伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第21回】柴垣 治樹先生(第6回)
『雅楽の楽器紹介その6【楽太鼓】』

雅楽に使われる楽器の中で唯一の金属楽器。鉦鼓は三種類あります。
釣鉦鼓(つりしょうこ)、荷鉦鼓(にないしょうこ)、大鉦鼓(おおしょうこ)です。
どのような場面で使われるかを説明させて頂きます。

釣鉦鼓

主に管絃(演奏のみで舞が無い)の時に使います。直径15cm程の、金属製の円形の皿形の内側を、二本の桴(ばち)で打つ打楽器です。

荷鉦鼓

雅楽を演奏しながら行進する道楽に用いられます。二人のかつぎ手と演奏者の三人が連れ添って歩きます。
ちなみに、道楽は「どうらく」ではなく「みちがく」と読みます。

大鉦鼓

雅楽の舞楽に用いる鉦鼓です。舞楽には左方、右方があるので大鉦鼓は2台使うのが理想ですが、とても高価でとても大きいので、宮内庁式部職楽部、大きな神社、大きなお寺以外ではあまり使われておらず、釣太鼓で演奏される事が多いです。

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2018.02.08

【第33回】柴垣 治樹先生(第9回)
『和琴(わごん)』

雅楽器の中で一番位の高いのが和琴です。
和琴とは雅楽の楽曲で、神楽歌・久米歌・東遊と大歌の演奏で用いられる楽器です。
中国大陸から伝わった楽箏とは楽器の構造も出自も、奏法もまったく異なる楽器です。他のほとんどの楽器が大陸からの伝来を起源としているのに対して、この和琴は純日本製の楽器であり、起源はとても古く、古墳時代の埴輪には和琴を演奏する人を形作ったものも出土しています。
本体は、桐の木を刳り抜いて表面全体を火で焼き焦がし、上面に絹の絃を張っています。絃は絹製六本で、箏のように絃と絃を直接結び合わせず、末尾の「鴟尾」(とびのを)又は「弰頭」(はずしがしら)と呼ばれる突起部に掛けられた「葦津緒(あしづお)」と呼ばれる絹糸を編んだ紐に、その片端を結びます。
柱(じ)は天然の楓の枝の中から二股になった部分を切ってそのまま使います。演奏には「琴軋(ことさぎ)」と呼ばれる水牛の角で作られた細長いピックのようなものを使います。
個人的には雅楽器の中で一番好きな音です。
奈良時代より前に日本にあった楽器なので、良い意味で奏法や作法がしっかり定まっていないです。

  • 和琴

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2018.01.25

【第20回】岡崎 美奈江先生
筝曲って?第5回『生田流と山田流』

お箏の流派には、大きく分けて生田流と山田流の2つの流派があります。皆様もお耳にしたことがあるのではないでしょうか。ちなみに、私が所属しているのは生田流です。今回は、生田流と山田流について、お話させていただきます。

生田流のはじまり
室町時代の末期、北九州久留米の善導寺に、賢順(けんじゅん)というお坊さんがいました。彼は寺院に伝承される雅楽や歌謡、中国の琴楽などを参考に、筑紫箏(ちくしごと)を作り出しました。賢順には法水という名の弟子がおり、彼に師事したのが三味線や胡弓の名手であった八橋検校(やつはしけんぎょう)でした。彼は筑紫箏をもとにしつつ、より世俗的、当世風でかつ芸術性の高い組歌十三曲と段物三曲を作曲し、当時大流行しました。そして、この八橋検校の流れを汲んだ生田検校が、生田流の流祖です。
山田流のはじまり
上方で箏曲が早くから流行していたのに比べ、江戸ではまだあまり人気がなかったのか、演奏する人があまりいませんでした。そこで安村検校は、江戸への勢力拡大を図り、弟子の長谷富検校を江戸へ下らせ、生田流系箏曲を広めようとしました。その弟子山田松黒に教えを受けたのが山田検校で、彼は江戸っ子好みの浄瑠璃を取り入れた新作を作り、山田流箏曲を創始しました。

生田流と山田流の違い
見てわかる大きな違いとしまして、まずは「爪の形」です。生田流では角爪を、山田流では丸爪を使用します。そして「構える姿勢」、生田流は爪の角を有効に使う為、箏に対して斜め45度に座り、山田流は箏に対して、正面に座ります。
箏曲の演奏会に行く機会がありましたら、お爪や構える姿勢で、生田流か山田流か、すぐに分かるかと思います。

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2018.01.11

【第19回】杵屋 六春先生(第5回)
長唄名曲紹介 Vol.5

今回ご紹介する曲は二曲。一曲目は「二人椀久」。正式には本名題『其面影(そのおもかげ)二人椀久』。作詞者不詳、作曲1世錦屋金蔵。安永3(1774)年初演。椀久物の一つ。
大阪の豪商であった椀屋九兵衛は、馴染みを重ねた傾城の松山太夫に入れあげすぎてしまい、座敷牢に軟禁されたことから発狂したと言われています。狂乱した椀屋久兵衛が松山太夫との華やかかりし頃の幻影をみますが、やがてはその幻も消え、ひとり舞台上に残され、泣き倒れ伏すという物語。二人[ににん]とは、松山太夫が椀屋久兵衛の羽織を着て、[椀屋九兵衛]になって連れ舞するという意味合いを示しています。しかし、幻影である松山太夫はいつか消え去り、最後は、ひとり舞台に残された椀九は、松風の音を聞きながら、寂しく泣き伏せて幕、となります。傾城松山恋しさに狂二上りから三下りと転調。能『井筒』のクセを取入れた唄や、後半の廓情緒を三味線と大鼓小鼓で演奏する部分(タマ)など技巧を凝らした難曲で、踊り地に太鼓の入らないのも特徴です。
二曲目は「時雨西行」河竹黙阿弥作詞、2世杵屋勝三郎作曲。1864年(元治1)9月初演。西行法師が江口(現在の大阪市東淀川区)の遊女と歌を詠み交わすが、遊女は普賢菩薩の化身であったという話を題材にした能『江口』の長唄化。本来は舞踊を伴わない長唄だけの曲。全体の構成は、雨に濡れた西行法師が、一人暮らす遊女に宿を借りたいと願いますが、断られてしまいます。「俗世を捨てて出家するのは難しいだろうけど、だからって一夜の仮の宿まで惜しまなくったって……」西行が「仮の宿」という言葉に「俗世」と「一夜の宿」の二つの意味を含めた恨み言の和歌を詠むと、「あなたは俗世を捨てた人だと聞いたから、一夜の宿に執着しちゃだめよ、と思ってお断りしたんです」と、遊女は西行の言葉を即座に歌を返します。「心留むな」=執着してはならない、と遊女は語ります。人を愛することも憎むことも、執着は悲しみを生み、生きる苦しみを増やすだけ。学問を積んだわけでも、仏道の修行を重ねたわけでもない遊女ですが、訪れる人のすべて、寄せられる想いのすべてが消え去っていく日々を生きる中で、俗世にありながらこの世の無常を肌で知ったのでしょう。自分の生業のはかなさを知りながらも、その道を受け入れて生きる遊女の姿こそが、仏道を生きる西行には現世を生きる菩薩と写ったのです。西行の道行、遊女との出会いと西行の身の上話、遊女の身の上話、普賢菩薩の現出と4部分に分かれ、それぞれ、謡曲風で荘重な曲調、くせのないさらりと運んだ曲調、詠嘆的な華やかな二上り、大薩摩(おおざつま)とそれに続く三味線の技巧を尽くした神秘的かつ荘重な本調子と、趣(おもむき)に変化をもたせている名曲の一つ…皆様、この二曲にはある共通点があります。見つけられましたか?一つ目は江口、井筒など能からインスピレーションを受け物語やフレーズを長唄化したこと。二つ目は「遊女」に幻をみたこと。いつの世も男性は美しい女性に幻をみるものなのでしょうか…

  • 西行法師

~歌舞伎からきた日常用語~

歌舞伎から生まれた用語」こけら落とし

いよいよ来年の4月にご当地名古屋のシンボリック劇場が開場します。こけら落としとは一般的に新築した施設の開場式を指します。歌舞伎ではこけらは材木の削り屑のこと。江戸時代民家の屋根はほとんどがこけらで葺かれていました。新築または改築工事の終わりに屋根や足組などの削り屑のこけらを払い落とす目出度い習慣があったらしく、これに習って劇場も最後に屋根の削り屑(こけら)をおとしたことから、こけら落としと呼ばれるようになったようです。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2017.12.01

【第18回】五條 美佳園先生(第5回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第5回~大変身!クネクネからキラキラへ~」

今回はまずこの詩からご紹介したい
と思います。

『はっぴょうかい』
ぶたいにたった
たのしくおどった
ていねいにおどった
げんきにおどった
こんなにいっぱいのおきゃくさま
いっぱいいっぱいのおきゃくさま
わたしのおどりを見てくれる
がんばるぞ
よかったよと
いわれるようにがんばるぞ
きょくがながれる
いよいよでばん
みんなの目がわたしをむいている
おわったよ
ドキドキのぶたいがおわったよ
だんだんドキドキおさまって
さいごはさっぱりしたきもち
きょうのぶたいたのしかったな
らいしゅうのおけいこたのしみだ

これは、今はもう高校生になった門下生が小学校二年生だった頃書いたものです。小さいながらもこんなに沢山の思いを胸に踊っていたのだなぁと当時感激したのを覚えています。
2才10ヶ月でお稽古を始めた彼女は、かなりの恥ずかしがり屋さんでした。初対面の方を前にするとクネクネしながらやっと聞こえるくらいの声で挨拶をしてスーッとママの後ろに隠れてしまったり、先輩方がお稽古中は着替えの部屋から絶対出てこなかったくらいです。
でも、この詩を書いた頃から踊りが生き生きし始め表情も明るくなってきたような気がします。きっと日本舞踊が彼女に勇気と自信を与えてくれ、それに包まれて温かくのびのびと成長したのでしょう。
技術を磨くのはもちろん、それだけではなく心を豊かにしながら『キラキラ』と成長していく子どもたちの姿を、眩しく、頼もしく感じながら、今後も見守っていきたいと思います。

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2017.10.31

【第17回】柴垣 治樹先生(第5回)
『雅楽の楽器紹介その5【楽太鼓】』

雅楽に使われる太鼓は三種類あります。
釣太鼓(つりだいこ)、荷太鼓(にないだいこ)、大太鼓(だだいこ)です。どのような場面で使われるかを説明させて頂きます。

釣太鼓

主に管絃(演奏のみで舞が無い)の時に使います。鼓胴の厚さ約12センチ、鼓面の直径約60センチの扁平形で、円形の木の枠につるし、2本の桴(ばち)で打ちます。
雅楽で一番使われる太鼓です。

荷太鼓

雅楽を演奏しながら行進する道楽に用いられます。二人のかつぎ手と演奏者の三人が連れ添って歩きます。
ちなみに、道楽は「どうらく」ではなく「みちがく」と読みます。

大太鼓

雅楽の舞楽に用いる太鼓で、鼓面の直径は約2メートルもある大きな太鼓。周囲に火焔(かえん)の装飾があり、火焔太鼓とも呼ばれています。
舞楽には左方、右方があるので大太鼓は2台使うのが理想ですが、とても高価でとても大きいので、宮内庁式部職楽部、大きな神社、大きなお寺以外ではあまり使われておらず、釣太鼓で演奏される事が多いです。

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2017.10.03

【第16回】岡崎 美奈江先生
箏曲って? 第4回『検校』

前回は、「箏曲作曲家・演奏家 八橋検校と京都銘菓 八ツ橋」についてお話をさせていただきました。第4回目は、「検校」について採り上げたいと思います。

近世箏曲の創始者といわれる「八橋検校」、愛知県出身で後に京都・名古屋を中心に活躍した「吉沢検校」、普段はあまり目にしない、この「検校(けんぎょうと読みます)」にはどんな意味があるのでしょう。

近世まで、日本には「当道職屋敷」という盲人の方の為の保護・統括組織がありました。歴史は古く、平家琵琶の専門家の組織が、室町幕府から庇護をうけるようになり、宗教組織から抜け出したのが始まりです。盲人は、ここに属することによって大きな庇護を受けることになりますが、代わりに細かな身分制度の中にはめ込まれていました。
大きくは4種(4官)で、座頭(ざとう)・勾当(こうとう)・別当(べっとう)と上がっていき、その最高位が検校でした。この4種がさらに16階級、73刻みに組み分けされていたそうです。検校へあがるのはとても大変なことだったそうですが、その権勢と経済力は大名にも匹敵したと伝えられています。
江戸時代に全盛期を迎えた組織も、明治4年に廃止となりました。

かつては勝新太郎さん、その後ビートたけしさん、最近では中日劇場の歌舞伎で市川海老蔵さんも演じられた「座頭市」、これは「市」という名前の、「座頭」職の方を題材にしたものです。

  • 箏曲公演の様子

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2017.08.31

【第15回】杵屋 六春先生(第4回)
長唄名曲紹介 「西洋音楽に例えると~Vol.4」

今回ご紹介する曲は「綱館」、正式には「渡辺綱館(わたなべのつなやかた)之段」。
1869年(明治2)3世杵屋勘五郎作曲で、1741年(寛保1)江戸・中村座の初演以来埋もれていた『兵四阿屋造(つわものあずまやづくり)』の詞章に手を入れ、節付けをして復活させた作品です。この曲自体は演奏会用に作られた作品ではありますが、歌舞伎では「茨木」という演目で上演され、お芝居としても観ることが出来る作品でもあります。西洋音楽にたとえると、時には歌曲、時にはオペラといったところでしょうか…。
渡辺の綱は羅生門で鬼「茨木童子(いばらきどうじ)」の腕を切り落として追い払いました。しかし有名な陰陽師の安倍晴明の占いによると、相手は鬼なのでかならず仕返しに来るとのこと。7日間は屋敷にこもって誰にも会わず、物忌(ものいみ)し、腕は箱に入れて封をしておくように言われました。そして今日が7日目。何事もないといいが、と思う綱。
そうこうするうちに日も暮れてきました。そこに老婆がやってきます。老婆は綱の伯母だと名乗り、「津の国(摂津の国。今の大阪と兵庫の間)」から、甥の綱に会いに来たと言います。伯母とはただの親戚ではなく、綱の育ての親なので母親のような立場なのです。物忌の最中なので家には入れないと家来や綱が断るので、叔母はがっかりして帰って行きます。門の外でのひとりごとが聞かせどころのひとつ。
綱が幼き時より自ら育ててきたのはこの叔母の私。それなのにこの冷たい仕打ち、と悲しみます。
優しい心を持っていないのならどんなに強くても武士としては失格だと怒り、もう肉親の縁を切ると号泣する叔母。困り果てた渡辺の綱。育ての親をむげに帰すことはできない。縁切りも困る。そもそも身内なのだから大丈夫だろうと思った綱は、叔母を呼び入れます。
このへんまでは普通のやさしそうなおばさんです…さあここから徐々に鬼としての正体をあらわしていくわけです。甘い言葉で、綱が羅生門でとった鬼の腕を見せて~とお願いします。そしてその腕をためつすがめつ眺めた叔母はあっという間に腕を取り返して帰っていったのでありました。

この曲は長唄愛好家の憧れの曲。そしてこの曲を幸せなことに名披露目の時に、ご宗家15世杵屋喜三郎師のお許しをいただき(長唄宗家・杵屋六左衛門家の許しものの一つ)唄うことが出来ました。
さて次回はどんな曲をご紹介しようかしら…まだまだ名曲は続きます。

~歌舞伎からきた日常用語~

油断大敵

これは歌舞伎から来た言葉ではございませんが、手柄をとった渡辺の綱が油断して起こったお話。
皆様もぜひお気を付け下さい!私も気を付けます。

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2017.07.24

【第14回】五條 美佳園先生(第4回)
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第4回~鑑賞!曾根崎心中~」

今回は記憶に新しい半年ほど前のエピソードをお届け致します。
昨年12月、名古屋市芸術創造センターにて「椿説曾根崎心中夢幻譚」という公演に出演させて頂きました。交響楽団、箏、尺八、琵琶、三味線という和洋のコラボ演奏に、お能と日舞が立方として物語を表現致しました。私は主要キャストである天満屋の遊女お初をさせて頂きました。皆さまもご存知のように、平野屋の手代徳兵衛と心中するお話です。可愛いお弟子さんたちも大勢足を運んでくれました。
公演1週間後のお稽古日のことです。保育園に通う4歳の女の子が「先生じょうずだったよ」と沢山誉めてくれました。(厳しい芸の道、なかなか誉められることはありませんから嬉しいものです)舞台当日、私が刀で殺められたシーンにショックを受けては可哀想と思ったママが「先生大丈夫かなぁ。」と子どもに声をかけたそうです。すると、
「違うよ、先生は死んだふりをしているだけだから大丈夫だよ。」と逆にママを諭したそうです。4歳にしてなんと冷静に舞台を観ていたことでしょう!

今度は1年生の女の子がお稽古に来ました。伏し目がちで何だか元気のない様子。ママに尋ねると、その日の朝から「今日私はだれにお稽古してもらうの?」と何度も聞いてくるというのです。
よほど真剣に舞台を観ていたのでしょう。お初である私は死んでしまったと思い込んでいたようです。「大丈夫よ!先生はこんなに元気よ!」と抱きしめると、安心したのかやっと笑顔を返してくれ、嬉しそうにお稽古を始めたのでした。
ただ観せられるだけでなく子どもなりに積極的に話を理解し心を動かして、まさに舞台を『鑑賞』していたのだなぁと驚かされました。このような経験が彼女たちの今後にどのように生かされるのかとても楽しみです!

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2017.07.05

【第12回】岡崎美奈江先生
箏曲って?第3回 『八ッ橋』

私の担当しますエッセイ「箏曲って?」では、第1回は『箏と琴』、第2回は『春の海』をテーマにお話させていただきました。第3回目となる今回は、『八ッ橋』を採り上げたいと思います。

皆さんは『八ッ橋』というと何を思い浮かべますでしょうか。そう、やはり京都土産の定番「生八ッ橋」でしょうか!?定番の品はもちろん、チョコ、抹茶、苺に桜など、様々な商品が販売されていています。私も大好きな銘菓ですが、箏曲にたずさわる者は同時に、箏曲の祖と言われる『八橋検校』を思い浮かべます。

八橋検校は1614年生まれ、江戸時代前期に活躍した作曲家・演奏家です。その斬新な感性、改革への行動力は、八橋が現れなければ、日本の箏曲は全く違ったかたちになっていたはずと言われるほどです。ちなみに八橋検校の没年1685年には、西洋音楽の父と言われるバッハとヘンデルが誕生しています。

そんな八橋検校は、京都 洛東・黒谷の金戒光明寺に眠っています。重要文化財に指定されている文殊塔の裏には墓所があり、塔頭のひとつ常光院の前には、「八はしでら」という琴柱をデザインした碑もあります。

銘菓「八ッ橋」は、八橋検校を慕ってお参りにくる人たちのお土産品として作られたお菓子なのです。ただ、それは現在主流になっている「生八ッ橋」ではなく、板状の湾曲した焼菓子の方です。これは琴をイメージした形になっています。「生八ッ橋」派の皆様も、次の機会にはぜひこちらもご賞味ください。

  • 八橋検校

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2017.04.30

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