伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第62回】
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第16回~胡蝶の舞~御園座珠園会より」

4年に1度の五條流珠園会本会。今年は5月23日に御園座で開催されました。状況的に開催されるか否か、不安な中でのお稽古でしたが、当日まで感染防止対策を講じながら、出演者一同皆元気に舞台を務めることができました。
私は、長唄「連獅子」の親獅子をさせて頂きました。狂言師右近として獅子を手に花道から一旦退場すると、獅子頭をつけ衣裳を着替える間、舞台は「胡蝶」という役の子ども二人が健気に可愛らしく舞う、お客様にも人気の場面です。
二人は元々お稽古場も別々で日頃はあまり接点がないのですが、とても気が合い仲良しです。おかげで常に笑顔の絶えない実に楽しいお稽古でした。ただ、二人とも華奢なせいか、すぐにお腹がすいて頭も体もくたびれてしまいます。そこでお稽古の合間に『もぐもぐタイム』を作り、お腹を満たすのはもちろん、心もリラックスできていたように思います。二人ともチョコレートやマシュマロ、お豆やおせんべい等が大好きで、放っておいたらいつまでも食べ続けている位でした。
ある日お稽古を早めに切り上げようとすると、、、
「えーーっ!いつ食べたらいいの?」
もぐもぐタイムがなくなってしまうと、持ってきたおにぎりやお菓子が食べられなくなるからもっとお稽古したいとのこと。結局良い意味での“本末転倒”で、余分にお稽古をしたほどです。
でも決して馴れ合いではなく、お稽古はいつも真剣でした。また、時間さえあれば二人で振りを確認して、私たちの見てないところでもお稽古をしていたようです。連獅子を踊る私たちにとっても、胡蝶役二人の素直でひたむきな姿勢は心の支えとなり、頑張る勇気や力を沢山貰いました。

  • 胡蝶役の二人

  • 二人で稽古する様子

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2021.06.14

【第60回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第15回「御山獅子」

箏曲って?の今回は、地唄箏曲「御山獅子(みやまじし)」についてお話しさせていただきます。
この曲の作曲は菊岡検校(きくおかけんぎょう)、箏の手付け(作譜)は八重崎検校(やえざきけんぎょう)、作詞は竹中墨子といわれています。歌舞伎舞踊、三味線音楽、箏曲、尺八楽、胡弓楽などにおいて、獅子を題材とするもの、および曲名に「獅子」の語が入る楽曲、「獅子もの」の名曲です。
御山とは神路山(かみじやま)を指し、三重県伊勢市宇治にある山域で、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)から南へ流れる、五十鈴川上流域の流域の総称のことをいいます。歌詞は、伊勢神宮周辺の名勝地を紹介しつつ、軽妙な囃子で賑やかな獅子舞風の曲になっています。朝熊山(あさまやま)の奥院とは、伊勢神宮の丑寅(鬼門)鎮守の金剛證寺(こんごうしょうじ)のことです。

[歌詞]
神路山 昔に変らぬ杉の枝 萱の御屋根に 五色の玉も
光をてらす 朝日山 清き流れの 五十鈴川 御裳濯川(みもすそがわ)の 干網の
宇治の里ぞと 見渡せば 頃は弥生の 賑はしき
門に笹たて 鈴の音も 獅子の舞ぞと うたひつる
山を越したる 小田の橋 岩戸の山に 神楽を奏し
二見の浦の 朝景色 岩間に淀む 藻塩草 
関寺の夕景色
野辺の蛍や 美女の遊び 浮かれて汲むや 盃の 
早や鳥羽口に もみぢ葉を 染めて楽しむ 老い人の
朝熊山の 眺めも勝る 奥の院 晴れ渡りたる 富士の白雪

  • 菊岡検校=1792~1847。地歌の作曲者。
    地歌の作曲者として活躍し、京流手事物の様々な名曲を後世に遺している。
    その多くの曲の箏の手付けは八重崎検校が担当している。
    代表曲に磯千鳥・楫枕・茶音頭・夕顔など。
  • 八重崎検校=1776または1785~1848。
    京流手事物の箏の手付けの第一人者で、多くの箏の手付けを残している。
  • 伊勢神宮の内宮(皇大神宮)

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2021.05.24

【第59回】杵屋 六春先生(第15回)
長唄名曲紹介~Vol.15 2人の名作曲家の競演「神田祭」

明治44年(1911)、作曲 三世杵屋六四郎・四世吉住小三郎、作詞 幸堂得知(こうどうとくち)約18分の曲である。
正式名称「百夜草下の巻 神田祭」。
「百夜草」は上下巻に内容がわかれており、このうち下の巻の曲が「神田祭」と称して、現在も多くの長唄愛好家に演奏されている。明治44年(1911)10月1日、長唄研精会の100回記念として東京有楽座において初演された曲で、「百夜草」とは菊のことである。上の巻作詞を半井桃水(なからいとうすい)、下の巻作詞を幸堂得知が担当し作曲は四代目吉住小三郎(吉住慈恭)と三代目杵屋六四郎(稀音家浄観)。上の巻は菊の由来故事について述べたものであるが、これは初演以降ほとんど演奏されていない為、筆者も曲を聴いたことが一度もない。下の巻は江戸時代に神田明神の祭礼である神田祭で引き回されていた山車行列と、それに付属する付祭りの様子を描いた曲である。神田明神の祭礼はかつて旧暦の9月15日に行われ、当日の夜明け前には各町からの山車が湯島聖堂付近に集まり、空が白むころになって一番大伝馬町の「諌鼓鶏(かんこどり)の吹貫の山車」、その次の二番南伝馬町の「幣猿の吹貫の山車」をはじめとして多くの山車練り物が繰り出され、神輿に付き添って練り歩いた。下の巻を作詞した幸堂得知は天保14年(1843)の生まれで、江戸時代の神田祭の賑わしさを実際に見ていたひとりであった。その神田祭の祭礼が明治に入ってからは年々廃れてゆくのを嘆き、この曲にせめてその賑やかだった頃の様子を残したいと考え、山車の引き回しと付祭りのひとつである踊り屋台の雰囲気を、曲の中に取り入れようとした。そこで吉住小三郎と杵屋六四郎へ作曲や曲のあいだに入る囃子について色々と注文を出したが、そうして出来た曲を聴いた得知は「思い残すことはない」といって大変喜んだという。一番二番の山車が先に繰り出す間は得知の注文に沿って大太鼓を入れ、三番神田旅籠町の翁の山車の出てくるくだりからは「神田丸」という屋台囃子、そのあと「狂言鞨鼓」と「渡拍子」、「四丁目」の囃子、最後は屋台囃子で終わる、というように囃子が曲中に組み入れられている。「屋台囃子は吉住と杵屋が持の菊襲ね(きくがさね)」と歌詞の中にあるが、作詞をした得知の2人の作曲家への並々ならぬ期待を物語っている。清元にも神田祭があるが、それとは全く別物。歌詞の中に木遣り音頭の「オーンヤーリョーイ」があり、描いた風景は同じものと言われている。
そもそも神田祭とは東京都千代田区の神田明神で行われる祭礼のことで「神田明神祭」とも呼ばれ、山王祭、三社祭と並んで江戸三大祭の一つとされている(三社祭の代わりに深川祭とする事もある)。京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられる。祭礼の時期は現在は5月の中旬。長唄の奉納演奏も行われている。令和3年神田祭は「蔭祭」として斎行することとなった。「蔭祭」とは派手に開催する本祭とは逆の簡素な祭のことで、神幸祭中止、神輿宮入中止になるとのこと。
一日も早く賑やかなお祭りの風景が見られる日常に戻ることを心から願っている。

  • 「神田祭」

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2021.03.25

【第58回】五條 美佳園先生(第15回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第15回~あくびの秘密~」

『あくび』と聞くと、眠い、疲れ、退屈•••など、マイナスのイメージを抱くことが多いかもしれません。
随分前ですが、こんなエピソードがありました。ある日のお稽古でのこと。その日は数人で一緒に踊ったり、お互い見せ合ったりの合同お稽古でした。自分の番が終わり、友だちが踊るのを正面に座り見ていた女の子が、大きな口を開けて思いきりあくびをしました。普段私からあまり叱られることのない彼女は珍しく注意をされてびっくりしたのか落ち込み半ベソ。エチケットとして、「少し横や下を向いて口を手で隠しながらこっそりあくびをする」ように教えたことを覚えています。
しかし、最近テレビやインターネットで『あくび』について耳にすることがありました。子どもたちにも人気の『○○ちゃんに叱られる』という番組でも取り上げられましたが、勉強や仕事などで疲れたり、食事をして満腹になると、脳内の温度が下がり、それにより眠気が起きます。「眠っちゃいけない」と考えた体は脳内の温度をあげようと動き出します。でも温度の上がり過ぎは体には危険ということで、今度は脳内の温度を下げようとします。その時に起きるのがあくびなのです。(上記某番組参照)
退屈だったりつまらないことの象徴だと思いこんでいたあくびは『しっかり話を聞こう』『お稽古頑張らなくちゃ』と思うからこその自然現象だったのです。それ以来私は、子どもがあくびをすると「よくがんばってるね」と声をかけるようになりました。その時の子どもたちの表情は、恥ずかしそうでもありますが認めてもらえた満足感に溢れています。今まであくびをしてきた子どもたち、そして今なおあくびをしながら頑張っている皆さまに心からエールを送りたいと思います。

  • 楽しそうに踊る子どもたち(2019年5月)

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2021.02.17

【第61回】柴垣 治樹先生(第16回)
舞楽の曲目解説 第16回 「貴徳(きとく)」

貴徳は舞台上を活発に動きまわる右方の走舞(はしりまい)です。
前漢の宣帝の神爵年中(紀元前61~58年)に、北方の騎馬民族である匈奴(きょうど)の日逐王(じつちくおう)が降伏し帰徳候(きとくこう)となった、という故事に基づいて作られた曲と伝えられています。『散手(さんじゅ)』の番舞とされる一人舞で、『散手』と同じように、襲(かさね)装束の番子(ばんこ)が鉾(ほこ)を渡す演出があります。番子の人数は正式には6人、通常は4人、略式では2人とされます。
貴徳の曲の次第は、(1)「高麗小乱声(こまこらんじょう)」、(2)「高麗乱声」、(3)「小音取(こねとり)」、(4)「当曲破」、(5)「当曲急」からなります。
前奏曲「高麗小乱声」で始まり、続く「高麗乱声」の間に舞人(まいにん)が登台し、舞台に登るときの所作「出手(ずるて)」を舞います。舞人が右向きにひざまずいて鉾を舞台に置くと曲を終わりにする「止手(とめて)」が奏されます。続く「小音取」の後、この演目の中心となるゆるやかなリズムの「当曲破」が舞が終わるまで繰り返し奏されます。早いリズムの「急」は唐拍子(からひょうし:高麗楽の拍子の1つ)で奏され、舞が終わると舞人は退出し、楽器を演奏する管方(かんかた)は、曲を終了する時に奏する曲「吹止句(ふきどめく)」を奏します。
装束は緑系統を基調とした演目固有の装束である別装束で、中央に穴を開け首を通す裲襠装束(りょうとうしょうぞく)でも、活発な動きのある走舞で用いられることの多い、周囲を毛で縁どった毛縁装束(けべりしょうぞく)を着用します。
顔には眉毛と口ひげに白い毛皮が貼られた口を固く結んだ武将の面をつけます。頭には鸚鵡(おうむ)を色鮮やかにかたどったような装飾の甲(かぶと)を被り、手には黒漆塗の鉾を、腰から太刀(たち)を下げています。
「破」は軽快な旋律、「急」は1小節ごとに太鼓が打たれる唐拍子のリズムをいかした旋律となっていて、高麗楽の曲のなかでもすぐれた名曲の1つです。
手にした鉾を大きくまわし四方を突いて、勇猛で知られる北方の王を表現します。演奏時間も長く、高い技量が必要とされる一人舞です。宮内庁式部職楽部の楽生(修行期間)の右方舞の最後の試験になります。
私の感覚では貴徳の舞を表現する為には最低でも5回くらいは緊張感がある本番を踏まないと形にならないと思います。
是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 貴徳(きとく)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2021.01.18

【第57回】柴垣 治樹先生(第15回)
舞楽の曲目解説 第15回 「蘇莫者(そまくしゃ)」

蘇莫者は盤渉(ばんしき)調に属します。左舞の一人で舞う、走舞(はしりまい)です。蘇莫遮とも書きます。番舞(つがいまい)は右舞の蘇志摩利(そしまり)です。
聖徳太子が信貴山へ行く時、尺八を吹いたところ老猿の姿をした山神が現れて舞ったのを、四天王寺の楽人がこれを元にして舞ったといわれています。または、役の行者が笛を吹きながら大峯に行くと、その曲に感じて山神が舞ったともいわれています。この二つの由来が主に伝えられています。
蘇莫者の次第は、龍笛よる林邑乱声(りんゆうらんじょう)の伴奏に登場し、「蘇莫者音取(そまくしゃねとり)」、「序」、「破」と演奏し、「破」の曲中で舞人が退場します。
蘇莫者は裲襠装束に蓑をまとい、金色の山神を模した面をつけ、左手に桴(ばち)を持って舞います。太子(たいし)と呼ばれる笛の音頭が舞台の上で笛を演奏します。太子は左方襲(さほうかさね)装束に唐冠(とうかんむり)をかぶり、太刀を腰に下げます。

【蘇莫者の歴史と魅力】
明治時代、天皇陛下が東京に移り、雅楽を伝承してきた楽家も東京に移り住みました。それまでは各家で雅楽を伝承していましたが、統一した譜面を作る事になり各家から曲、舞などを出し明治選定譜が作られました。蘇莫者の舞は、薗家の舞で蘇莫者の舞だけは薗家以外の楽人が舞う事が禁止されていました。
今では、薗家は後継者がいなくなり、最後の薗家の先生が宮内庁式部職楽部に蘇莫者を伝えて数名の現役楽師が引き継ぎ、残っております。
左舞を専門とする方も蘇莫者を習える先生が少なく、演奏会ではあまりやりません。
「蘇莫者を舞った事がある」「太子で龍笛を吹いた事がある」そんな自慢話を聞くことがあります。右舞と笙が専門の私は一生分からないことですが。
是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 蘇莫者(そまくしゃ)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2021.01.18

【第56回】岡崎 美奈江先生
箏曲って? 第14回 「隣国のお箏(琴)」

日本の伝統楽器の代表といわれるお箏ですが、他国にもお箏に似た楽器があります。
琴と箏の違いにつきまして、以前にもお話しさせていただきましたが、「弦を指で押さえて弾くものを琴」「柱(じ)という白い柱を立てて弾くものを箏」と呼んでいます。「琴」と「箏」は共に奈良時代に中国から日本に伝わり、『源氏物語』などにも琴と箏に触れた部分があります。その後、日本で「琴」は消えてしまい、江戸時代に儒者によって再興されるのですが、明治になるとまた琴は日本からは消えていきます。一方、「箏」は日本で消えずに残り、現在日本人が弾いているのは、この「箏」です。これを「お箏(おこと)」と呼んでいます。
柱のない弦楽器としての琴がかなり早い段階で日本では使われなくなったため、もともと「琴」と「箏」の文字は誤用されがちだった上に、当用漢字の導入で混乱に拍車がかかり、そのため、現在では唐の時代の「箏」、すなわち13弦で柱のある弦楽器のことを、日本では、「おこと」と呼んでいます。
中国には「古箏(こそう)」と呼ばれる楽器があります。秦の時代にはすでに広く演奏されていたようです。中国の「古箏」は最初は5弦、唐代には12弦と13弦の2種類がありましたが、歴史の中で改良され、現在は21弦が主流のようです。日本の箏と同じく、爪を付けて演奏します。
日本の箏は昔は絹糸でしたが、現在は一部を除きナイロン弦を使用していますが、中国の古箏は絹糸からスチール弦に変わり華やかな音色が特徴です。
韓国には「伽耶琴(カヤグム)」という、日本の箏によく似た楽器があります。カヤグムは、朝鮮半島に古くから伝わる12弦の楽器です。日本の箏は爪を使って演奏するのに対して、カヤグムは爪を使わず、右手の親指、人さし指、中指の3本の指を使って演奏します。弦は現在も絹糸で、日本の箏との大きな違いは、楽器の頭部をひざの上に乗せ、演奏することです。
日本・中国・韓国それぞれの箏は、歴史の中でその時代に合わせ改良され、現在に伝えられています。機会があれば、一同に集め聴き比べ、弾き比べをしてみたいものです。

  • お箏(日本)

  • 古箏(中国)

  • 伽耶琴(韓国)

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2020.12.18

【第55回】杵屋 六春先生(第14回)
長唄名曲紹介 ~Vol.14 番外編 令和の新作「名古屋城天守物語」

今回は、日本舞踊家・五條園美さんが率いる芸能集団・創の会による創作舞踊劇「名古屋城天守物語」のご紹介。創の会とは、名古屋で活動する日本舞踊家を中心に舞台芸術家が集まり、分野や流派を超え、舞台芸術の発展と地域の活性化や情操教育の促進に貢献することを目的として平成30年10月に創立された団体である。作品の脚本・演出は伊豫田静弘さん。NHK大河ドラマの演出で有名だが、舞台の演出も数多く手がけている。
劇中歌も全て新作で構成されており、第一幕の長唄を杵屋三太郎さん、第二幕の長唄を筆者・杵屋六春が担当。常磐津を常磐津綱男さん、箏曲を箏曲正絃社の野村祐子さん、作調を望月左登貴美さんが担当するなど、シーンごとに多彩な音楽が奏でられる。
ストーリーは名古屋城天守の穴蔵から盗まれた金の延べ板をめぐり、天守を預かる御鍵奉行が本丸を守る櫓(やぐら)の姫君たちを調べていく推理ドラマ。前半は華やかな姫たちの舞を中心に、後半は金の延べ棒の謎を解き明かしていく。
鯱姫を演じる工藤寿々弥さんをはじめ、各櫓を模した役どころの姫君たち。清洲姫を稲垣舞比さん、丑寅姫を五條園千代さん、辰巳姫を結月櫻さん、ひっさる姫を花柳磐優愛さん。洋舞や演劇など流派やジャンルを超えた多くの出演者、演奏者の競演をお届けする。
コロナ禍で舞台公演の中止や縮小が続く中、公演を楽しみにしている皆さんに楽しんでいただけるよう奮闘中である。
代表の五條園美さんは「こんな時だからこそ、多くの皆さまに楽しんでいただきたいと公演開催を決断しました。お客さまには安心してご覧いただけるよう、万全の準備をいたします。曲に合わせた振付や演出も満載の舞台です。たくさんの方に観ていただきたい」と話す。公演日は令和2年12月12日(土)・13日(日)、時間は13時~・17時~の各2回公演。場所は名古屋市芸術創造センター。今回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、客席の使用を半数に制限する予定。
あわせて12月11日(金)のゲネプロ(本番同様に実施するリハーサル)も特別に公開。こちらは18時30分からの開演で本番DVDが進呈される。入場料は全席指定A席5,000円、B席4,500円。問い合わせは、芸能集団創の会事務局052-881-6684まで。

https://www.sohnokai-nagoya.com/

  • 「名古屋城天守物語」公演チラシ

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2020.11.20

【第54回】五條 美佳園先生(第13回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第13回~希望の光~」

今回は当時小学2~3年生だった女の子が、長唄『手習子』をお稽古していた時のエピソードです。
江戸時代の女の子たちは寺子屋で読み書きを習う他に、お琴、三味線、踊りなどのお稽古にも通い、とても忙しい一日を過ごしていたそうです。『手習子』は、そんな寺子屋帰りの女の子たちが春景色の中、道草をしている可愛らしい踊りです。勉強道具である「手習い草紙」を持っていて、それで蝶々をつかまえようとしたり、桜の花びらで毬を作って遊んだり、おませな恋の話や、天神様にお願い事をするなど、私自身も小さい頃から大好きな演目でした。
その歌詞の初めの方に「・・・飽かぬ 眺めの かわゆらし・・・」という部分があります。桜の美しい様と、娘盛りの可愛らしさを掛けて唄われているのですが、まだ8~9才だった彼女には、こう聞こえたようです。
「・・・あかぬ ららねの かわゆらしし・・・」
?!?!?!逆にどういう意味なのかしらと聞いてみると、彼女は嬉しそうに絵を描いてくれました。元々想像力が大変豊かなお子さまでしたので描きあげるのに時間はいりません。(当時の絵が残っていましたので、本人の許可を得て載せておきます)解説致しますと、「見ていて飽きないくらい可愛らしい獅子の女の子”ららね”ちゃん」だそうです。しかもららねちゃんのパパとママまで描いてくれました。一体どんな気持ちで『手習子』を踊っていたのかしらと当時大爆笑したことを思い出します。
古典の歌詞は子どもにとって外国語にも聞こえるようですが、子どもたちなりに想像してその世界を表現しようとしているのです。そんな子どもたちの夢を壊さないようにしながら、それぞれの物語を話して伝えるのもお稽古の楽しさに繋がっています。
これからも小さな子どもたちには、勘違いしながらも沢山想像力を働かせて日本舞踊の楽しさを発見してもらえたらと思います。

  • 当時小学2~3年生の女の子が
    描いた「“ららね”ちゃん」

  • 手習子を踊っている様子

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2020.10.21

【第53回】柴垣 治樹先生(第14回)
舞楽の曲目解説 第14回 「胡飲酒(こんじゅ)」

胡飲酒は左方走舞の曲になり、壱越(いちこつ)調に属します。仏哲という僧が伝えたといわれる林邑(りんゆう)楽の一つです。
胡国の人の酒に酔った姿を模した舞といわれており、管絃(器楽合奏)の曲としても演奏されます。
舞人は頭に長い毛のある茶色の大型の面をつけ、太い桴を持ち、朱色の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)を着け、1人で舞います。
胡飲酒の次第は、龍笛よる林邑乱声の伴奏に登場し、「迦陵頻音取(かりょうびんねとり)」、「序」、「破」と演奏し、退場は「破重吹き(はしげぶき)」で舞人が退場する。
また胡飲酒は別名で宴飲楽、酔胡楽とも言います。
【「序」の曲の中では一番易しい曲、胡飲酒序】
舞楽胡飲酒を経験する時に初めてぶつかる壁が「序」です。序吹(じょぶき)といわれる、ゆっくりした無拍節[自由リズム]の曲目です。しかし無拍節の中にもルールがあります。ルールを理解してから合奏をし、曲がまとまってから舞人との合わせがあります。
胡飲酒序を通して序吹きを学び、他の難しい序の曲目に挑む。
難しい序吹きの第一歩になる曲目になっています。

  • 胡飲酒(こんじゅ)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2020.09.25

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