ人、不必要なものを隠す幕として使われ見えない記号として用いられています。が、一般的には表に出ず他人を操って影響力を行使する人の意味で使われています。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2018.03.19

【第22回】五條 美佳園先生(第6回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第6回~6才の友情・絆・仏さま~」

毎年3月から5月に北名古屋市の、あるお寺の本堂で開催される「春の日本舞踊教室」の講師を、ご縁に恵まれましてさせて頂いています。
一般の皆さまから募り、2才から高校生の子どもたちが、童謡から長唄まで楽しくお稽古をして、最終日には発表会で成果をご披露しています。
数年前のある日、小学校低学年のクラスでの一件です。いつもとても仲良しの姉妹が、お稽古着(浴衣)に着替える最中二人で泣いてしまったことがありました。後から聞いてみると、その日二人が同じ浴衣を着たいと言ったのがきっかけだったようです。(ありますよね、一つしかない物を欲しくなったり食べたくなったりすること)
先にお稽古を始めていた子どもたちと私は、泣いている二人のことが気になりお稽古の途中で様子を見に行きました。

6才女児A「がんばろ!だいじょうぶだよ。」
同B「美佳園先生とがんばるって約束したじゃない!」
同C「みんなといっしよにやろうよ」

小さいながらに、それぞれ思い思いの励ましの言葉をかけて必死になだめる子どもたち。中には声をかけずにジッとそばに寄り添ってくれていた子もいました。みんなの気持ちが通じたのか、二人は奮起して涙を拭きながらお稽古場である本堂へ。私も「だいじょうぶよ、みんな一緒だもん。それに、ここは仏様がみんなのこと見守っていてくださるからね」と言葉をかけると、

6才女児D「そうよ!他ではこうはいかないんだから!」

なんと頼もしい言葉!その言葉を聞いて泣いていた二人もニッコリ!元気にお稽古を始めることができました。
見えない力に守られることで子どもたちは勇気や自信を持つことができます。だからこそ子どもたちはその場所が大好きで頑張れるのでしょう。私も子どもたちからパワーをもらえるこの春の教室が楽しみです。
今年もその季節になりました。少しでも興味をお持ち下さる皆さま、是非春の教室を覗きにいらして下さい。子どもたちの生き生きした姿をご覧頂けると思います。

  • 追伸……もちろん、宗教は全く問いません。どなた様もお気軽にお越し頂けます。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2018.03.19

  1. prev
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 4
  6. 5
  7. 6
  8. 7
  9. 8
  10. 9
  11. next