伝統芸能共育コーディネーター 連載エッセイ

【第七十三回】柴垣治樹 先生(第19回)
舞楽の曲目解説 第19回 「胡蝶(こちょう)」

 胡蝶は、子どもによる舞が特徴の右方の童舞(わらわまい)です。

 延喜6(906)年、宇多法皇(うだほうおう)が子供の相撲を観覧する時に、藤原忠房(ふじわらのただふさ)が曲を、式部卿敦実親王(しきぶきょうあつざねしんのう)が舞を作ったといわれています。

 『迦陵頻(かりょうびん)』の答舞(とうぶ:先に演じる左舞の対となる右舞)として、昔から寺院の法要などでよく奏される子どもが舞う童舞(わらわまい)の1つです。女性の大人が舞うことはありますが、大人の男性が舞うことは無い曲です。

 舞楽胡蝶の次第は、(1)「高麗小乱声(こまこらんじょう)」、(2)「高麗乱声」、(3)「小音取(こねとり)」、(4)「当曲」からなります。

 まず、高麗笛(こまぶえ)の独奏と太鼓、鉦鼓(しょうこ)による「高麗小乱声」が前奏曲として奏され、舞人(まいにん)の登場曲である高麗笛の「退吹(おめりぶき)」、太鼓、鉦鼓による「高麗乱声」と続きます。この間に登台した舞人は舞台に登るときの所作「出手(ずるて)」を舞います。高麗笛と篳篥(ひちりき)の主奏者と三ノ鼓(さんのつづみ)による「小音取」、演目の中心となる「当曲」と続き、最後に舞人は輪を作って4人目の舞人・四臈(よんろう)から順に退出していきます。

 舞人はこの演目固有の子供用に小ぶりに仕立てられた別装束を身につけて舞います。

 緑色系の袍には胡蝶(こちょう)の紋様が刺繍され、背には羽根をつけます。頭には山吹の花を挿した天冠をかぶり、右手に山吹を持って舞います。また、原則的には白塗りの厚化粧をします。

 子どもによる舞のため、舞姿や装束は子どもの愛らしさを強調したもので、舞人の動きにあわせて背中の羽がヒラヒラと可愛らしく揺れます。飛び跳ねながら回って大輪をつくる舞が特徴的です。

[子供の舞なのに難しい舞]

 私は15歳から舞稽古を始めましたので胡蝶舞人の経験は無いです。胡蝶は子供の舞だから簡単かと思う方もいるとは思いますが実は結構難しい舞です。

 胡蝶の舞を一生懸命覚えて舞う子供の姿に勝てる舞は無いと思います。

私も息子が胡蝶を舞った後に走舞(一人で舞う舞)を舞った時に胡蝶の余韻が残っていて何とも言えない雰囲気の中で舞った経験があります。息子が舞ってくれた喜び、私の舞をお客様が見て下さってるけど、心ここにあらず。

 とても思い出に残っている演奏会でした。

 是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 胡蝶

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2022.05.19

【第七十二回】岡崎美奈江 先生(第18回)
箏曲って? 第18回「八重衣」

 地歌箏曲、手事物(てごともの)に「八重衣(やえごろも)」という曲があります。地歌箏曲演奏者の憧れの1曲です。石川勾当(いしかわこうとう)により江戸時代後期に作曲されました。

 作曲者石川勾当の三つ物と呼ばれる三難大曲(八重衣、新青柳、融)の1つで、歌詞は、当時大流行していた小倉百人一首から「衣」にちなんだ歌を5首集め、季節順に並べ、最後の歌の下の句(衣片敷き 独りかも寝ん)が反復されています。

 作曲当時は、他の検校や勾当に疎まれ、広く世にでることはありませんでしたが、後年、箏の手付け(箏のパートを作曲)を、京都で活躍していた八重崎検校(やえざきけんぎょう)が行い、再発掘され、屈指の名曲として現在まで演奏されています。

 京流手事物の一大傑作といわれている大曲は、三絃、箏ともに高度な技巧が用いられた難曲で、作曲者自身も上手くは弾けなかったと言い伝えられえるほどです。

 

<歌詞> ※小倉百人一首より

君がため 春の野に出でて 若菜摘む

 我が衣手に 雪は降りつつ

 

春過ぎて 夏来にけらし 白妙(しろたへ)の

 衣干すてふ 天の香具山

 

み吉野の 山の秋風 さ夜更けて

 ふるさと寒く 衣打つなり

 

秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)を粗(あら)み 

 我が衣手は 露にぬれつつ

 

きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに 

 衣片敷き 独りかも寝ん

 衣片敷き 独りかも寝ん

  • 百人一首

  • 地歌演奏の様子

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2022.04.21

【第七十一回】杵屋六春 先生(第18回)
長唄名曲紹介 ~Vol.18 鎌倉時代に思いを馳せて「賤の苧環(おだまき)」

 源義経と静御前といえば、日本人なら誰しもが知っている悲恋の物語を思い浮かべるだろう。この静御前の伝説を、数々の名曲を生みだした名人、五代目杵屋勘五郎が明治41年(1908)作曲、菊地武徳作詞で舞踊化したもの。「静の小田巻」と表記される場合もあり、同じ曲である。 

 時は文治元年・壇ノ浦の戦いから7ヶ月後、源義経は源頼朝の命を受けた土佐坊昌俊に襲撃され、兄との関係は修復不可能と悟り、挙兵に踏み切った。後白河院に頼朝追討の発令を求め、従わないなら西国で挙兵すると告げ、院は頼朝追討の院宣を下す。その直後、朝敵にされ怒り狂った頼朝が6万の大軍を京に送ると聞き及んだ後白河院は態度を180度変え、頼朝に求められるまま6日後に義経追討の院宣を下す。西国で再起を図るべく大阪湾に出た義経だったが、平家の呪いと臆される暴風に吹き戻され、元々少なかった家臣達とさらに離れ離れになる。「賤の苧環」は、平家の亡霊で有名な長唄の大曲「船弁慶」の後日談といった形で作られた曲といわれている。

 鎌倉時代、京都の白拍子(男装して舞を披露する芸人)だった静御前は、源義経と出会い恋仲になる。実兄・頼朝と不仲になった義経は頼朝から追われる身となり、義経は女人禁制の吉野山(奈良県)に身を隠す前に静御前に別れを告げる。京に戻ろうとした静だったが従者に裏切られ、文治2年3月、鎌倉に送られ、頼朝の前に引き出され、義経の逃亡先を問われるが知らない静には答えようがない。ならばと、源氏の繁栄を祈る舞を鶴岡八幡宮に奉納せよと命じる頼朝(歌詞の中に出てくる『鎌倉殿』は頼朝のこと)。はじめは拒んでいたが、とうとう拒みきれなくなり、しぶしぶ舞う静。しかし静御前が実際には頼朝や源氏繁栄の為ではなく、義経を慕う思いを歌い、強い恋心を舞ったのであった。一同が感動する中、意に反した静御前に頼朝は立腹するが、妻・北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」ととりなし、静御前は許され、褒美を賜ったと言われている。

 歌詞の中で「吾妻鑑」から引用されている二首の和歌がある。「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人ぞ恋しき」吉野山で雪を踏み分け、山深く入ってしまったあの人(義経)の足跡さえも今は恋しい。「しづやしづ 賤のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」(おだまき=麻糸の玉がくるくる回転すること)「静、静」と呼ばれた昔に戻れたらどんなに良いことだろう。

 別れ別れになってしまった義経への恋心は募るばかりの静御前であった。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代に起こった悲恋の物語。ドラマにこの曲を重ね合わせていただけたら、また楽しんでいただけることだろう。(参考文献 「吾妻鑑」)

  • 静御前

  • 吉野山

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2022.04.17

第70回
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集 「第18回~初舞台・羽根の禿~御園座珠園会よりPart3」

令和3年5月23日に御園座で開催致しました五條流珠園会。今回はその第3弾、長唄「藤娘」を名披露目として務めた二人のエピソードをお伝えします。

現在中学生の二人は、それぞれ2歳、6歳のときからお稽古を始めました。お稽古場は違えど、お誕生月は1ヶ月違い、そして親戚でもないのに幼少の頃はどことなく顔が似ていたという二人です。性格的にも穏やかで優しくてほんわか。普段口数は少ないですが、集中力があってお稽古熱心なところもそっくりです。

『藤娘』では、できないところを二人で黙々と繰り返してお稽古したり、鏡を見て研究したり、納得できるまで諦めずに続ける姿に、私も胸を打たれることがありました。また、中学生という時期は踊り方の変わり目でもあり、可愛らしい子どもの踊りから、しなやかな大人の踊りに移行していきます。身長も私以上に伸びて、身体の使い方が急に変化していくので二人は人知れず努力をしていたと感じます。

そして珠園会当日、御園座という素晴らしい場所でのお披露目の機会を頂き、精一杯のびのびと踊ることができました。何より、日頃の努力や精進の成果を、皆さまにご覧頂けたことは、二人にとって幸せで素敵な宝物となったことでしょう

そして二人は次の舞台で、長唄「橋弁慶」の牛若丸と弁慶を踊ります。本格的な男踊りに、汗をかきながら張り切ってお稽古をしています。さらに息の合った舞台を見せてくれることでしょう。これからの活躍が楽しみです。

  • 二人での稽古の様子

  • 二人での稽古の様子

  • 披露された「藤娘」

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2022.03.09

【第69回】
舞楽の曲目解説 第18回 「迦陵嚬(かりょうびん)」

迦陵嚬は、現在のインドにあたる天竺(てんじく)の祇園寺(ぎおんじ)供養の日に、極楽浄土で仏を供養すると伝えられる鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)が集り舞うのを見て、音楽をつかさどる女神・妙音天(みょうおんてん)がこの曲を奏したといわれています。釈迦の十弟子の1人である阿難陀(あなんだ)が広めたとされ、日本に伝えたのは娑羅門(バラモン)僧正(そうじょう)菩提遷那(ぼだいせんな)といわれています。
かつては「序、破、急」の楽章がそろい、舞もともなっていたようですが、現在は「破」と「急」に曲が、「急」にのみ童舞の舞が伝わっています。
子どもによる舞が特徴の左方の童舞(わらわまい)です。舞の次第は(1)「林邑乱声(らんじょう)」、(2)「当曲(とうきょく)」からなります。
前奏曲「林邑乱声」で4人の舞人(まいにん)は1人ずつ登場します。手にしたシンバルのような打楽器「銅拍子(どびょうし)」を打ち鳴らし、飛び跳ねる動作を繰り返しながらそれぞれ所定の場所につきます。「当曲」は早いリズムの「急」で早八拍子(はややひょうし)、拍子八(ひょうしはち)です。「当曲」の舞が終わると、舞人は再び飛び跳ねる動作で舞台をまわり、1人ずつ退場していきます。
迦陵嚬舞人はこの演目固有の子ども用に小ぶりに仕立てられた別装束を身につけて舞います。
赤色系の袍には迦陵頻伽の紋様が刺繍され、背には鳥の羽根をつけ、足にはすね当てのような長足(ちょうそく)と呼ばれるものを巻いています。頭には花を挿した天冠をかぶり、手には銅拍子を持って舞います。この銅拍子の音は、迦陵頻伽の声を表しているといわれています。また、原則的には白塗りの厚化粧をします。

[宮内庁式部職楽部楽師のステータス]
宮内庁式部職楽部の楽師になるためには基本的には中学校を卒業してから7年間の楽生期間を経て、楽師になります。
22歳から民間人が経験出来ない舞台に立ち経験を積んでいきます。しかし、迦陵嚬は童舞であり、成人男性が舞うことは無いので楽生になる前に経験しないと舞う機会が無くなります。
中学生までに舞わないと一生舞うことが無い舞楽になります。舞うタイミングを逃すと一生悔いが残る舞かもしれませんね。
是非、エッセイを読み、YouTubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 迦陵嚬

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2022.01.24

【第68回】岡崎 美奈江先生
箏曲って? 第17回「箏曲 奈良の四季」

「春の海」の作曲家宮城道雄氏の作品に「奈良の四季」という曲があります。昭和30年の作曲、会津八一氏作歌です。
歌人会津八一氏の養女となられた会津蘭さんが宮城道雄氏のお弟子であったことがご縁となり、この曲が生まれました。奈良を大変愛された会津八一氏が、興福寺や東大寺に通いつめて生まれた「鹿鳴集」所収の短歌四首に作曲したものです。
春・夏・秋・冬の4部分に分かれた曲は冬の部分を除き、各歌に手事があり、地歌箏曲の古い合奏形式の一つである「段合わせ・段返し」が用いられています。
全体的に簡素な印象ながらも、格調高い万葉風の歌とが見事に調和された名曲です。

  • 「段合わせ・段返し」とは
    段合わせ(だんあわせ)は、地唄・箏曲の合奏法の一つです。「六段の調」のような数段からなる曲、または、唄と唄の間にある手事(てごと)で、同拍数の段構造をもつ2つの段を異なった奏者で演奏(合奏)することで、同一曲の異なる段で行う場合と、異曲間の場合とがあります。
    段返し(だんがえし)は、段合わせで合奏したあと、受け持ちを交換して、再び段合わせを行うことです。

[歌詞]
春来ぬと 今かもろ人 行き返り
     佛の庭に 花咲くらしも

初夏の 風となりぬと 御佛は
    小指の尖に ほの知らすらし

斑鳩の 里の乙女は 夜もすがら
    衣機織れり 秋近みかも

嵐吹く 古き都の 中空の
    入日の雲に 燃ゆる塔かな

  • 「奈良の四季」演奏の様子

  • 興福寺

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2021.12.16

【第67回】杵屋 六春先生(第17回)
長唄名曲紹介 ~Vol.17 偉大な作曲家・四世杵屋六三郎

今回は作曲家に焦点を当てご紹介する。
江戸時代の後期に活躍した四世杵屋六三郎は、長唄作曲家の中で最も有名な人物。安永9年(1780年)幼名・長次郎。江戸板橋宿の旅篭奈良屋の次男として生まれる。幼いころから母親に三味線を教わってめきめきと才能を発揮。初代杵屋正次郎に師事し寛政10年(1798年)に中村座で初舞台。文化5年(1808年)4代目六三郎を襲名。演奏を7代目市川團十郎に評価され、多くの作品を手掛けたが中でも、「勧進帳」は音楽教科書に掲載され、歌舞伎十八番の一つとして、よく知られている。11代将軍・家治公~13代将軍・家定公時代に活躍した。歌舞伎の演目のみならず、「藤娘」「晒女(近江のお兼)」などの舞踊曲やお座敷長唄と呼ばれる演奏者が主役の曲「老松」「吾妻八景」などを作曲し、演奏と作曲の両面で名人といわれている。
現在伝承されている曲は調松風、心猿秋月、晒女、正札付根元草摺、後朝の傾城、為朝、猿まわし、鳶奴、かさね道成寺、末広、猿舞、老松、小倉山、不動、馬追、西王母(桃李の)、薮入娘、廓三番叟、江ノ島(筆も及ばじ)、天神、関三奴、藤娘、座頭(ひょっくり)、月の巻、吾妻八景、六玉川琴柱の雁、蝶鶴比翼の帯引、菊玉本、初子の日、春の色、俄獅子、蓬莱、四つの詠、勧進帳、五人囃子、冨士の島台、源氏雪月花、吉野天人、雁の文、織殿、十二段、刈り莚(翁草ともいう)、寿(月やあらぬ)、千歳の松、千代の春、宝船、松の緑、四季の蝶、二見潟磯の濡衣、女郎花の50曲。
娘は志賀山流の13代目家元の5代目志賀山せい。松の緑は娘への祝いの曲。当時人気だった太夫を花にたとえるなどの色気ある歌詞に曲をつけるのを得意とした廓好きの六三郎。「松の緑」「蓬莱」など廓をたとえた曲が現在では祝いのの曲として結婚式などで唄われている。

  • 勧進帳(弁慶)

  • 藤娘

写真:杵屋 六春先生

長唄・唄方

杵屋 六春先生

更新日:2021.11.17

【第66回】
日本舞踊・ちびっこほのぼのエピソード集「第17回~初舞台・羽根の禿~御園座珠園会よりPart2」

令和3年5月23日に御園座で開催致しました五條流珠園会。前回のエッセイでは長唄「連獅子」の“胡蝶”を務めた二人の可愛いエピソードをお伝えしました。今回は、この4年に一度の貴重なタイミングに初舞台を踏んだ6歳と8歳の姉妹のエピソードをお伝えします。
2年前にお稽古を始めた二人は「花かげ」や「絵日傘」などの童謡を沢山お稽古してきましたが、今回が初めての『古典』に挑戦となりました。羽子板を持って踊る場面から始まりますが、まず、“羽つき”という遊びを年齢的にも世代からしてもしたことがありません。初めて持つ羽子板と、羽根のついた差し金に興味津々でした。(差し金…作り物の蝶々や羽根などを細長い竿の先端につけて操る小道具)
お稽古が終わると順番に差し金を操る役をして、代わりに私が羽根をつく役に(笑)。後見の役をすることも毎回手を抜きません。とは言え耳馴染みの少ない古典の曲調、今までの童謡とは違ったちょっぴり大人びた振りに、戸惑うこともありました。しかし何回も何回も、繰り返しお稽古をするうちに、音をよく聞いて「間を掴んで」踊るようにもなってきました。
そして下ざらえを迎えました。(下ざらえ…立方・地方・裏方が集合して、当日の確認をしながら稽古をすること。通常一回ずつ通します。)大勢の大人たちに囲まれ、もちろん緊張していたと思いますが、踊り終えると「もっとお稽古したい!」と頼もしい一言も。
おかげで本番当日は、憧れのかつらと衣裳をつけ、大舞台を可愛らしく立派に務めることができました。その経験を通して、6歳の妹は長時間のお稽古が平気になり、今でも根気よく繰り返し踊れるようになりました。8歳の姉は頑張りやさん健在で、中学生のお姉さんたちのような柔らかなしぐさを真似して踊るようになりました。
まだまだ不自由な状況は続きますが、健康に気をつけながら、子どもたちの笑顔と頑張る力が発揮できる貴重な機会を、守り育てていきたいと思います。

  • 憧れのかつらと
    衣裳をつけていざ舞台へ

  • 舞台を終えた二人
    嬉しさと安堵の表情

  • 今も楽しく真剣に新しい曲に
    挑戦しています

写真:五條 美佳園先生

日本舞踊五條流師範

五條 美佳園先生

更新日:2021.10.25

【第65回】
舞楽の曲目解説 第17回 「散手(さんじゅ)」

散手は、『日本書紀』や『古事記』に記される、神功皇后(じんぐうこうごう:日本武尊[やまとたけるのみこと]の息子・仲哀天皇[ちゅうあいてんのう]の后とされる人物)が朝鮮半島の広い地域を平定した三韓征伐(さんかんせいばつ)の様子を舞にしたものといわれています。また、釈迦誕生のときに師子喔王が作ったとの説もあり、この曲を演奏すると地が鎮まるといいます。嵯峨天皇(さがてんのう:在位809~823年)は、ことのほかこの曲を好み得意としていました。
演奏の次第は前奏曲として「太食調調子(たいしきちょうのちょうし:Eに相当する音をキーとする調子)」で始まり、笛は「品玄(ぼんげん:舞人登場の際に奏される自由リズムの楽曲)」を演奏します。この間に舞人は登場し、「出手(でるて:舞人が舞台に登るときの所作)」を舞います。舞人が鉾(ほこ)を置くと笛が曲を終了させるための「吹止句(ふきどめく)」を奏します。演目の中心となる自由リズムの「散手序(じょ)」、ゆるやかなリズムで奏される「散手破(は)」と続き、最後に舞人が退出します。舞人の出入りに際しては、鉾を受け渡す番子(ばんこ)の役が登場します。
装束は赤と金を基調とし、威厳にみちた装束となります。裲襠装束(りょうとうしょうぞく:織物の中央に穴を開け、首を通してかぶる形の衣服を用いた装束)でも、勇壮な一人舞や二人舞で用いられることの多い、周囲を毛で縁どった毛縁装束(けべりしょうぞく)を着装。武将の顔をした面と、龍(りゅう)が珠(たま)を抱く姿を表す甲(かぶと)をつけ、黒漆(くろうるし)塗りの鉾を手に持ち、腰から太刀(たち)を下げて舞います。
舞、装束、舞道具すべてから、強敵を平定する武将の勇ましさや威厳を感じさせます。古くは「序」「破」「急(きゅう:早いリズムの楽章)」と一具そろった勇壮長大な曲であったと思われますが、現行の舞も武具を持って舞われる「武舞(ぶのまい)」の代表的な名曲として知られています。舞台上を右に左に勢いよく駆け抜けたり、鉾を振り回したり、大きな振りが多いのがこの演目の特徴です。左方(さほう)一人舞の難舞ともされていて、舞人の高い技術を鑑賞することができます。
宮内庁式部職楽部の楽生(修行期間)の左舞の最終試験は散手と聞いたことがあります。私は右舞なので舞う事は無いですが見ていて難しいと感じます。
是非、エッセイを読み、You Tubeなどで動画を観ていただき、興味を持っていただきたいです。

  • 散手(さんじゅ)

写真:柴垣 治樹先生

雅楽演奏家
雅楽企画者

柴垣 治樹先生

更新日:2021.09.21

【第64回】岡崎 美奈江先生
箏曲って?第16回「地唄(地歌)ゆき」

地唄(じうた)とは三味線音楽の一種であり、三味線音楽の中でも最古の芸能とされています。時代の流れと共に三味線音楽としての地唄も変化し、「長唄(ながうた)」「地唄舞(じうたまい)」「端唄(はうた)」など、多様なジャンルが生まれました。
楽器も三味線だけではなく箏(お琴)と密接な関わりを持ちながら発展し、他にも胡弓や尺八(現在は尺八が多い)と合奏形態を取ることが多くなっています。
地歌といえばこの曲と言われる程、地歌の中でも有名な曲「ゆき(雪)」。
歌詞「心も遠き夜半の鐘~」の後に演奏される間奏が美しく【ゆきの合い手】と呼ばれています。
ただ、これは遠くに聞こえる鐘の音を描写しているもので、雪を表したものではありません。ですが、雪のイメージと結びつき、歌舞伎を始め多くの邦楽で雪の情景などの際に使われている、美しい間奏です。
落語の「立ち切れ線香」にもこの曲が使用されたり、谷崎潤一郎の「細雪」の中でも、主人公が「ゆき」の上方舞を舞っている姿が描写されています。
猛暑の続く毎日に季節外れの題材ですが、筆者の私が、今夏の浴衣会で、この「ゆき」を演奏する予定ということで選ばせていただきました。少し涼しく感じるのは、私だけでしょうか。

[歌詞]
花も雪も払へば清き袂かな
ほんに昔のむかしのことよ
わが待つ人も我を待ちけん
鴛鴦(おし)の雄鳥にもの思ひ
羽の凍る衾(ふすま)に鳴く音もさぞな
さなきだに心も遠き夜半の鐘
聞くも淋しきひとり寝の
枕に響く霰の音も
もしやといつそせきかねて
落つる涙のつららより
つらき命は惜しからねども
恋しき人は罪深く
思はぬことのかなしさに
捨てた憂き捨てた憂き世の山葛

写真:岡崎 美奈江先生

箏曲演奏家

岡崎 美奈江先生

更新日:2021.08.23

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